2014年5月15日木曜日

野口義弘(ガソリンスタンド経営)   ・信じ続ければ応えてくれる

野口義弘(ガソリンスタンド経営)    信じ続ければ応えてくれる
25年近くにわたって、少年院や少年鑑別所から出所してきた少年少女等を、従業員として雇ってきました。
受け入れた少年少女たちは120人になります。
保護司をしている妻の言葉がきっかけになって、少年少女の受け入れを始めた野口さん、これまでガソリンスタンドの売り上げを持ち逃げされたりして、挫折しかけたこともありましたが、少年少女の成長を止めてはならないと、一人ひとりのケースに向き合ってきました。
野口さんは少年少女達とどう向き合ってきたのか、その歩みの中で野口さんが得たものは何だったのか、伺いました。

非行歴があっただけで、ハローワークに行っても、面接で断られるので、お父さんのガソリンスタンドで、雇ってくれないかと妻から言われたのが、初めでした。
昭和58年、福岡県の小倉南警察署から少年警察指導員というボランティアを受けていたので、立場上、恐る恐るやといました。
16歳の女性 16歳とは思われない化粧をして、シンナー、無免許運転、家出、家庭は豊かだったが、一人娘で、ちやほやされて育った大変な子だった。
暴走族のリーダーと夫婦気取りで、夜遊びを転々としている状況だった。

9店舗あり、ガソリン以外にも商品を売っていて、実はその子が販売1位になって、其ことで彼女自身が自信を持った。
「子供たちはみんな寂しい、絶対茶々を入れないで、目線を一緒にして、兎に角ゆっくり黙って話を聞いてほしい」と、妻の一言がとても大事にしている。
聞いてくれたと思うと、困った時はこの人は助けてくれると、思った時に初めて心を開くと言う事をその少女から実際に習いました。
認めてもらったことがないと言う事で、ゆっくり話を聞く事に依って、自分を認めてくれたんだ、信じる人ができると言う事は子供達にとっ、てとても大事なことだと思います
その少女は、今は普通の結婚をして、普通の家庭生活を送っています。(現在39歳)
この子のお陰で、大勢の少年たちと目線を一緒にして話せるようになりました。

私は高校に行きたかったが、父親を中学1年生の時に、肺結核で亡くして、母親も高血圧で半身不随になりました。
学校に行く状態ではない貧しい生活をしていて、其時に地域の方々がいろんな形で応援してくれて、バス会社に13人入社したが、中卒は私だけだった。
地域の人の愛情を受けて、それが今の子供達と相通じる思いがあります。
結婚して、子供ができたが、ミルク代が大変だった。
北九州に転居して、ガソリンスタンド業界に入りました。 1年もたたずに大いな店舗の所長になって、平成7年に独立する。 
毎月80万円、5か月赤字続きで、磨きの洗車をやったら、福岡県下でNO1になった。

120人は 不登校、引きこもり、鑑別所、少年院  8割が中学校卒業して20歳未満。
雇ってくれることが、噂になり、そういった子どもたちがきました。
想像を絶する生活をしていた子供達、自分で食べることができないので、コンビニの冷蔵庫から万引きしてくる、挨拶ができない。
働く事に依って、住居を与える、収入を得る、 就職するとに依って友だちができる、会社のルールを知る、不特定多数のお客さんとのかかわり、ができる。
教育をするのは私だけでなく、長男(48歳)、次男(42歳)、妻。  
現在33名の社員(アルバイト含む)のうち17名が少年院を出たりした子供達。
大変でしょうと言われるが、そうではない、最初は私が教育するが、今は先輩がやっている。
少年院を出たばかりの子には、其直近の先輩が指導する様にしている、その方がお互いが問題点を理解しやすい。
初めて給料もらう、大事にして使おうね、と言う事で話す。
子供の給料を取り上げて、親がパチンコに使ってしまうと言う様な事もある。

私のとことはお金を扱います、信じると言う事はすべて、信じますから、半年経ったら売り上げの計算までする。
如何に自信を持たせるか、と言う事が私たちの雇用する立場で大事なこと。
悪いところを治すよりも、必ずいいところがあるので、一ついいところを見つけなさい、それをしっかり褒めなさい、と言っている。   彼等は裏表がない。
裏切られることはいっぱいあります。
店のお金の持ち逃げ、誤魔化し、商品を取られたり、色々あります。
普通の会社だったら、もう駄目ですが、罪は罪としていけないと、言う事で信じると言う事です。
6人グループがうちのガソリンスタンドを叩き割って20kgの金庫を持ち去った。
女の子が警察から指名手配された子だけど、いい人がいるとの話があった。
金庫破りをした子、16歳の面接をする。(面接の中途で判る)
自首してもらう様に話して、拘留されることになる。(自首は罪が違ってくる)

彼は鑑別所に入って、手紙を貰って「自分はもう少し早く野口さんとかに会っていたら、こんなことはしなかっただろう、お母さんを今から泣かせたくないし、自分がちゃんとして行かなければいけないと気付きました」 という内容だった。
歎願書を出して身元引受人になり、協力事業所で8か月働いて、塗装の仕事をしたいと言う事で2年間修行をして、その後独立して、男の子も出来て、立派な生活をして、自分と同じ環境の子供達を今使っている。
店長「あの子だけはやめときましょう」と言われるが、その子は行くところがないんですね。」
私は、大変な時に地域の人の温かい物があった。「愛は与えっぱなし」と言う言葉をうけた。 
罪は罪として償って帰った時に、思いは違うものを持っています、だから私は雇います。
どんな大人と出会うかで、人生が変わってくるんじゃないかと思います。

協力雇用主でもある。 犯罪に手を染めた人たちの更生、手助けをする制度。
平成7年独立の時に、協力事業所に登録。 当時福岡県500万人の人口で僅か22か所
北九州市 100万人の政令指定都市で5か所しかなかった。
現在は全国で11000を越え、福岡県では350社、九た九州市では80社を越える様になった。
地域の人たちが理解してくれるようになった。 住居、食べもの等のの低価格で提供。
就労支援=更生支援  
デメリット スタンド保険が高い 事件、事故が多い。
メリット  労働力の確保 事件、事故が起きた時は、勉強する、社員の教育と思っている。
信じる、人間関係が出来てくる、お金ではない。
子供達の感受性は普通の人には想像できない感受性を持っている。
私のところでは、成果主義を取っていない。
私が少年たちと関わるようになって、私の生活も変わってきた、私も変わってきた。
小さな会社ですが、役員報酬は辞退しています。 辞退する事に依って、5~6人は雇える。
自分の生活の中で、子供達の生活のあり様を見ていたら、自分自身が子供達から教えられた。