2014年5月16日金曜日

岩波律子(イベントホール支配人)   ・高野悦子さんの遺志を受け継いで

岩波律子(イベントホール支配人)   高野悦子さんの遺志を受け継いで
去年2月、岩波ホールの総支配人でホールの顔として活躍していた、高野さんが亡くなりました。
その、後高野さんの遺志を受け継いで、責任者として活動しているのが、岩波さんです。
岩波さんはホールの前社長だった、故岩波雄二郎氏の長女としてて生まれ、高野さんの姪にも当たります。
フランスに留学した後、入社し、外国部、宣伝部、編集部を経て、1990年に支配人に就任しました。
ホールの創設当初から、総支配人として活躍してきた高野さんの右腕と成って、仕事を支えてきました。
岩波さんが高野さんの仕事を引き継いでから1年余りたちますが、その後もホールは連日満員の映画を上映するなど話題を呼んでいます。

支配人の肩書を貰ってから20年になるが、高野がいなくなっても総支配人にしなかった。
高野がこの仕事を始めたのが30代後半。 その時 総支配人の肩書だった。
上映している映画が好評、「ハンナ・アーレント」連日満員。
現在、映画界は成況と言うわけではないので、このヒットを見て、映画を見たいと言う方はやはりどこかにいると言う事と、テーマに依っては今の時代の風潮に疑問を持っている人たちの気持ちにあったのかという気がしたが、このヒットが励ましになった。
ドイツ系ユダヤ人の女性政治哲学者 ハンナ・アーレント   ナチスのアイヒマンの裁判を描いた映画。
難しい映画ではあるが、真実とは何かとか、凡庸の悪とか、現状と引き比べて関心を呼んだと思う。
年齢層の広いお客さんで、ヒットした理由を考えさせられます。
自分の頭で考えなければいけない時代になったと思うので、そういう時代に、結果的には求められる映画になったと思う。

高野は、私の叔母でもあるので(母の一番下の妹)、一番活発、元気でよくしゃべる人だった。
映画などに気軽に誘ってくれた。
好奇心の強い人で、何にでも興味を持っていた。
特に60歳過ぎてからは、還暦で、赤い服を着ていて、パーティー等でも非常に目立った。
こまめに報告するようにと、よくいわれた。(その割には当人は報告しない)
映画の活動を始めたころは、映画会社から持ってきてくださって、其中から選んでいたが、映画祭に高野が行ったりして選んだりした。
1968年にホールが創立したが、最初は多目的ホールでいろんな活動をやっていた、1974年になって、「エキプ・ド・シネマ」「映画の仲間」と言う活動をはじめて、川喜多かしこさんと高野で、インドの「大樹のうた」 インド映画から始めた。(日本で見る機会のなかなか見ることのできない国の映画)
ヨーロッパ映画でも、見る機会のない映画 商業性がなくても社会的、芸術的に威儀のある映画、という目標を立てました。
内容的には皆さんが日々生きてゆく心の糧になるような作品と言う事でしょうか。

40数カ国、200本以上 最近ではサウジアラビアの映画も上映した。「少女は自転車に乗って」
女性監督が描いた、制約の中でもたくましく生きてゆく少女の話。
大学でフランス文学をやっていた。  卒業後フランスに留学する。
パリ商工会議所、所属の高等秘書養成所 、に行く事になり、実務を学ぶ。
日本に帰った時に、高野からちょっと手伝いに来ないと言われて、そのまま続けてゆく事になる。
最初活字から入ろうと言う事で、雑誌の編集から入った。
英語も出来るだろうとやらされた、外国部、宣伝部、編集部を経てきた。
編集の方では、恐い先生方に原稿をお願いして、当時は手書きだったので読めないので、先生にお聞きしたら、「そのぐらい読めませんかねえ」とよく言われた。 そんなことが随分あった。

高野の友人たち(映画関係)が、映画の紹介してくれたり、してくれた。
思い出に残る作品とかは? 非常に印象深いのが アフリカの巨匠、セネガル人の映画監督のウスマン・センベーヌさん 2007年に亡くなられた。 3本上映した。
1984年 「エミタイ」 1989年「チェド」 2006年「母たちの村」 
日本に来て、セネガルの映画監督なんですが、元は作家 ペンクラブの会長で、当時井上靖さんが日本のペンクラブの会長で、エスコートにもついて行った。
羽田澄子さん 10数本上映させてもらった。 
現在上映中の「ワレサ・連帯の男」 を作ったアンジェイ・ワイダさんがこれで14,5本目 
羽田さんは、老人問題 1986年 「痴呆性老人の世界」  1990年「安心して老いるために」
「終わりよければすべてよし」  老いの問題をずーっと、とりあげてきた。
心の栄養だけでなく、実務的にも勉強になり、感謝している。

好きな3本を選んでくださいと言う試みがあったが、その時に手紙を頂いた。
内容「岩波ホールの映画は、弱いものに寄り添い、見えにくいものに光をあてていらっしゃる。岩波ホールと共に生活を歩んできました。」 と言ったもの。
中年以上の人は映画館にこられるが、若い人は映画館に来ないような状況で、映画館で映画を見ることを若い人に味わっていただきたくて、2時間、3時間を別世界を生きることだと、思いますので、その良さを是非わかっていただきたい。
映画をみて、人生が変わったとか、辛さから立ち直ったと言う人がいると思うので、学生さんを中心に着ていただけるように工夫する。
ドキュメンタリーが多くなかったので、「ミツバチの大地」 ミツバチの世界各地の様子を描いたものとか(自然科学)、新しい監督などにも注目して、プログラムを整えているところです。