2014年3月5日水曜日

阿部浩一(福島大学准教授)     ・福島の歴史・文化遺産を守りたい

阿部浩一(福島大学准教授)        福島の歴史・文化遺産を守りたい
昭和42年の東京都生まれ  1991年東京大学文学部卒業、大学院で博士号を取得しました。
専門は日本中世史 、国立や私立大学の非常勤講師を経て、2010年10月から福島大学に勤務し、文化史を担当、3年前の大震災の時には福島県内の文化財や歴史資料にも大きな被害が出ました。
特に福島第一原子力発電所の周辺の旧警戒区域では被害実態の調査にも困難が伴いました。
阿部さんは震災の翌月から、福島歴史資料保存ネットワークを通じて、市民ボランティアと共に、
被災した歴史資料の救出や、一時避難保管作業に取り組んできました。
去年2月には福島再生と歴史文化遺産と題してシンポジュームを開催して、情報の発信と共有、地域と密着した保全活動の紹介をしました。

卒業論文で伊達氏を取り上げたことがあり、2回ほど史跡などを見学したのが、縁になったのかなあと思います。
伊達は福島が発祥の地でした。
赴任後5カ月で大震災に遭遇した。
地震の時は福島駅のすぐ近くの公共施設にいた。  地鳴りのゴーっと言う音がした。
揺れが大きく来て、揺れがいつ落ちつくのかなあと思う様な状況だった。
歴史保存の仕事をしていたので、翌日に歴史資料館にいったが、しばらくはお手上げの状態だった。
大学の関係者とは電話が通じないので、メールでの連絡だった。

地域の中には歴史を伝える、古文書とか色々あるので、出来るだけ後世に伝えてゆくというのが目的です。
阪神淡路大震災の時から始まって、災害の発生と同時に全国に始まった。
2010年11月に福島資料保存ネットワークが出来た。
茨城、山形と一緒にやったりとかという形で県を越えてネットワークができ上った。
津波をかぶったものは、急ぎ洗浄、乾燥することが必要になる。
土蔵などが壊れてしまって、そのなかに古文書がある場合があるが、永年誇りをかぶったりしている場合があるのでクリーニングをする。
デジカメで一点一点撮影をする。  データとして残すようにしている。
目録を作る。  箱の中などに保管して、持ち主に返却する。

取り組み始めようとしていた段階だったので、連絡手段がなかったので、なかなか動けないような状況だった。
3月の終わりごろ、文化庁の文化財レスキュー事業が発表されて、国が支援に動く事が発表された。
地元の教育委員会が受け皿となるので、お願いに伺ったが、被災者支援などに回っていて、本来の文化財の業務にかかわっていただく人はほとんどいなかった。
4月から本格的に活動を始めました。
宮城、岩手の場合は沿岸部の博物館などが津波にやられて、大量の文化財が被害にあった。
国初め全国から支援があったが、福島の場合にはあまり津波の被害にはなかったので、博物館が丸ごと被災したという事はなかった。
福島資料ネットとしては、県と連絡を取り合って文化財の保全に携わった。
震災後、福島大学美島福島未来支援センターという新しい組織が出来て(2012年9月以降)、歴史資料保全活動を続けている。

深川市で文化財収納庫が土石流で被害に会う。 押し流された。
図面はクリーニングしなければならないので、それは国の専門家に依って行われた。
国見は福島大学と連携してやっている。
個人の土蔵が被害にあい、古文書とか歴史資料を出した。
旧警戒区域 今でもなかなか簡単には入ることができない。
震災直後はいったい何が起こって、どうなっているかという事が全く知る由がなかった。
博物館の資料を警戒区域の外に取りださなくては行けなくて、国の支援が入って搬出作業が始まった。(2012年9月ごろから)
白河に仮の保管場所があるが、そちらに運ぶのに、大量の博物館の資料があるので、多くの人手が必要になり、センター員、学生がボランティアで協力してもらって、一時保管の場所に搬出する事をやっている。(人出が足りない状況)
2013年3月文化庁から感謝状を頂く。

2013年2月 「福島再生と歴史文化遺産」と言うテーマでシンポジュームが行われる。
実態を広く知ってもらう必要があるので、情報を共有してもらいたいと思った。
企画にあたっては、比較的スムーズにできた。
5時間ぐらいのシンポジュームだった。
福島では歴史資料保存活動は始まったばかりなのでこれからだと思っている。
震災ミュージアムの設立は 関係者全員の想い。 
地域の人達を結ぶ、心の財産なので、専門の施設が欲しい。
民俗芸能を実演する場を作ったり、総合的に旧警戒区域で伝えられてきた文化、歴史を護り、後世に継承する施設が必要であろうと、動いている。
保存しておくだけでなくて、一般の人に見てもらえるようにしたい。

保存などではまだまだ不十分な状況。  
地元の皆さんの情報等は不可欠なので、地元の人が調査に同行してもらえるかどうかで調査の仕方は違ってくる、同行してもらえる方がスムーズに行える。
福島県は大学が少ないし、日本史の教員も少ないので福島大学が中心とならざるを得ない。
歴史に対する関心は高い、特に地元に対する関心は高い。
地元の皆さんが持っている歴史への関心と、歴史資料保全が大事だという事がなかなか結びついてこないという事がある。
若い世代の人たちにも興味、関心を持っていただきたいし、仲間に入っていただきたい。
福島県ではマスコミの目を引くような大発見は無かったが、茨木ですと、伊達正宗の書状が見つかったり、宮城県では伊達の有力の家臣の家に伝わる中世文書が大量に出てきたりとか、調査の手が入った事に依って見つかったもの。
そのほかにも、把握していなかったような資料がたくさん出てくる。

不幸にして、震災をきっかけにして歴史保全活動が本格化してきたと思う。
3年経って、歴史、文化に目を向けていかないといけない時期だと思うし、時間的にはかなり厳しいじゃないかと思う。
民族芸能の問題、それを支えていた人達がかなりばらばらになっていて、継承の担い手、努力を始めていかないと失われてしまうという危険もある。
地元にはこういう歴史文化があってと言う事が恐らく心の支えになっていくのではないかと思う。
本を通じて福島の復旧復興がまだ全然終わってないんだという事をこれからまだまだやって行かなくてはいけない。
①震災ミュージアムを是非実現できるように微力ながら、努力してゆきたいと思っている。
②地元で歴史資料保全活動をどういう形で実を結んでゆくか、福島大学美島福島未来支援センターを核、拠点として、地域の皆さんにもかかわっていただけるような拠点として作り上げてゆきたいと思っている。