2014年5月1日木曜日

川向正人(小布施まちづくり・所長)  ・住む人が主役、小布施の街づくり

川向正人(小布施まちづくり研究所・所長)   住む人が主役、小布施の街づくり
1950年昭和25年 香川県の生まれ 東京大学建築学科を卒業後、ウイーン大学に留学し、ヨーロッパの街づくりを研究されました。
帰国ご、小布施町の街作りに関心を持ち、2005年 平成17年、東京理科大学と小布施町で街作り研究所をたちあげ、その所長に就任しました。
町と大学が連携して、街作りに取り組むのは初めてのケースで、研究所には学生が常駐して、街作り大学などを開いて、町民と共に街作りに取り組んでいます。
小布施町は長野県の北部にある人口約1万2000人の街、栗の産地として知られているが。30数年前に始めた街作り事業が成果を上げ、今では年間120万人余りの観光客が訪れるようになり、街作りの成功モデルと言われています。
街作りの基本的な考え方は住みやすい街を自分たちの手で作る、その為に町民はじっくり時間をかけて話し合う独特の手法を作りだしました。
世代が代わり新たな課題もあります。  
その解決に向け、街作りの研究所は10年目を迎えます。

4月から5月にかけては凄い人出になる。 年間120万人を越える観光客が来る。
葛飾北斎が最晩年に小布施に来て、残していった肉筆画と祭り屋台などを収納している北斎館がある。
メタセコイア 中国で化石として発見されて、1950年前後に、伝わってきて、大木になった。
高井 鴻山 (豪農、豪商、文人) 子供たちは幼い時から京都、江戸で勉強させる。
戻ってきて街作りをする。
修景 必要に応じて手を入れてゆく。
街並み保存 運動として起きてくるが、保存と言う考え方 歴史的なある時代の様式に戻して、それを保存してゆくが、修景の場合には古いものを受け継ぎながら、そこに新しい要素を加えてゆく。
修景は古い家を壊すのではなく、家を引いて、或いは解体して、その時代にあった生活のスタイルに変えて、現代の生活にも合う様に、でもできるだけ昔のたたずまいを残してゆく。
自分たちも参加してゆく。

敷地の中だけ良ければと考えるが、それだと街全体として見たときにはちぐはくな状態が生れてくる。
其時に、周りの風景にどういう風に影響を与えるか、修理工事を機会に風景を良くするようにやりましょうよと、呼び掛けてゆく、その基本原理が修景。
そのお手伝いをする、その為に研究所ができた。
住民の皆さんの自分の家を治し、家の前を修理し、から始まるが、其時にこういう事を考えてはどうですかと言うところから始まる。

1980年代前半 高度経済成長で日本全体が豊かになると、西洋的なファッション、ライフスタイルが地方にも広がってくる。
地域の特徴が消えてゆく。 空気がよどんでいるような状態になる。
他の可能性に賭けて失敗してしまう街と、自分たちでしっかりやらなければいけないという街、小布施の場合は後者だった。
町長のリーダーシップ、建築家の宮本さん がいた。
最晩年に北斎が肉筆画を残し、天井画を描くが、ブローカーに持ち出される可能性がある時代になるので、北斎館(収蔵館)ができる。
代々の町長がその考えを引き継いでいる。(街作り)
住民がかなり中心になっている。 (行政、信用金庫、住民)
ちょっとずつの触発は行政だが、自分たちでやるのが基本だと、その精神が大事。

小布施の街作りは、住んでいる人の意思の統一をはかる。
土地については売買をしない事に住民が決める。
敷地の形状の具合が悪いと、土地を交換して、整える。
複雑な要素を組み立ててゆく。(伝統的なものの継承、現代の生活の状況 新旧の取り合わせ)
水路、小道があちこちにある。  栗の木のブロックで一つずつ作ってあって足に優しい。
里道 が大切に残されている。 歩いて楽しい街。
オープンガーデン 自分の庭を手入れをして解放して見せる。
花の苗、種から育てる施設を作って、そこで育てた苗を公共の歌壇に植えたり、安く分けたり、行政的なサポートがある。

私は大学院の時代に、ヨーロッパに留学したが、ヨーロッパの街を知ることになる。
第二次世界大戦の復興から街作り。
帰って来て、1980年代の前半に 修景事業が始まるが、直後から(1980年代末)、小布施にお邪魔している。
2005年に研究所ができる。  学生が常駐するようになる。
街作り大学 年に5回やっている。
分析して、ちゃんとした情報、データで未来の姿を作ってゆく、学問的な体質を持った街作りにこれからすべきだと、研究所ができるときに有った、基本的な考え方です。
学生たちがコツコツとデータを集める。
関東圏からの学生が多く集まる。

小布施に来て癒される、ここにきてどこにもない場所だという街であることが大切、その大切なものを作るために、陰で力仕事をしている、手入れする事が必要。
舗装、水路まで気を使う。
街全体の観光地化とそこに住んでいる住民の住み心地は?
観光の有り方 住民側からすると真意が理解されていない事もあるかもしれないが、この街がこれからも発展してゆくためには、どうあるべきかと、考えてゆく。
観光をどうするかと言う問題の立て方はしていない。
生活を中心に観光があってもいいし、交流があってもいいし、地道な街作りがあってもいい、と言う考え方。
世代交代が一番、問題だと思う。  30年経っている。
街作り、同じように耕してゆく様な役割りを次の世代にもやってもらいたいが、作り上げた環境を生かして、交流、海外との交流とか、時代のなかで自分たちで考えてゆかなくてはいけないと思う。
街作りとしては小布施は相当のレベルに来ていると思う。