2014年10月17日金曜日

中澤嗣子(元大相撲女将)     ・力士を目指す若者と暮らして

中澤嗣子(元大相撲中村部屋女将) 力士を目指す若者と暮らして
1951年愛知県生まれ 金城学院大学を卒業後、1年余りで富士櫻関と出会いました。
医者の家庭に育ち、相撲界とは縁も無く周囲からは反対されましたが、富士櫻の明るい性格と楽しい話し方に魅かれ結婚しました。
当時 富士櫻関は前頭や小結として土俵を沸かせていましたが、結婚生活はマンション暮らしで2人の子育てをする普通の暮らしだったと言います。
10年後富士櫻関が引退し、中村部屋を創設し、以来相撲部屋の女将さんとして力士を目指す若者の世話をすることになります。
中澤さんは強い力士を育てようと、別の部屋の師匠や力士にアンケート調査をしたり、自ら大学院で力士の養成法を研究したりとそれまで相撲界には見られなかったことに挑戦しました。
昨年中村親方が定年退職した為、26年間に渡る相撲部屋の女将さん生活を閉じました。

武蔵川部屋が使っている稽古場が元中村部屋の稽古場だった。
関取のおかみさんになって、部屋の女将さんになって36年間。
退職まで元気で過ごせたことは良かったと思うし、若い目標を持った力士と同じ屋根の下で暮らして、私にとっても、支えになったし力になったのでいい人生だったと思います。
何をしていいかわからないところから始まって、力士の役に立つ事はないかなあと思った時に、心理学とか力士の養成、と言う事で大学院に行く事が始まった。

仲良くしていた家族が相撲好きだった。
たまたま力士が遊びに来ているから来ないかと言われて、母と行ったのが、出会いの始まりだった。
今までにないタイプで、性格も明るいのでこういう人と結婚してもいいかなあと、あまり考えないで結婚した。 
全然別の世界だった。
マンション生活をしたが、1年の半分以上はいなかった。
結構、きっちり生活サイクルは決まっていた。
子供は二人いました。普通の生活が丸10年続きました。

中村部屋を創設
土地探し、銀行とのやり取りなど大変だった。
土俵のある建物を持つ事と、弟子が3人以上という規定があった。
26年間中村部屋をやってきて、120人ぐらいくるが、1カ月で帰ってしまう人もいて、その中から十両以上は4名だったが、十両以上はいなかった。
うちの場合は中学出を沢山取ったので、大学出、海外らは無いので、関取になる確率は少なかったように思う。
若い人を預かるので、さまざまな社会勉強もやらなければならない。
相撲社会は番付けが全てだが、年上に対しても或る程度尊敬しなくてはいけないし、地位が上で有ればちゃんとした振る舞いをしなくてはいけない。

歳を取ってゆくが強く成れない人は大変。 実力社会
団体生活 体罰、いじめなどは目に見えないところで起きているので、難しいが、伝統的教育の中にいじめに近い様な指導の方法が昔からあった。
やらせてから駄目だったら注意する事が基本なので、普段やっていることを見ていないと判らないが、今の子は説明を受けてからやるので、なかなかそういう指導の方法に慣れるには時間がかかるので、教える方もいらいらしたり、教えられる方もそんなことを言ったて、と言う気持ちがあるので噛みあうのが難しい問題がある。
厳しさは大事なので、規則とか、自分で気付く様にした。

五訓
①掃除は綺麗にすること
②自分の事は自分ですること
③時間を守ること
④挨拶は大きい声ですること
⑤返事は大きい声ですること
親方が作って毎日弟子たちに稽古が終るとやっていました。
出来ないと、兄弟子たちから言われる。
寝場所が変わったりした時には何かがあったことが判るので、様子を見たりする。

主人富士櫻は途中首を悪くしたので、稽古場で稽古が出来ない時期もあり、首の筋力をつけるとか、トレーニングをして、弟子たちにもウェイトトレーニングをするように奨励した。
トレーニングセンターに行く事も最近は一般的になるが、成果は本人の気持ちなので、なかなか難しいところがありました。(成果の上がる人と上がらない人がいる)
通信制の高校に通わせた。
親方がスカウトに行った時に断られる理由として、高校ぐらいは出したいと言うのがあった。
大学院で知り合った方が通信教育の高校の秘書をしていて、話が進んで、始まった。
大学院で人はいくつになっても、学ぶと変わるんだなと実感したので、年齢に関係なく学びたい思いがあったら、きっと豊かになるのではないかと感じていた。

幕下まで行った人が身体を壊して、就職しようとするが、学歴が中学ではなかなか就職口が見つからないと言う事があったので、幕下迄行くと言う事は色々持っているので、ちゃんと評価して貰いたいと言う気持ちがあった。
辞めた人が大学を目指すと言う子がいてとっても嬉しかった。
部屋をやっていて嬉しい事は力士が入門してくる時と、十両に上がった時。
入ってきた時は特別な気持ちです。(当人の決断、片腕をもがれるようだという親の気持ちなど)
弟子が急にいなくなったり、重い病気になったりしたことがあったりするが、そういったことを含めて後になっていい思い出の方が多い様な気がします。
親方は、出ていったものは追わないが、頭を下げて戻ってきたものは受け入れるが親方は何にも云わない。

社会人の大学院には色々な方がいて、それぞれの立場からいろんな話題を提供するので、相撲界だけの中にいて考えるのではなく、違った目で客観的に見る事が出来るようになったことが凄く良かったと思う。
専攻は力士教育 修士まで行く。
修士論文 伝統的にやってきたことにも、きちんと人を育てる要素があるので、それも大事にしなくてはいけないのではないか、という結論ですが、そのまま今の若い人に持ってきても無理なところがあるので、親方の立場からその違いに歩みよるとか、今まで以上に時間をかけるとかだと思います。

今の子供の生活環境が全く変わってしまった。
核家族化とか、生活が便利になってしまっているので、工夫が少ない。
力士になる環境がガラッと変わってきてしまっている。
海外の力士にくらべてひ弱、だが大事に育っているので愛情をかけられた分だけ素直さがある。
環境が激変しているが、今まで大事にしてきたことを大事にしながらも、指導法などで何か変えていかないと、と言う風には感じる。
親方の世代が若くなってきているので、それなりに考えていると思う。
伝統の重みの中で、きちっとやってゆく事が相撲が生き残ってゆく道ではないかと思う。
(相撲の素晴らしさとは)
土俵の美しさ、勝負をする息気ごみは素晴らしいと思っています。