2014年7月25日金曜日

小林幸一郎(フリークライマー)   ・登って伝わる、伝えたいこと

小林幸一郎(フリークライマー)  登って伝わる、伝えたいこと
46歳 フリークライミングの国際大会で優勝するなど、世界を舞台に活躍しています。
視覚に障害があって、現在の視力は微かに光を感じる程度です。
28歳の時の徐々に視野が失われる網膜の病気を発症、将来的には失明するとの告知を受けます。
失意の小林さんを支えてきたのは、16歳の時から続けてきたフリークライミングでした。
岩や壁を道具を使わずに、自分の手足だけで登ってゆく楽しさを伝えたいと、2005年にNPOを設立 、普及活動に取り組んでいます。
今年の春には、つくば市に直営の施設をオープンし、障害のあるなしにかかわらず、誰でも参加できる場として注目されています。

フリークライミングは自然の岩や、人工の壁を人間が本来持っている能力、手や足だけを使ってするスポーツです。
登山の技術の一つ。  
①ハーケンを使って、小さな梯子を使って、大岸壁を昇り切る、人工登坂
②フリークライミングは落ちて死なない様な守るすべは使うが、昇るのは人間の手足で登る。
登山からスポーツに、冒険から街中で行うものに、誰にでも開かれたものに発展してきたのが、現代のフリークライミング 人工の壁ができてからは街中で、スポーツクラブに行く様な感覚で身近に変わってきている。
自分の目標に向かって、壁の中で楽しんでいる。

16歳の時に、本屋さんで立ち読みした山の雑誌が、アメリカから入ってきた新しいスポーツ フリークライミングを始めよう、という特集を読んで、これなら自分にもできるかなあと思って、参加したのがきっかけでした。
当時30年前、人工の壁が世の中になかった時代、自然の岩に登るのが、フリークライミングでした。
最初、長野県川上村 小川山に行くが昇れなかった。
運動は当時苦手だった。
自然の中で過ごす時間の素晴らしさを感じたし、出来ようが出来まいが、自分なりの頑張り方があるんだと、そういうはまりどころがあった。

高校3年の春休みから本格始動でした。 アルバイトと、クライミングをやっていた。
大学を卒業して、旅行会社に就職して3年間、営業マンをするが、転職して顧客向けのサービスでアウトドアの教室、ツアーとかの企画運営の責任者をやらしてもらって、仕事は充実していた。
28歳で目の病気が判るときも、夜の運転、雨の運転の時に見えづらいなあと感じるようになった。
メガネ屋に行ったが、検査をして、病院に行くように言われて、そこで検査されて、直ぐに精密検査をされて、あなたは遺伝を原因とする目の網膜の病気です、この病気は進行性で、治療法はありません、近い将来失明しますと言われた。
言われても実感がなかった。
時間と共に物凄く重いものが、自分にのしかかってきた感じでした。
将来失明しますと言う事で、ガイドの仕事をやっていて、一生生きていくんだろうと思い描いていた、未来予想図が描けなくなった。  葛藤した時期が3年間あった。

新聞、雑誌の文字が読めない、車の免許が書き変えできない、沢山の事が起き始めて、自分の肉がそがれてゆく様な感じだった。
不安が、考え志向を、物凄く消極的にさせた。
仕事も続けていたが、病気が遺伝だと言われて、自分がふさぎこんだ姿を親が観たら、自分の親は親は自分のせいにするというのは、簡単に想像できるので、親の前でふさぎこんだり姿はあまり見せなかったので、其れまでの暮らしぶりとなんら変わらない暮らしをしていた。
親としてどういう風に向き合っていったらいいのか、判らなかったという風にいいます。
何をしてやったらいいのか、一生懸命考えるしかなかった、という風に言っていました。
進行している実感は当時もあった。

人との出会い 医者は、目は覗き込もうと知るけれども、人の心の中は覗き込もうとすることにできない、生き物なんだなあと思っていたぐらいだった。
病院、医療に失望を感じていた。  
5つ目に友人に言われた病院に行って、見えにくい人たちに対する支援する仕組みのロービジョンケアーがあるが、そういった病院だった。
ケースワーカー 社会復帰支援、どういう風に生きていったらいいかの専門職がいて、そこで話があった時に、これから何ができなくなるのか、その日のためにどんな準備をして行ったらいいのか聞いた。
しかし言われたことは、大事なことは、これから何ができなくなるのではなくて、あなたがなにをしたいのか、どう生きていきたいのかなんですよ。
あなたにやりたいこと、生きていきたい道があるのであれば、其れのために私たちも、社会の仕組みも、周りにいる人たちも、あなたのことを支えてくれるはずですよ、もっと自分の道を生きなさいと言われた。
この事が物凄く頭に残った。

