2014年3月8日土曜日

中村桂子(JT生命誌研究館館長)   ・ いのちはつながりの中に

*3月7日に高校卒業以来、ほぼ50年ぶりの高校の同窓会が行われました。
 24名が参加 最初会った時にはお互い同士が判らず、名前を言ってようやく納得する人、
 名前をいっても本当にそうなのと首をかしげる人、色々ありました。
 歳は取っても、話し始めるとまるでタイムスリップをした様に、昔話に花が咲き、酒も気持ち良く 喉を通ってゆき、楽しいひと時を過ごすことができました。


中村桂子(JT生命誌研究館館長)    いのちはつながりの中に
78歳  DNAの働きを知りたいと研究を続け、三菱化成生命科学研究所部長や早稲田大学教授など務め成果を上げる一方で、生命に対する科学にあり方に疑問を持ち新たに生命誌という新たな学問分野を提唱、1993年に生命誌研究館を立ち上げました。
生命誌とは生命の歴史物語と言う意味、命はつながりの中にあるという考え方です。

大学に入る時に女性教師だった先生に憧れていて、化学を選ぶ。
DNAが見つかって、二重らせん構造に吃驚した。
自分たちで二重らせん構造を作って、それが気にいってしまって、身体の中のことをやるといって、DNAの美しさに惹かれて、生物学の方に変わる。
生命誌 生命科学でDNAを調べてゆくのも面白いが、物で出来ている。
機械を見ているような感じにドンドン成ってしまう。
30歳代の初めに子供をうんだ。 女、と男の子 3歳違い。
見ているといろんなことがおきて、生き物の面白さを感じる。
取り扱う大腸菌と言うバクテリアで、しかもそれがどう動いているかわからない。
人間の事がそういう事から考えるということがあんまり考えられない、繋がらないなあと言う事がどんどん気になり始めた。

科学万博が1985年にあった。 1980年から準備を始める。
テーマが「科学技術と人間居住環境」だった。 40歳代の初めの頃だった。
コンセプトを考えなさいと言われた。
生物学でもクローンとかが、いわれ始めたころだった。
技術が進んだら、人間どうなってしまうのか、倫理で抑えなければいけないという事が段々言われ始めたころだった。
もっと本質的なもの、もっと生き物の事をきちっと考える事ではないかと思って、人間って生き物じゃないのかと思って、そういう答えを出そうと思った。
しかし5年間辛かった。5年間ではでなかった。あと1年間あれば答えが出る様な気がしたが、博覧会としては技術と倫理と言う形で進めていきましょうという事になる。
答えはもう1年待ってほしいといった。
出した答えが「生命誌研究館」という答えだった。

6年の間モヤモヤしていたものがぱっと晴れて自分が何をすればいいかが解った。
博物誌はある。 自然界の物語を歴史物語をつづって行きましょうという意味です。
「史」は本当に事実が並んでいるというだけで、バクテリアも蝶もみんな物語が書きたいから、生き物ドラマを描きたいと思って歴史の史ではなくて、「生命誌」とした。
生命誌研究館を作った。 夢を現実のものにできた。
生命誌絵巻 生き物が地球上に始めて現れたのが、多分38億年前ではないだろうか、そのころはバクテリアの様な小さな細胞だけだったと思う。
それが地球の海に中にいたと思われていて、38億年経って、数千万種と言われるいろんな生き物たちがいる。
扇を書いているが扇の要のところが38億年前の祖先の生き物、扇の天のところがいろんな生き物が書いてある。
全ての生き物が38億年前の生き物がいないと、いない。
そのことを書きたくて 扇の形に描いた。 人間もはじに書いたが、人間も38億年の歴史を他の生き物たちと共通に持っている仲間なんだと、そういう事実として、そうなんだと書きたい。

人間、生き物だというが 環境問題に関心を持って、生物多様性、生き物いろいろいるねと言う事も判っているが、人間も生き物と言う事も判っているが、生物多様性大切にしましょうというが、言い方が、扇を書くと、天の外の方に人間だけがいて、人間が多様性を人間が上から眺めて、生き物いろいろいるからすこし大事にしなくてはいけないね、というような様に思える。
皆仲間 扇なので要からの距離は同じ。
蟻の中にも38億年と言う時間が入っている。  
38億年という気の遠くなるような長い時間をかけてここにいるとしたら、とっても大事なので、いい加減に潰してはいけない。
そういう気持ちはどの生物を見ても言える。
蝶はさなぎからでてきて親になるが、長い命ではないので、親の蝶にとって大事なのは子孫を残すこと、でも蝶の幼虫はめちゃくちゃ偏食。
あげは蝶はミカンの仲間の葉しか食べない、もんしろ蝶だったら菜の花、キャベツなどしか食べない。

