2014年8月3日日曜日

保坂正康(作家)        ・昭和史を味わう(第5回)

保坂正康(作家) 昭和史を味わう(第5回) 
 昭和初期の子供達の暮らし 学校生活 夏休み
昭和一桁から昭和11年まで
都会の子供は、自分たちの住んでいる長屋、住環境の中で鬼ごっこをしたり、縄跳びしたり、郊外に出て行って、自然と触れていた。
紙芝居がこの頃はやってくる。 黄金バット、とかのらくろ とか文化に触れた。
田舎では本当に自然と触れることができた。  
川遊び、水遊び、動物と共生するとか、自然と触れ合う機会があった。
老人と昔話を聞くと言う、事が行われた。
昭和6年9月 満州事変  少しずつ戦争の影がはいってくる。  戦争ごっこが入ってくる。

昭和10年ごろ ラジオ番組 「のぞきメガネ」 ヨーロッパの風景が見えてきたりする。
雨の音など 効果音として作られていた。
童話、空想物語 作文、綴り方  「赤い鳥」 鈴木三重吉が作った雑誌(大正~)
新しい綴り方を通しての人間教育を進めた。
夏目漱石の門下生も協力した、レベルの高い雑誌だった。
綴り方を読むとそれぞれの中に光っている表現がある、其れは大人ができない子供の表現、其れを大事にしていかなければいけない。 人間としての広がりを持ってゆく。(鈴木談)

豊田正子さんは「赤い鳥」の綴り方で特選に度々なるが、後に作家になる。
鈴木三重吉も絶唱している。
豊田さんは職人の多い葛飾区に住んでいた。
父はブリキ職人、2人の弟と暮らしていた。
「火事」という題名の綴り方 特選になる。(小学6年生の時)  
表現が素晴らしい。 文章の写生。 描写の凄さ。
鋭い感性を持った人。
「うさぎ」、「赤い鳥」の綴り方で初入選した綴り方 (小学4年生の時)
キョロキョロ、モグモグとか擬態語が効果的に使いこなされている。
物を見る目が確か。 舞台になったり、映画化されたりしている。

昭和8年国定教科書の改定  
大正デモクラシーで、個人、人間と言うものはどういう人生を過ごすのか、人間、個人を見つめるような教育、昭和8年国定教科書の改定で国家が個人の上に立つ、国家に忠誠を誓う個人に傾斜してゆく。
作文は子供の世界では、ちょっと違っていた。(自由な雰囲気)
段々軍事が前面に出てくる。
陸軍省が文部省などに、軍事の事について教えてくれと、強い要望を出している。
教科書が軍事的に傾いてゆく。
昭和11年8月 ベルリンオリンピック  ヒットラーの時代  開会宣言もヒットラーが行う。
女子200m 平泳ぎ  「前畑頑張れ」実況放送  「頑張れ」が35回 「勝った」が15回 連呼。
男子200m 平泳ぎ  葉室鐵夫選手がやはり金メダルを取っている。

歌「ペチカ」、「二人は若い」、「小さな喫茶店」
昭和8年 防空演習 昭和9年 昭和維新  昭和10年 国体明徴  昭和11年 準戦時体制
と言う言葉がはやるようになる。
軍事がすこしずつ生活に入ってくる時代。