2014年4月21日月曜日

井上萬二(陶芸家人間国宝)    ・井上萬二人間国宝、白磁の魅力を守りぬく(1)

井上萬二(陶芸家人間国宝)       ・井上萬二人間国宝、白磁の魅力を守りぬく(1)
昭和9年生まれ 85歳 真っ白な白磁の壺や皿、花器などを作ることで知られ多くのファンを魅了しています。
白磁の原点は化粧しない美しさと語る井上さんは、1995年平成7年重要無形文化財、白磁保持者に認定されました。
息子康徳さん、孫の祐希さんと共に白陶に励んでいます。
生家はもともと窯元でしたが、15歳で海軍の飛行予科練習生と成り、1945年に復員しました。
16歳で父の進めで、柿右衛門窯で働き始めて轆轤を学びました。
県立有田窯業試験場の技官として勤務、若い人への指導のほか幅広く独自の技を極め、窯や釉薬、デザインの研究などにも励みました。
轆轤の神様と呼ばれ、多くの人たちから指示されていて、アメリカでも陶芸を指導してきました。   来年で陶芸家として70周年を迎えます。

敷地 1200坪 工房、住まい、駐車場、庭
轆轤の神様 焼き物を加色をする前に形を作るのが原点、思う様に製作できるようになるまで無給で修業しないと、親から無給で精進するように言われて、戦後の混乱の時代だったので、修行にはいい環境だった。(遊びの世界が無かった) 技術に専念した事に依る所以だと思う。
伝統は常に新しくなくてはいけない。
時代時代に無名の陶工たちが作り上げた名品が伝統として残っていて、それを模倣する事が伝統ではなくて、受け継いだ技を正しく受けついて、そして現代の平成の伝統を作り上げてゆくのが我々の世界です。
先ず形を作るのに専念する。
3世代展を開催。

陶磁器 磁器を石を原料としたもの、陶器は粘土。
白磁 究極の形を生みだしたものが白磁だと言いたい。
加飾 白磁は白単色で加飾の無いもので、最高の美人に作らないといけない、その為には形がいい、スタイルがいい、顔立ちもいい最高の美人を作らなくてはいけない、化粧はする必要がない、形が完ぺきというもの。
創造するセンスと作りだす技術と人間性があいまって作品が生み出されるものだと思う。
陶土 不純物の無い状態にしなくてはいけない。(環境、着物、手、等清潔に)
陶石の選別
白磁はごまかしのきかないもの。(加飾では誤魔化すことも出来るが)
土こね3年 気胞が出ない様にこねあげる。

硬い陶土で製作するので力も必要だし、それ以上に技が必要になってきて、なかなか土が思う様に動いてくれない、10年ぐらいは土は文句ばかり言うが、20,30、40年とたつと、素直に動いてくれるようになるが其域に達するのが技ですね。
形になって、乾燥、仕上げ (綺麗に仕上げる技が必要) 
表面を拭いて、素焼きをする (900土)
表面に釉薬(白釉)をかけて、本焼きする。
窯の焼成、炎の違いによって微妙に色合いが違ってくる。
鉄を原料にすると還元して青、 酸化したら黒 銅を原料としたら酸化したら青になる、還元されたら赤になる。
酸化、還元に依って窯の色合いが違ってくるので窯のテクニックを総合して一つの作品が生まれてくる。
小さくても大きくても、窯に入るまでの工程は1カ月~1カ月半かかる。

技術も昔ほどには修行も永くない。  蹴り轆轤 腰も手も動くので、技に依って作り上げる。
電動なので手先だけの技なので、容易になった。
昔は陶芸はできなかったが、最近は女性の進出が多い。
窯元だったが、軍国少年だったので、将来軍人になろうと言う様な夢を抱いていた。
14歳の時にパイロットになりたいと思って、親の目を盗んで試験を受けて、15歳の時に海軍の予科練に行った。
軍隊での訓練、強靭な精神力を叩きこまれて、若いころの精神力で戦後無給で精進できた、耐えたので、轆轤も巧くなったと思う。
土曜、日曜もなかった。

復員して有田に8月16日に戻る。(16歳)
親が焼き物の跡を継いでくれと言われて、自分が作ったものを自分で売り出す事をしたかった。
修練に励むことになる。 無給、で勉強した。
昔の職人は変わり者が多くて、盗め学べと言う事を言われた。
定時以内は先輩の手伝いなどをして、5時以降は一人で、勉強する機会になった。
師から心の技を受けると言う事をつくづく感じた。
何事も心がないといけないと思うが、表面の美的な感覚を持てばいいと言う様な状況で、表面の美も必要だが、かまどに古い破片を拾いに行って、その裏を見て美を感じていた。
展覧会で入賞する事もいいけれど、審査員する人が裏まで返して見る美的感覚を持ってくれたらいいけれど、表面だけの美的感覚だけを見て貰ったら、焼き物の真の意味が駄目だから、評論家と実務者の見る目が違ってくる。

今からの若い人たちは技の表裏の美の世界と論と文の世界を持っていかなくてはいけないと思う。
奥川忠右衛門、 人生の中で出会いは一番大切だっと思う。
7年修行して、どこまで修行していいのか、壁にぶち当たって、其時に昭和27年ごろ、奥川忠右衛門に出会って、大きい壺を作るのに、神技的なめまぐるしい技で作りだしてその技に驚嘆して、給与を観たら普通の技術者の3倍の給与を貰っていた。 
どうせやるならこの人に近づこうと思って、奥川さんの家に行って、教えてほしいと言ったら弟子は持たないと言った。
こよなく酒を愛された豪快な方で、日曜に入って技術を学んだ。
3年間学んだ。(大壺の作り方など)
座右の銘 初めて東京で個展をするときに、小山富士夫さん 東洋陶磁研究社 文化庁技官
に推薦文を書いてもらう様に依頼した。
あんたには書く必要がないよと「名陶 無雑」 いい焼き物には雑念がない。
こんにち、それを座右の銘にしている。
平凡で丸い形が一番難しい。 それが最高の美でないと駄目 平凡だから一番難しい。
いつまで見ても飽きのこない形。
死ぬまでが我々は修行なので、長生きがしていきたい。
精進を日々している。  酒を控えて、腹八分目  ウオーキングをする。