ミカンの葉に卵を産まないと育たない。  どうして判別するのか、飛んで来ると葉っぱを叩いて葉のなかにある成分が出てきて、足に毛が生えていて、(感覚毛)ここで葉っぱを磨ると出てきた成分が毛に触って、そこは細胞になっていて、脳にこの成分はなんだよと、伝わる構造がある。
ミカンの成分があるという事でそこに卵を産んでいるという事が解った。
蝶にある細胞と人間の舌の細胞と全く同じ。
祖先がおんなじだという事がドンドン判ってくる。

平安時代 1000年前 大納言の御姫様(虫めずる姫)は虫が大好きで、男の子に虫を集めてもらう。
毛虫が大好きだが、両親、侍女がうるさい。  蝶になったら綺麗ねと言うが、ああなったら儚い命で、むしろ本当に生きているというのはこっちの虫なのよ、これをよーく見ると生きていることの本質が判ると言っている。
本質を見れば、これは素晴らしいという事が判る。
科学は17世紀ヨーロッパでに生まれたが、11世紀のころに自然の本質を見て考えましょうと、本質を見たからどうなるかと言うと「めずる」 
本質を見て愛する気持ちを持てた姫がいるという事は、どの国よりも早い。
科学の本質は日本にあった、と生命誌の元祖と決めている。
社会全体が機械的になって、競争になって、差別、競争になってきてしまっている。
効率よく、大量に作るとか、生き物から見ていると合わない。

生きるという事を考えたら、時間、プロセス、生きている時間を大事にする、と言う事が、時間こそが大事だというのに時間をドンドンカットする様にしている。
生きにくくなってきていませんか?
いじめとかあるが、道徳と言うよりも、生きるという事を知れば解決すると思う。
小学校で英語、コンピューターを教えるが、大事なのは畑で農業をやる事の方が大事。
福島県喜多方がやりましょうという事になり、小学校に農業の時間割を入れてくれた。
最初は3校だったが、今は市の中の全部でやっている。
地域のお年寄りがそれぞれの小学校で活動している。
作文が凄い。 農業をやりたいとおもっていたが、大変だと思っていたが学校で一緒にやったら、すごく黙々とやる友だちがいて、学んだりして、本格的に農業をやりたいと思うようになる。
もうひとつ理由があり、やっていると人の笑顔がみられる、作ったものをあげると皆が笑顔になれる、農業は人の笑顔を作れるんだという事が解ったので、絶対に農業をやります、最後に学校は夢をくれました(農業家になろうとした夢)、と言う事でした。

原発のせいで苦労して作った米が出荷停止になるニュースを見ました、喜多方の米は安全でお
いしい、福島に来る人が増えるといいなあと米を作っていて思いました、 これも原発があったと社会科で教えるよりも自分で考える方が、この方が意味を考えたと思う。
お年寄りのところに自分たちの作ったものを赤飯にして配ったら、泣いて喜んでくれた、その時のことが心に残りました、と 。
道徳と言って教えるよりも、自分の中から出てくるんです。
農業をきちっと1年間系統的に教えるというこの農業科で、本当に子供の教育は素晴らしく、
生き物、自然を自分で学んでゆく。  生き物、自然は凄いと思う。

団子虫を一緒に親が楽しんであげられるかどうかが、分かれ道。
虫めずる姫がミュージカルになる。
楽譜(論文)は見ても判らないが演奏すると判る。 
伝えるのではなく、演奏する。 科学もそうありたいと思っている。
「生命研究館」 試みの場としてやっている。
東日本大震災の時に原子力発電所があった事は被害を大きくしている。
科学技術そのものをどうしようかと考えないで、放っておいてはいけない。
科学技術全体をもっともっと生き物に近くして、本当にいきいきと生きてゆくことを支えられる様な科学技術を作っていきたいなあと思います。
日本人は歴史を持っているし、能力を持っているし、いい場所にいるので、考えて世界に発信してゆく、こういう技術作りましょうと言ってゆく事が出来るのではないかと思う

漁業、農業の発言は、海はいろんなものを流してしまったが、海はやはり素晴らしいものなんだとおっしゃる、素晴らしいと思った。
3年経って、社会の動き、政治、経済の動き全体を見ると又違う方向に行ってしまうのではないかと、気になっている。
あの教訓を生かさないでどうするのかと、科学、科学技術にいる人が、生かさないといけないと思う、でもちょっとこの頃怪しいと気になっている。
20世紀はエネルギーを使ってきた、「機械と火」、21世紀は「生命と水」を活かしてゆく時代ではないかと思っている。