2014年5月21日水曜日

安藤竜二(蜜ロウソク職人)      ・蜂蜜の森に生きる

* 明日は休みます。 後日 投稿予定


安藤竜二(蜜ロウソク職人)      蜂蜜の森に生きる
朝日町は山形県ほぼ中央 りんごなど果樹を中心とした農業の街、最上川が流れ、標高1800mを超す朝日連峰がそびえています。
1964年朝日町の養蜂家の家に生まれました。
いなかや古いものは時代遅れ、という見方を変えるには、地域の財産である、豊かな自然を発信して、人と森の距離を縮めるしかないと考え、25年前からミツバチの巣を用いてろうそくを作り始めました。
みつろうだけを使ったろうそくの製造は、日本では安藤さんが初めての試みだったと言う事です。
今では工房はロウソク作りの体験の場として、開放され自然の不思議や、命の循環の仕組みを学んでもら場となっています。

養蜂は、今は果樹園、朝3時に起きてサクランボからりんご畑に移動する時期、花粉交配にミツバチをリースする。
一番の収穫は、5月末からは山のなかに咲くとちの木が沢山あり、一番はちみつが好きなんです。
そうなると毎日3時に起きて出掛ける。
6月はキャンドルナイト、ジュンブライドとかの季節ででろうそくの需要があり、収穫と重なって忙しくて、睡眠が4~5時間になります。
8月は夏の草花の蜂蜜の収穫があるが、それまでと成る。
ミツバチは1カ月ぐらいしか生きられない。
女王蜂がいて、1日1000個、卵を産む。 毎日1日1000匹生まれ、1日1000匹死んでゆくのがミツバチの世界です。
秋になると花が無くなるので、産卵をやめて、冬越しの準備を始める。
千葉県の南房総へ、トラックに乗せて持ってゆき、冬を越す、サクランボが咲くと又トラックに乗せて帰ってくる、其繰り返しになる。

尻振りダンス 蜜のありかを仲間に知らせるダンス  
朝、蜜を探しに出かけて蜜のありかを探して、蜜を吸ってきた蜜蜂が戻ってきてダンスを踊る。
沢山蜜を集めた蜂が一番凄い勢いで回る。
其蜂が取ってきた場所に、皆取りに行く。
蜜蜂の巣 蜜蜂が蜂蜜を食べて作る、おなかからロウを分泌する。(食べた蜂蜜の1/10の量)
蜂蜜を蓄えなくてはいけないので、ロウの巣を作る。
すずめ蜂の巣は木の皮をはいできて、噛み砕いて、自分のつばをのり替わりにして、紙製の巣を作る、彼等は餌を蓄える事をしないのでそれで大丈夫。
ミツバチは蜜を蓄え、保存する習性があるので、洩れないようにロウで作る必要があった。

ミツロウは優しくともると思う。 ススもたたない。 色がすかしだされる。 
花粉の色がもたらした色。 癒される。
ミツロウロウソクは紀元前からろうそくの始まりとして、できたんだろうと言われています。
日本でも一番最初に奈良時代、仏教がお灯明として、遣唐使船で持ち込まれたのが始まりとされて、正倉院のお宝のなかにもミツロウは眠っている。
菅原道真が平安時代に遣唐使を廃止した時にろうそくが入らなくなって、松やにのろうそくが作られ、江戸時代に中国と国交が戻って、明治時代まで、うるし、はぜの実で作るもくろうそくが主流だった。
日本には野生の蜜蜂がいるが、飼いにくい。 西洋蜜蜂は人と一緒に暮らしたい習性がある。
日本では産業になるほど取れなかったので、ミツロウソクは作れなかった。
150年前に西洋蜜蜂が入ったが、パラフィンロウソクが安く簡単に作れるので、ミツロウソクは作れなかった。

1988年に私が作ったのが始まりだった。
巣箱のなかに不必要は部分があり、それを切り取る。(無駄巣)
遠心分離機で蜜と分離するが、分離された蓋の部分(ミツ蓋)  是が材料になる。
精製を直ぐにやる。 お湯で煮て洗う、一晩経つと上にロウが浮いて、下に汚い水が落ちる。
そこからいろんなものを取り出す様に精製を重ねる。
このように1~10まで作って、この仕事を生業にしている人はいない。
材料としてミツロンは輸入されるので、ミツロウソクの作家は今は沢山います。

