2014年5月12日月曜日

佐藤とく子(津軽カイト支部代表)   ・凧揚げて、世界の子供に安らぎを(1)

佐藤とく子(津軽カイト支部代表)      凧揚げて、世界の子供に安らぎを(1)
1937年昭和12年、青森県弘前市生まれ  子供の頃から描く事が好きでねぶたの絵師にも憧れた佐藤さんは、娘が進む道ではないと反対され、その夢はとん挫しますが、絵柄や色彩の魅力はいつまでも心に残り、夫の 凧上げの想い出話が津軽凧の製作へと後押しをしたと言う事です。
親子凧作り教室からスタートした、佐藤さんはその後、地元だけでなく、アメリカの大学など海外でも凧作りを指導するようになりました。
地元でぶんぶという津軽凧は空高く上がり、うなりを発します。
戦時中は飛行機の爆音と間違えると、凧揚げ禁止となった歴史もあります。
空には国境がないと言う想い、佐藤さんの作った津軽凧、これまでイラク、ハイチ、スーダン等20
カ国以上の空で舞いあがっていると言う事です。

藤崎町 「富士のりんご」の発祥の地 
津軽凧 大きくて、色彩が凄い。 空に舞う芸術作品。
津軽凧は揚がって眺めるだけでなく、音を楽しむことができる  「ぶんぶ」と呼んでいる。
風の振動に依って鳴り響く音。
津軽凧を作って50年。 主人が凧の想い出話をしたことがあって、父を見送って3年目だった。
父からは聞いた事がなかったが、あるとき思い出話があった。
河原に冬はオオハクチョウが来るが、同じ河原に近所の子を引き連れて、畳一枚の凧を皆で上げたとの事。
津軽凧の絵柄は昔の参勤交代の時にさかのぼる。
江戸で文化を吸収した若い武士が帰ってきて、日本画の絵の趣味を身につけて帰ってくるが、戻ってきてから津軽で日本画を描き始める。

津軽の味がドンドン日本画に沁み込んで「津軽錦」と呼ばれる新しい絵が出来てくる。
よりいいものを、と望まれてくる。 書く方も腕を上げてゆく。
凧の絵柄に反映してくる。 ねぶたの絵柄は江戸にはない。 
ねぶたの同様な段階を経てくる。
ねぷた(弘前) ねぶた(青森) 全く同じ 始まりは弘前  観光的な扱いになってから濁音になった。
岩木川の河原で、凧が舞いあがり、そこで酒を飲んで凧見をしたという古文書の記載がある。
私は本当は藤原歌劇団に入りたかったが、道を誤ると言われて断念、絵は好きでコンクールなどに出したりしていた。
主人の話(主人の父親の凧の思い出話)を聞いたころから、何故か凧に関する文字が目につくようになる。
親子凧作り の講習会が年に1回あり、その講習会を4年間続けた。
墨の線と原色に打たれていって、津軽凧の素晴らしさを感じた。
津軽凧を作ったのは5000どころではなかった。

津軽凧のいいうなりの音は飛行機の爆音の様な音。
戦時中はB29の飛行機の音に似てしまっていて、禁止令が出てしまって、戦後になってもそのままだった。
郷土の伝統文化がすたれてしまうのではないかと声を挙げたのが地元の新聞社で、教育委員会、商工会が一緒になって親子凧作りが始まった。
タイミング良く弘前に習いに行く事になって、ドンドン横のつながりが出来て、広がった。
大きさ10m×6mの凧を作った。 重さは2トン 揚げるために人と続く風が必要でなかなか思うようにならなくてまだ揚げてない。
場所がなくて、大きなりんご倉庫に展示されている。
文化祭 会場が弘前で展示しようと言う事になり、計画した大きさで大丈夫と言う事で、大きな凧を作った。 一人で作った。
新しい凧でお祝いしようとの想いがあった。  製作には18日間かかった。

材質は和紙  裏打ち、裏にのりを使って紙を重ねていって裏貼りをするが、紙と紙の間に空気がはいらない様にはけをうちつけて、何枚張っても、一枚に見えるように、取りつけたブンブと一緒に共鳴していい音が出る。
ぶんぶ  古文書を使うが、和紙の種類によって、強さがないものもあるので、和紙を選択しながら、ぶんぶの仕掛けをつくる。
確実なのは神田の古文書巡りをする。
裏は板が付けられていて、ひばの木を使用している。
竹は育たないので、竹と同じ条件の木 それがヒバの木の真目 最近は高価です。
作る楽しみ、揚げる楽しみ、見る楽しみ 
揚げ方はある程度、図絵柄、絵柄が見えないといけない。 酒を飲みながら見る為。

アトリエ内の展示されている物の大きなものは、大きさは3m×1.5m 
描き始めるときに目から描き始めるが、気にいらないと目を描いて失敗と成る。
図柄は先人たちが苦労を重ねて行った図柄なんです。
図柄の心を伝えていかなければならない。 
私は深い雪を歩いて薙刀の稽古に通って、夜は日本舞踊を習った。
祖父母から聞かされて育ったので、凧を始めたのは侍と言う事で、凧に惹かれる思いはあります。
「ノー ボーダー ザスカイ」 空に国境は無いと言う事で世界の国々に凧を揚げようと。
津軽カイトクラブ 主人は外国に釣りに行って、外国の海岸では凧揚げを楽しんでいると言うので、津軽の凧もここだけで小じんまりしているのではなく、世界に津軽の伝統のある凧があることを知らしめるというか、それも必要ではないかと、賛同してくれて、この名前になった。 
1991年 津軽カイト支部設立 
凧の仕事をするのはどうしても夜になるが、あっという間に夜が明けてしまう。
寝ないで3日は持ちます。 食事も少なくなるが、その方が調子がいいです。
津軽凧は民画ですね。