2014年7月16日水曜日

吉見正信(宮沢賢治研究家)  ・医療・介護・被災の現場に生きる賢治の言葉

吉見正信(宮沢賢治研究家)  医療・介護・被災の現場に生きる賢治の言葉
吉見さんは昭和3年 東京生まれ 戦後大東文化大学を卒業した後、雑誌記者生活を経て、昭和26年岩手県に移り住んで県内の高等学校などで教壇に立ちました。
宮澤賢治の作品に惹かれて、20代半ばには、賢治の研究を生涯のテーマと決めたそうです。
多くの著書に加えて、去年の秋からは全部で7卷の吉見正信著作集が刊行されています。
その第二卷、宮澤賢治の「心といそしみ」の中で、吉見さんは津波からの悲しみを押し返した、賢治詩という一文を書いています。
吉見さんは2010年11月から、国の補助を受けて始まった、岩手県地域人材育成事業の中で、医療・介護における倫理学講義を担当して、賢治の「雨にも負けず精神」を挙げて講義を進めました。
翌年3月11日に発生した東日本大震災で、受講者たちの多くが被災しましたが、賢治の言葉をまなぶことを通して、どのように悲しみや苦しみから、たち立ち上がったかが報告されています。

子供のころから文学少年だった。  武蔵野生まれだとか、問題意識は、気に入った自分の気持ちとして身に付けていた子供だったと、懐かしんでいます。
昭和16年旧制中学校に入学、1年生の12月には大東亜戦争が勃発している。
4年生で繰り上げ卒業となった。 軍国主義教育の申し子 勤労動員ばっかりだった。
3交代で夜中にも働いて、軍用機の部品を作っていた。
2度も大空襲で被災して、焼跡を逃げ回った。 沢山の焼死、爆死した屍を避けながら逃げ歩いた。
大学は、漢文専門の学校 昭和29年に漢文教育はやっと選択科目で1時間ぐらいの授業はしてもいい様になった。
雑誌社に入るが、敗戦国民の屈辱を嫌と言うほど味わって、アメリカ兵の居ないところで、勉強したかった。
平泉に科学調査団をいれたという報道が新聞で連載されて、ミイラ、金色堂などの新聞記事に、カルチャーショックを受けて、こんな日本があったのかと言う事で、宮澤賢治、石川啄木も出ているから、憧れて岩手に決めた。
高校の先生を務めた。
宮澤賢治体験。 田舎町に住んだが、駅まで歩くのに20分以上かかるところを、試しに近道して、藪だの、肥え溜め、崖を降りたりして、4分で着いてしまった。 リスとも目が合い喜ぶ。
得も言えぬ解放感を味わう事ができた。(戦時下の規制とは全く違う)

花巻で大正10年ころの帳簿が出てきて、賢治の妹のとし子さんの学籍簿 驚く様な成績抜群で、先生は、後のとし子さんを彷彿とさせる所見を書いている。
賢治、ユニークな個性、素晴らしい感性の持ち主だと思う。
しらぬ間に賢治の魅力に取りつかれてしまった。
医療・介護における倫理学講義を担当 今、メンタルケアの時代になっているが、そういう事の先駆者が宮澤賢治だと、思いついた。
宮澤賢治は自分の詩を心象スケッチだと言っている。  
サブタイトルにメンタルスケッチと書いている。
賢治の「雨にも負けず精神」を挙げて、一つのビジョンにして、講座の倫理学を担当。

この詩は、丈夫な心を持つ 賢治の第一の基本  行って、〇〇する。 →ボランティア活動の先駆者
この詩は医療倫理学の基本になる。
この講座の第一期生が終わろうとする寸前に大震災が起きた。
未曾有の大きな悲しみを受けた。
「津波」と言う言葉を使いたくないとの申し入れが、受講者からあったが、それはできませんと言った。
大変な災害によって、経験したことのない最中なので、そのなかで介護しなくてはいけない、そこで現実から目を離して、介護ができますか、と言った。
賢治の妹、とし子さん 25,6歳で亡くなっている方。 
今度生まれてくるんだったら、世の中の不幸、人々の悲しみに苦しむならいいけど、自分の病気ぐらいで苦しんでいる様な生まれ方はしたくない、と言う事を最後の言葉に言っている。
賢治をいろいろ教材化した。  癒しのためになる様な花壇、
「ティアフル アイ」 (涙ぐんだ目)  少年院に目の形をした花壇を作った。
妹の言葉をシンボライズした花壇 (世の中の不幸、人々の悲しみに涙する アートセラピスト)
講座は第5次まで行う。

宮澤賢治は自然の権利、野の福祉を詩で言っている。 驚いた、こんな言葉は戦前は無かった。
80年以上前にこのような言葉を使っている。
宮澤賢治の感性に感服する。
自然に向かって許しを請うている。(木を切ってもいいか、火を焚いていいか、住んで畑をおこしていいか、と山に向かって叫ぶ) 童話の楽しい部分にジャンジャン出てくる。
アメリカが自然保護、自然の権利の概念を打ち出したのは、1970年代。
宮澤賢治はエコロジストでもある。  
自然との共生をすでに持っていた。 
宮澤賢治が亡くなる1カ月前、木は木の心を持っている、岩は岩の心を持っている、と言っている。
紀元前の先人が同様なことを言っているが、現代社会に於いてはドンドン無くなってしまっている。
次世代に、賢治の想いを普段の語らいの中でかみしめてほしいと思っている。