2014年4月10日木曜日

小森邦衛(漆芸作家・人間国宝)   ・自分にもできることからの出発(2)

小森邦衛(漆芸作家・人間国宝)    自分にもできることからの出発(2)
輪島塗で知られる、石川県輪島市生まれ、69歳、
中学を卒業後、和家具を作る仕事についましたが、20歳の頃これなれらできると、思った漆工芸の道に進路を変えて、輪島塗の師匠の弟子と成りました。
地元の漆芸技術研修所で、人間国宝松田権六さんをはじめ優れた指導者たちの指導を受けて、漆芸作家を志し、其登竜門とされる、工芸展に6回連続して落選しながらも、苦境を乗り越えて、漆塗りの技の独自の道を切り開いていきました。
平成18年、漆塗りの技の重要無形文化財保持者、人間国宝に認定されました。
美しい漆器作りに精魂を傾け、お弟子さんの育成にも励む小森さんに伺いました。

小森さんの漆器は一般的な素材とは違う素材を使って作っている。(編んだ竹、曲げ輪とか)
漆器の美しさ 漆の世界に入った時は沈金という文様を付ける仕事に入ったが、途中から自分の作品を作るために自分の生地を作る世界に入ってくると、上の加色よりも漆の本来の美しさ
と言うものをずーっと追及したくなって、漆独特の艶が凄く魅力的だなあと思った。
漆の木は植林して12,3年経つと漆を取れるようになって、一本一本の性格もあって、一つの畑から良く似た性質の漆が取れる。
本来の美しい漆は、唯つややかだけではなくて、深い鈍い光を放ちてくる。
その美しさに取りつかれてしまって、本当に魅力的だなと思う。
漆の本来持っている美しさにひかれていった。
漆を取ってから2,3年寝かせ其漆の性質を見て、何年か前の漆とブレンドする事に依って、艶も変わってくる、漆の醍醐味みたいなものがある。

「底艶」 表面的に艶があるだけではなくて、中塗り、上塗りを経て、薄い層の底の方から艶がにじんでくる。
ブレンドする事によって、自分の好みの柔らかさ、硬さ、塗りやすさ、に調整する事に依って出てくることと、漆が持っている質にもよる。
ヘラ、はけ 古い道具  ヘラは能登に入口に桂浜があって発掘していたときに私が使っているヘラの材質、ヘラの形が全く同じ物が漆が付いているが故に腐食しないで出てきた。
ずーっと昔から変わらない道具を使っていたという気がする。(縄文時代~)
ヘラは 下地、 輪島の場合は米のりに「生漆」を混ぜてそこに「じのこ」と言うのを入れて、それをお椀に塗ったり、器物に塗ったりするが、その時の道具(あての木が素材 石川県の県木 ひばの仲間) 道具は自分の手に合う様に自分で作る。
見た目には形は同じだが、腰のしなり、先の柔らかさはそれぞれ違うと思う。
自分の道具でないと仕事はできない。
私は弟子のヘラは使えない、弟子は私のヘラは使えると思うが。

はけ 物を塗るという状態が起きた時に、古代の方は草の芯、繊維を固めて物を塗ったと思う。
その後、動物の毛を束ねて、はけ状にして塗ったと思う。
今私が使っているのは、人間の髪の毛を漆で固めて、それをほぐしながら使っている。
髪の毛が12,3cm伸びるとハケができる。
孫娘が差し出してくれた髪を使って、はけ屋さんに作ってもらったが、もったいなくて使いきっていない。
女性の弟子は、一本か二本は自分の髪で自分のはけを作っています。
塗るところは短いが、其はけのなかにずーっと長いまま入っている。(鉛筆を想定してもらうといい)
教え子でイギリスの方がいるが、あるとき、黄色いはけを持ってきた事がある。(娘の髪を使用)
漆を塗るときに、樹液の中とか、塗っている最中に浮遊しているごみがつくが、それを「ふしがつく」というが、ふしを取る道具を「ふしあげ棒」という。
職人さん、それぞれ素材が違う。  かや、竹を細くしたもの、歯科医師が神経を取るときに使う器具、とかいろいろ使うが、私の場合は鳶の羽を拾ってきて、毛の部分を綺麗に取って、根元にしなりをつけて使っている。

