2014年9月18日木曜日

上岡陽江(ダルク女性ハウス代表) ・依存症を乗り越えて支える(2)

上岡陽江(ダルク女性ハウス代表)  依存症を乗り越えて支える(2)
ダルク女性ハウスの主なプログラムには自分自身の体験を語り合うミーティングや薬に頼らない生き方を学ぶグループセラピー等があります。

何故そういう施設を作ろうとしたのか?
女性の仲間たちが治療に来るのだけれど、立て続けに3人亡くなってしまった。
一人は道で心臓発作で倒れ、2人は自ら命を断っちゃうようなことが起きて、どうしたらいいのか判らなくなってしまった。
女性たちが昼間安心して暮らせるところを作れないかと思って、男性のそばにアパートを貸してくれる人がいて、そこを利用する事にした。
薬物依存で入る女性で入る施設は無かった。
アルコール依存症(平均年齢 50歳) にくらべて薬物依存症の人は若い年齢の人が多かった。
薬物依存症の女性は85%ぐらいが暴力の被害者で帰る家のない人が多い。
身体の痛みを止めるために薬物を使うために、売薬、簡単に手に入る物にするから、不法薬物が近くに有るという様な事があって、その結果、女性の薬物依存症の人達と出会って行った。

女性の家族の中で、暴力、DV、レイプの被害等があり、全国に、警察、支援団体が関わった形はセットアップしているわけではないので、そういう問題が起きた時に一人で抱えていることが凄く多い。
全員が不法薬物に行くわけでは無くて、自分で静かにクリニックに行ったり、売薬で痛みどめを買ったりしているが、家族の居場所が無かった人だと、不法薬物のほうが簡単に手に入るという事情がある。
暴力と出会ったりすると、そのあといろんな男の人と付き合って、自分で自分を確認してみたいという様な行動をする時がある。
セックスが怖くない、と思うために沢山セックスするとか、そして横ではお母さんは吃驚する。
どうしたらいいのか判らなくなって孤立してしまう。
水商売の中に入って行って、その中で又騙されたり、暴力と出会ったり、悪循環が起きる。
人生ないじゃないと思うんだけれど、でもその中で皆生き抜いてゆく。
早い時期で相談してほしいし、早い時期で専門の所に行った方がいい。

治療には時間がかかる、それは皆さん知っておいてほしい、10年ぐらいは掛かる。
DV法が成立する前は、近親間の暴力は病院が見なかった事があって、例えば頭を殴られたのだけれど、病院にいっても、うちは近親間の暴力は見ませんと言われた。
1時間説明されて帰された事がある。
暴力の後遺症は思っているよりも時間が掛かる、3年ぐらいは身動きが取れなくなる。
この世界に自分の安全な場所が無いという様な感じ。
暴力が原因でハウスに来る人は、直ぐに飛び出ちゃったりする。
安全と思われるところでも、心配で安全な場所を求めたがる。
ダルクをやって10年目に、毎日そんな話を聞くのは、あまりにも大変で燃え尽きてしまった。
その後あるときに、高野さんが普通の生活の話をしていて、10年経つと普通の生活のことをみんな覚えているんだという事を知って、それで10年経った時からもう一度やる気になった。
治療も必要だが、普通に皆とご飯を食べたり、楽しんだりすることが、すごい大切だと思う様になった。

子供を施設に預けたあとに通所、入寮とかしていたが、あまりに子供を持つお母さんたちが増えて、子供の命が危ないなと言う様な瞬間もあって、それまで母子分離だったが、子供も一緒にと言う様な形になった。
フェミニストカウンセリングセンターの平川和子さんから母子支援という形で、ケアをして安全を計ったらどうかと言われて、説明して行った。
今は夏にキャンプをやったりしている。
10年前の子供たちも大人になってきて、お母さんと自分の命を助けてくれて有難うと、言ってくれた。
3年ぐらい、お母さんの治療につながると、子供の問題が起きてくる。
どうしてこうなるとおろおろしている。
非行とか不登校を解決しようと思って付き合うと、付き合う事にはならない。(安易な解決、 母親の変化もともなっていないので付け焼刃的なもの)
3年ぐらい、お母さんを含めて皆でおろおろしていると、子供は「よく付き合ってくれたよね」と言ってくれて、私も初めて解決を目的にしてはいけなかったんだと、子供に教わった。
私たちは不登校、非行を止めさせたかったが、子供達はいろんな人が自分に付き合ってるという事がちゃんと判って、「陽江さん 大人を信じられないという子供がいるんだけど、困っちゃうよね」と子供が言ってくれた。
人を信頼できる大人になるんだなと、言う感じはして、そうすると相談できる。