やりたいことがあったら、やり方を変えればいいんだと、転換できると、気付かされた。
その先生と出会ってから1年しないうちに、友人の結婚式に誘われて、アメリカのコロラドに行く事があった。
空港に迎えに来た日本人のクライマーが、アメリカには全盲でエベレストに登った人がいる、と言ったので、えーっとものすごい驚きだった。
世界7大陸の全部を登った人。 
その話を聞いて、視覚障害者は自分が思っていたよりも、もっともっといろんなことができるかもしれないと思った。
友人は、その人の本を探して、プレゼントしてくれた。  著者はエリック・ヴァイエンマイヤー
「タッチ ザ トップ オブ ザ ワールド」 書名
エリックさんにお会いしたいと、メールを出した。

彼に会いに再びアメリカに行った。
TVの取材があるから、一緒に付き合ってくれないかと誘われる。
彼とは歳も同じで、似たような環境だった。
アメリカでは沢山の障害者がクライムを通じて、自信を持ったり、自分の中に可能性を感じたりとか、出来ている、もし日本でそういうものが、なされていないんだとしたら、小林、其れはお前の仕事だよと言ってくれた。
フリークライミングは細々とは続けていたので、自分の歩いてゆく方向と、視覚障害があっても自分はこういう風に生きていこうと言う方向とを、決定付けてくれた、病院の先生との出会い、エリックとの出会いが今の私につながっているかなと思います。

2005年からNPO立ち上げ。   「モンキーマジック」と言う名前 
視覚障害者にフリークライミングを普及させる事が、設立当初の活動の大きな目的と言う形で動き始めたので、関東で月に3から4回やっていた。
情報伝達、HKK 方向、距離、形  時計の針の方向で、方向の指示をする。  
距離は5段階、直ぐ近く、近くとか5段階に分けて指示する。  
石(ホールド)崖についているが、肉まんみたいなのがついているとか、具体的な形状を指示する。
視覚障害者がイメージしやすい、楽しいやり方を一生懸命編みだしたらいいと思ってやっています。
スクールの参加者は延べ2500名を越えるぐらい。
3年前から新しいイベント 障害のある人とない人が、クライミングを通じて、交流をするという事を毎月1回東京で始めている。  年間500名が参加している。

目の見えない人と聞こえない人との交流。全く見えないわけではないので、その人に合わせたコミュニケーションの方法を見つけてゆく。(一つの手段として、紙に大きな文字を書くとか)
人が社会の中で暮らしてゆくなかで、あるべき姿は存在しているのでは無いかと、NPOとして当初、視覚障害にクライミングを普及することを中心に於いていたが、最近は視覚障害を中心に障害を持っている人達にクライミングを普及する事に依った、様々な環境に在る人達がもっと普通に、もっと元気に、もっと笑顔に暮らせる社会の実現を目指そうよと言う風に、成長、発展してきた。

パンフレット
小さい子から老人、男女関係なく挑戦している。
最高齢は82歳 クライミングを楽しんでいる。
人って、できないと思っていたことができた時に、獲得できる自信とか、可能性とかって、本当に大きいと思います。
できないと思ってしまっている見えない壁を作っているのは、皆さんの気持ちの中に在ると思う。
越えようと自分で行動するかどうか、と言うところが大きいのではないかと思う。
クライミングを通じて見えない壁を越える力、越えようとする気持ちとかを見つけてもらえたらいいなと思います。
つくば市に直営の施設をオープンさせた。
どなたにでも来てもらって、可能性、自信を持ってもらったりするきっかけ作りになる空間だと思っている。
楽しんでもらえるように、いろいろ工夫をしている。(温泉巡りのチェックポイトとか)
今年スペインで世界選手権がある。 
2011年の大会の時には金メダルを獲得したので又金メダルを取ってきたい。