弟子は現在5人いる。 
一番弟子は10年になる。 去年に入った子、2年、3年、5年経った子がいる。(男性3、女性2)
研修所でも教えている。 8時15分から5時15分までが私の仕事場の時間です。
漆器 1年目は丸いもの、 2年目は角いもの、3年目は融合したもの、竹を割って竹を編んで物を作ることを教えている。 4年たったら年季あけと言う式をやって卒業してゆく。
昔より年季明け式は簡略化されてきている。  
年季明けする人の友だち、ご両親を呼んで、私の友だちとか、うちの家族集まって、親子盃をやって、親子の縁を結んだよと言う事をやって、記念品を渡して、宴会を行う。
輪島の後継者が育たない、後継者が少ない、業界が若い人たちを取らない(不景気もある)
即戦力がどこでも欲しいと思うが、基本的なことを教えていって、自分のところで一人前にしてそこからまたと言う事はなかなかやらない。(弟子をしっかり育てていこうという時代では無くなってきているのでは)
教えると言うのは授業料を欲しいぐらいなのに、手当を出しながら教えてゆくと言う、その辺の難しさは業界としては問題があるんでしょうね。

竹材 表面はあまり必要ではなくて、節の長いのがほしい。(45~50cm) 節の部分は使わない。
裏山から取ってきて、油抜きの工程を経て、井桁に組んで乾燥させる。
秋にきりだす。 ひと夏越したものを順々に使う。
漆 漆をかく職人が少なくなってきて、私は岩手県浄法寺町でかいてもらっている。
ほかに茨城県大子、 飛騨の高山、岡山県の奥の方で漆が取れる。
97%は外国品(中国が多い)  昨年から価格が1.5倍になってきている。
弟子を取るようになったのは50歳代の後半からだと思う。
研修所でどうしても習いたいという事で、成り行きで取ったが、赤の他人と言う事で妻にとっては厳しかったと思う。
人間国宝になると、技術伝承 後世に残してゆくのが必要と成るが、認定される前から弟子を取っていたので、あんまり考えたことはない。

弟子の教育、一人一人に対する考え方、見方をするようになって、人間としての成長が自分自身有るように思う。
素姓の違う子たちを、どういう風に仕付けながら育ててゆくかと言う事は、仕事を教える以上に難しいものがある。
研修所での教育と言うものは教えるだけなので簡単だが、仕事場の弟子は教えてその子たちが、どう育ってゆくかをしっかり見ていかないといけない。
世の中で生きていけるように、仕事場にいるうちから生きざまを教えていかなければいけないのではないかと思っている。
弟子を育てる信条、人間性と言うものではないか、芸は人なり。 
でき上ったものから人間を想像できるようなものを作ってほしいと思う。
技術も大事ですが人柄が大事だと思う。

松田権六先生から図案日誌を書きなさいと言われて、自分の作品のアイデアをメモする。
アイデアスケッチを一杯書きなさいと言われた。
若いころのデザインと、今のデザインは違うが、体力的にも、技術的にも衰えてきているが、どういう風に融合しながら、どういう風に表現するかというのが、これからの私の課題だと思っている。
それをしっかり見極めて製作に生かしたいと思っている。
70歳になったらつややかな漆が美しいと思うのと、70歳なったら70歳になった漆を自分で探さなければいけないのかと思う。
素材をどう活かしてゆくかが大事だと思う。
漆と言うものは、樹液を取るのに6月から9月にかくが、養生かき と言うのは1年でその木をかききらない、3分ぐらいかいて、何年か先にもう一度かく。
もうひとつは木からその年に出る漆を全部かきとり、切り倒してしまう。
一本の木からの生命、人間でいえば血液、大切な樹液を使わせてもらっているので、尊い物を自分の仕事に生かしてゆく有難さを、大切にして行かなければいけないのではないかと思う。