今までハウスをやってきて、暴力の中を生き延びるという事は本当に過酷だと思う。
だから暴力は大嫌い。
ダルクの男性の利用者でもっと凄い暴力的だったメンバーが「なんであーだったんだろう」と言う事がある。
自分に居場所と信頼できる人と役割が出来てきたら、自分がなんでああだったのかというのが考えられない、自分は凄い弱い人間だった、と言っている。
自分の親が母親を殴るのを見ると、本当に腰の力が抜けちゃう、そう思ってるが、自分に恋人が出来た時に、やってしまう、判らないけど似たようなことが起きてしまう。
自分が居場所、信頼、自分の仕事が出来てきたときに、初めて「あれはなんだったんだ」と思う。

DVの問題はきちんと話し合う、専門家のところに行く必要はあると思う。
ダルクをやっていて、初め翻弄されたのは、入寮している女性がもう死にます、と言う事で話を聞いて、へろへろになって家に帰り、朝電話が来て、生理になりました、と言う様な事が何度もあった。
女性の生理前後の不安定さを感じた。
疲れと寂しさの違いが判らない事があり、前はもっと遊びに行ってしまう。
わくわく(楽しくてわくわく)とどきどき(危なくて)の違いが判らない、という。
暴力にあったことのない人は、危ないなと思ったら、そこに行かないか去るが、区別がつかない。
反対に家でもっと酷い暴力受けたりすると、このぐらい私は平気、もっと酷い暴力を受けたことがあるから、と人の感覚とか気持ちを麻痺させてしまうもの。
人の感覚とか気持ちを麻痺させてしまうから、本当にドラックが必要になってしまう、それでやっと生活するみたいになってしまう。

いつ頃介入してもらいたかったかと聞くが、それぞれその歳は違うが、皆話かけられたいと思っている。  皆小さいころから思っている。
継続的に声をかけてほしい、見てほしい、学校の先生には褒めてもらいたいと思っている。
罰する事も大切だが、再犯を防止するためにはどうしたらいいかが大切。
暴力に出会ってしまった人に対する教育と出会わずに済んだ人の教育は別にしなければいけないかなあと思います、暴力とか、暴力に対してどう逃げるかとか。
暴力に出会って、死にたいと思っている子供に危険ドラックの名前などを教えてしまうと、危険なら死ねると思って、この子たちは止める気にはならない。
障害を持っている子供たちも、すごくストレスをかかえていて、騙されたりしていろんなことと出会ったりしてしまう。
「皆のお願い」
「病院の敷居は高いけど、早く治療機関につなげてほしい」
「自分より人を優先して生きてきた、常に周囲を気にしてて、罪悪感を持っていて、生きてちゃいけないと思って世の中が怖かったりしている、と言う様なことを知ってほしい」と言っている。
「人はもう一度生き直すというチャンスを欲しい。 チャンスを下さい」と言っています。

私は乗り越えているという感じではない、自分の弱さを認めているというか、症状を受け入れて、他の人と症状を分かち合ったりして、智慧でお互いがどうやったら乗り越えられるか、智慧を共有している。
自分の不得意なことを、話し合って、話すこと、字を読むこと、判らないことを判らないと言えるような関係が初めに無いとプログラムは出来ないかなと思っているが、そこまで信頼関係を持つのは大変、学校で一番痛めつけられて生きてきているから。
私は、痛みとどう付き合うかが不安。 
痛みを抑えるために使い始めた痛み止めで再症してしまったりするので。
ダルクの運営費が足りないことも不安。