2014年7月28日月曜日

大林素子(スポーツキャスター)   ・萩本欽一の人間塾

大林素子(スポーツキャスター)      萩本欽一の人間塾
バレー オリンピックに選手団としていけるのは12人です。
12人に入ることが先ず、大事。
芸能生活18年目 会えたのは2回目 ちゃんとお話しするのは今日が初めて。
夢なんか持ってもしょうがない時代だった。(萩本)
もともとはバレーの選手ではなかった。 アイドル歌手になりたかった。
自分の思った方にはなかなか行けない。
小学校の時に、小学校の6年の時に170cmになってしまった。
いつも身長はトップで、いじめに遭った。
でか林、ジャイアント素子、うどの大木と呼ばれていた。

言われるのが嫌で、性格的に内向的だったので、言われたら、私 アイドルになれないし、女としてみなされない、みたいな扱いだった。
友だちができないし、立つと目立つので、休み時間とかは座っていて、立たないです。
たまたまアニメのアタックナンバーワンをみて、バレーは背が高い方が有利だと知った。
私をいじめていた4人組がいて、私はオリンピックにでて、彼等にギャフンと言わしたいと思って、中学からバレーを始めた。
20歳で初めて、ソウルオリンピックに出場が決まった時に、体育館で練習をしていて、ファンが見にきていい様になっていたが、或る日 その4人が来ていた。
練習が終わって、4人組が近ずいてきて、サインくれよと、言ってきて、気分としては勝ったなと思いました。

俺ね、人生の中でかたき討ちは嫌いなんですよ。
割と嫌いなのが、大石蔵之助。 いじめは人生の最後で恩人になる。
人間って、いじめられるとか、すると悔しいと思う。
そのくやしいという気持ちが、でかいことをやってくる。
立派になった時にあなたのおかげだねと、恩人になる。
あの人たちがいたから、時々このやろうと言うものいたから、私はバレーで日本一になるのだと言うエネルギーに変わったので、オリンピックを出た後に、ファンクラブを造った時に、会員ナンバー 1,2,3,4が彼ら(4人組)だった見たいに、今は本当に有難うと、一番の応援団になってもらっています。
 
大石蔵之助が吉良さんのところに行った時、ぱっと首を切るのではなく、吉良さんあなたのおかげで頑張れた、気持良かった、あなたに会うだけでよい、後は首を取るのは一つの作業だ、吉良さん有難うと言って、去ったら俺は泣けたんだよ、あそこで仇を討ったんで凄く泣けない、あそこで「や―有難う」と言って、吉良さん又元気でね、といったら俺凄く泣けた。 歴史になって無いでしょうけど。

会ってみたい歴史上の人物   土方歳三が大好き。
負けると思っていても、トップに忠誠を誓って戦い抜けるという志の強さ。
私も多摩の人間なので、割と新鮮組は武州、仲間内みたいなイメージがあったので大好きです。
1年に一、二度 必ずお墓参りに行きます。
そこで色々語っています。

僕が一番聞きたいのは秀吉、日吉丸が織田信長の草履を温めた、二人の出来事をなんでこんなに長い間歴史に伝えられているか、草履を温めてもらった信長が、他の人に言ったのか、日吉丸が草履を温めただけなんだと言って、その話がずーっと続いたのか、第三者が見てて、すごいの見ちゃった信長の草履を温めていやがんの、あの野郎、あいつはなんかやりそうだなと、第三者が言ったのか、誰が語ったんでこんなに長い間届いたんだろう。
本人だとすれば、之は彼は曲者だよ。
第三者が綺麗だと思うが。

努力は隠れてしろ と言うけれども、隠れた努力は身にならない、隠れた努力を語る人がいないと、隠れっぱなしの努力になる。
最終的にはいい友達とか、いい仲間がいないと努力は報われない、と言う事。
コメディアンとして3000円だったのが、あるとき6000円になった。
朝早く来て舞台を掃除をしている姿をおばちゃんが見ていて、支配人に言ってくれて、語ってくれたおばちゃんがいたという事に今気付いた。

ソウル、バロセロナ、アトランタ 3回出ている。 4位、5位、9位だった。
行くときは盛大に見送られるが、帰り、メダルを持ってこなかった事に対して、記者から嫌味を言われたりした。
1回戦の対戦相手が当時のソ連で、兎に角ソ連を倒すことに集中し、1日10時間ぐらい練習した。 
ソ連に勝つ事が出来て、そこでピークを迎えてしまったようで、その後格下のチームに負けてしまって4位になってしまった。
オリンピックの選手に言っておきたいのは、御免なさいとか、済みませんでした、とは言わない方がいい、お客さんでそういう気持ちで見ている人は一人もいないから。
試合中、相手チームの一人がけがをし、交代できない場合、その人を狙うかどうか?
勝つためには狙いますね。 動けなくなった人に対しては狙ってほしくはない。
日本も開催国になるので、金メダルを沢山取ろうとするのか、痛い奴がいたので狙いたくないんで負けちゃったでも日本ておしゃれな国だなあ、というオリンピックをやるのかはっきりしとかないと。

運動をやめて、18年間なるが、舞台などで、息切れをしてしまって、今ウオ-キング、ジョッギング等をやる様になった。
血の循環を良くするための運動はやった方がいい。

北条政子 やってみたい。  かわいい役はできない。  卑弥呼をやってほしい(萩本)
マリー・アントワネットをやりたい。

人生はちゃらだと思っている。 いろんな痛い目に遭ったり、損する事があるが、でもそれが固まると、その分だけ幸せが来ると、思っている。
中学の時に、おとなしい子だったが、いたずらして、誰がやったんだと先生が怒鳴ったので、私がやりましたと言ったら、男ならそのぐらいの勇気がなければだめですね、はい坐んなさいと言われ、怒られるとき怒られなかった、其れから明るい子になっちゃった。
怒りたい時に、怒らないと言う事は、人の人生変えられる、自分が変えられたのに、先生の恩返しだと思うから、其れから明るい子になっちゃった。(萩本)