2014年4月28日月曜日

関根勤(タレント)         ・萩本欽一の人間塾

関根勤(タレント)      萩本欽一の人間塾
萩本さんは芸能生活 50周年を迎える。
関根さんは娘でタレントの関根麻里さんを育てた話や思い出のスピーチ、生まれ変わったら何になりたいか、など話が弾みました。

「ノーベル賞」
萩本さんにはノーベル平和賞を取ってほしい。  チャンスがあるとすれば、平和賞でしょう。
ベストファーザー賞を貰った。(関根)
娘が生まれた時に、笑わして楽しければ世の中楽しいんだと、すりこもうと思った。
兎に角娘を笑わせました。 お風呂で歌いながら麻里に向かって尻を振り、麻里がそのリズムに合わせて勤の尻を叩いていた。
桃太郎を毎日読んで、ぼけて聞かせた、そうすると娘が突っ込んできた。
花咲かじいさんが入ってきたりする。

「思い出のスピーチ」
西山 浩司の結婚式 式後、食事中にアドリブで始めた。
アドリブでやった結婚式が一番泣けた。
言葉を揃えてないから、たまたま、それでは隣のおばさん お話をと、ギャグ風にいった。
「私、私 私・・・ 」しか言っているうちに涙を流した。(西山氏の妹だった)
そのうち周りから拍手がわいた。(言葉ではないと思った)
最後にお父様に、と言う事で、だまってたが、一言「私は今日まで娘がとられたと思ったが、でもこんなに素敵な皆さんの言葉を聞いているうちに、今私の娘は、西山のところに嫁に行ったと気付いた。」
仲人を一度やった事がある。(関根)  ギャグを入れて、詠み出したら、一人で笑い出してし舞った。(妻からはしかられたが、その人からは喜ばれた)
小堺君の結婚式で、私が司会で、萩本さんは主賓で、小堺君の友達がスピーチで出てきて、いきなり萩本さんに「欽ちゃん、ご飯たべてる場合じゃないよ」と言って、私は小堺君と目を合わせて、あいつ何言うんだと焦りましたよ。

「9回裏 2アウト 満塁」 
3点負けていて、其時勝ったよ、勝ったよ、と言っていた。
バッターを呼んで、耳元で囁いた。 腕がないのでお前はお母さんに打たしてもらえと言った。
バッターボックスにたったが、戻ってきて、お母さんは熊本にいるので、熊本はどっち方面ですかねと言って、空がつながっていると言ったら、3塁打を打って同点になる。
そのあと、またヒット打って勝った。
大事な時こそ、非日常的なこと、だらしなくする。
ペルーの女子バレーの監督がピンチの時にタイムアウトするが、「今日のランチ 何食べる、パスタ食べる このあと皆で食べよう だからがんばろう」と、ふっと力が抜けて、絶対打ってこいと言うと硬くなる。
関根、小堺は駄目 気が小さい 駄目だからいい。

「生まれ変わったら」
もう一回コメディアンやりたいか?
出来ればもう一度やりたい、と言いたいが、できれば30代をながめにしてもらいたい、と思う。
人間、30代、40代、50代と変えないといけないと思う。
私は27歳で頭が停まってしまっています。(関根)
生まれ変わったら、サッカー選手になりたい。(関根)
生まれ変わったら、違う人生を歩みたい。 会場では10%
犬は単純でいい、食べる、寝る、生きる この3つに向かって真贄に生きる。
紅鮭 の生き方も尊敬する。(関根)

「最近気になる人」
若手で組むとしたら、コントやるには筋肉の柔らかい人がいい。
瞬間的にその人の動きとしゃべりを見ている。
好きな映画はチャップリンの「モダンタイムス」
貧乏している時に映画をみて、帰りに1時間歩いたが、気付かないうちに家に着いた。
ああいうコメディアンになりたい。
チャップリンに逢いに行ったが、4日いたが会えなかった。
日本から来たのにあってくれないのと、声を出して叫んだら、呼んで家に入れてくれた。
45分ぐらい話せた。(20分ぐらいと言っていたが)
本当にうれしい時は飛び上がる。(チャップリンに出会ったときにそうだった)

大河ドラマで、宮本武蔵の最後の1年を演じてほしい。(関根)
それは駄目でしょう。