2014年10月10日金曜日

奥田敦也(古典尺八奏者)    ・禅の音を求め、手作りの尺八を吹く

奥田敦也(古典尺八奏者)    禅の音を求め、手作りの尺八を吹く
昭和20年 愛知県生まれ 69歳 国分寺市在住 若いころからジャズのトランペッターとしてプロの活動をしていましたが、思うところがあって、40歳の頃古典的な尺八の世界に身を転じました。
奥田さんの吹く尺八は「地なし延べ管」と呼ばれる、古い形式のもので、自らの手で山から竹を切りだし永い歳月をかけて、作り上げた古典的な尺八です。
法竹と呼ばれ、仏法の真理を追究する道具だったと言います。

今ここに30本以上ある。 短いものは30cmぐらい。(1尺1寸) 
節が一つしかなくて一節切り(ひとよぎり)と言われているが、室町時代に吹かれた尺八。
長いと1m以上ある。(3尺5寸) 腕を一杯の伸ばさないと穴の位置まで届かない。
聞こえてくる音 遠音(とおね)と言われる。 手作り。
微調整は門人にはできないので、私がやっています。
今の尺八は中に砥の粉、石膏、漆などを塗って調制する「地あり中継管」と言って、調律がとれる。
真中から二つに切断されている。 調律しやすくなっている。

「地なし延べ管」は継ぎ目が無くて、一本の竹のままで内部に加工がしていない。
尺八は中国からきている。 聖徳太子の時代から尺八と言う言葉が有る。「地なし延べ管」だった。
虚鐸 江戸時代寛政年間に虚鐸伝記告示会があって虚無僧が作った名称が虚鐸という名称。
鈴の古い言葉を鐸と言う。  
銅で作った鐸が銅鐸 鉄で作った鐸の事を大和言葉で「さなき」と言って霊的な力がある。
鈴をたくさんつけて、お祈りをしたりする。
この世とあの世をつなぐような霊的な響きがあるという事が鐸、後に鈴になったわけです。
尺八は虚鐸、あるいは法竹(ふっちく)と言う言い方もされる。
法は仏教的な意味合いからすると真理 真理を求めるための道具に竹を使うという事から法竹ともいう。  仏具と考えられていた。

尺八の魅力は江戸時代に吹かれた独奏の調べ 尺八の本曲です。 
本曲を吹く事を「吹禅」と言います。
坐禅と同じように禅の理念の呼吸を使う。  呼吸を気ととらえて、息を竹の中に入れた時に、気の流れが音に変換する、それを気の表れとして、それがいわゆる本曲だと思っています。
呼吸を吐ききることが大事、吸う息よりも吐く息が大事。
普通の尺八は買う事が出来るが、「地なし延べ管」は自分で作るしかなかった。
「本手の調べ」の曲(吹禅する)

自然の音と融合する。
日本の楽器の音と西洋の楽器の音の違いは、「さわり」 西洋の楽器には「さわり」がない。
さわりが無いと本当のいい音は出ない。 さわりは雑音 
竹やぶの朽ちた竹に風が吹き込む音、至上の音、理想の音と言われている。
さわりは日本人の音の感性から言うと非常に大事。
純音と雑音を平等に扱う。
若いころはプロのトランペッターだった。  ジャズが好きだった。
モダンダンスをやっている叔母がいて(奥田敏子) 父が亡くなった時に追悼公演で、踊りの素材の音に武満 徹作曲の「エクリプス」と言う曲を使って横山勝也さんが吹いていた。
それを聞いた時に吃驚した。

物凄いカルチャーショックを受けて、虜になった。
縁あって横山勝也さんに師事しました。
横山勝也さんはヴェンバー・ステップスを (尺八、琵琶、オーケストラ)をニューヨークフィルと一緒に演奏された。
30年前にトランペットを捨てて、尺八に自分の全てをかけたいと思ったが、トランペットを捨てると生活ができなくなるので、「禅茶房」という名の喫茶店を開いて、尺八を研究していこうと思った。
お客さんの求められるままに演奏する様になって、そのうちお客さんから自分も習いたいと言う人が現れて、ドンドン増えてきて、喫茶店よりも尺八の稽古場の様になってしまった。
外国人も増えてきて、そういう人たちが国に帰って、プロになっていて、「禅茶房」流と名乗っているらしい。

デンマークの女性が11年間ぐらい私のところで稽古をしたあとに、国に帰って、後にロンドン大学にゆき、現在博士号まで取ってしまった。
生徒は130~140人が来ていました。
自分で山に行って取ることから始まるので、竹取の会を催して、毎年秋には山に取り行っています。
昨年で24年続いています。
尺八を作る会を次の年の春に行っております。
最初の頃は群馬県の方にいっていたが、長野県に移って現在に至っています。
演奏活動はリサイタルをしません。   
私の音を聞きたいと言う方は禅茶房サロンに来ていただくのがベストだと思う。
国分寺市の文化祭が秋にあり、勉強会と言ったらいいのか、そんな形でやっています。

10年ぐらい前、禅のCDを出したところ外国から声がかかり、チューリッヒ大学、ウイーン大学、バンクーバー大学、オークランド大学、ロンドン大学等に行って演出している。
「鶴のすごもり」を演奏する。 冬寒い時期に食べものが無くなるとひなが先に弱ってしまう。 
ひなに親の鶴が自分の肉を引き裂いて、食べさせる。
親が心身を砕きつくして、子を育てる、という巣篭因縁経という伝承にもとずく曲と言われています。
迫力のある音 尺八で一番難技巧と言われているのが「鶴のすごもり」で技巧的に難しいものがある。
2尺2寸の尺八で演奏した。 一般に普通もっと短い竹で吹いている。
(尺八の事を奥田さんは竹と呼んでいる)
竹の音は鈴の音、鐸 霊的な音 恐らくこれに近いものがあると昔の人は感じたのではないか。
私も感じています。
竹と言うものは、今の尺八の様に楽器にしてしまったら、そういう魅力は無くなるのではないかと思います。

楽器にすれば、多くの音が出るし、音量も上げられますが、竹の持っている音と言うのは、自然の竹の音は小さな音、小さな音や音色は物凄く豊かだと思っています。
小さな音、豊かな音色を出したいために山にいって竹と出会い竹を取る、出会いこれも縁だと思う。
竹と対話して、お前はどういう性格だとか、竹の持っている個性をいかに引き出すか、そういう個性を引き出す息の入れ方がしゅうわ?(調和?聞き取れず)だと思います。
そこに面白みを感じています。
10本竹があれば10本の個性がある、全部音色が違う、人間と同じ。 
竹の個性を引き出すために、息を探してゆくわけです、それを吹禅の境地だと思っています。
人間が自然に対して謙虚であると言う事が一番大事なことだと思います。
竹はゆっくり心を静めて、息をゆっくり吐き出す、これは健康に一番いいと思います。