ある時(23歳)、試しに作ってみたら、夕暮れ時に、火を付けてみたら綺麗で、感動してしまって、
其時は商売になるとは思っていなくて、もっとこだわって作ってみようと思った。
自然が大好きになって、自然のことを伝えたいなあと思って、本格的に始めた。
(前は、高度成長期で、時代から取り残されている様に思っていた。)
釣りに行った時の河原での自然とのかかわりが、心に感じて、この街の自然が凄く気にいってしまった。
この時の心の変化は、自分でも驚くほどだった。(周りからもそう見られたが)
山の木が切られてゆく状況が解った。(拡大造林事業)
広葉樹が切られて、杉、唐松に植え替える事業。
切られてゆく木を自分のものとして捉えるようになった(養蜂業で有ったし)
大きな林道、砂防ダムの建設 高度経済成長時代。
自然を守る会を作って活動したが、一握りなので、なんで開発の妨げになることを言うんだと言われた時代だった。

西澤信夫さん?が地元の子供達を、地元の自然や文化を体験させるという取り組みをしていた。(高度経済成長期にしては、珍しい取り組みだった)
特別講師として、蜜蜂に関する活動をした。(蜂蜜の森体験教室)
自然の魅力を伝えたいなあと思った。
技を習得させるものではなくて、其体験させたものと一生涯親しく過ごすために体験させるものだ、という考え方。
ミツロウソク、養蜂業を通して、自然と蜂蜜のつながりを見てもらう、感じてもらう事にした。
蜂蜜の森キャンドル 蜂蜜の森から頂いた、ロウソク 其部分が伝わればば感謝の気持ちが
湧くのではないかと思った。
子供の母親から蜂蜜を大事に、一滴まで嘗めてもらったと、感謝の手紙をいただいたので、良かったと思った。

いま、とちの木の咲き具合はいい。 4年に一度とちの木は沢山咲く。
この20年ぐらいはばらばら、この10年はずーっと花が気持ち悪いほど咲く。
もしかしたら木が弱っているんじゃないかと母がいっている。
温暖化が一番心配、花の咲く時期も2週間以上早くなっている。
蜜蜂にも病気があり、近頃増えている。(2年に一回出る)
切り売り蜂  一つの群れをいくつにも分けて、そこに女王蜂を入れて小さい群れで貸すと言うのが、物凄く産業として成り立っている。(通常は2~3万匹でひとつの家族)
小さい群れだと役割分担がうまくいかなくなるので、(掃除をする事など)病原菌から付けこまれて病気が出てしまう事がある。
その蜂達は、花粉交配が終わった後に、焼却処分する事になっているが、そのまま飼っている場合もあり、私たちの蜂が蜜を奪ってしまう、大きな群れが小さな群れから蜂蜜を奪う習性がある。
病気の入った蜂蜜を取ってきて、自分たちの子供に与えると病気になってしまう、そういう事が今起きていて問題になっている。

電磁波が蜜蜂の方向感覚を鈍らせて、もどってこなくしているのではないかとか、農薬が影響しているのではないかとか、言われていて、根拠はみつかっていないが。
自然界の昆虫、生き物は影響を受けて、大変な思いをしているのかも知れない、不安、心配。
本当に自然とは有難いと思うので、自然に対して何かしてあげたい。
私はミツロウソクを作って、ミツロウソクの優しい光で自然の魅力を伝える、森の復旧委員見たいな役割りをになれたらいい、と思う様になった。
ミツロウは1年間で1箱から500gしか取れない。東北中の他のところからミツロウを送ってもらっている。
エコミュージアム 朝日町全体を博物館として捉えて、環境と人のかかわりを探る博物館。
仕事、生活等の話を聞いて文章にしたり、パネルにしたり、パネルディスカションをしたり見学会などをしているが、高度経済成長時代に田舎は本当の宝を捨てられてしまったと思うので、もう一回拾い直して、泥を落として光輝かせる様に、淡々と一緒にやることがアイデンティティーを、獲得し直しことにつながるのではないかと、20年以上やっている。