2014年12月23日火曜日

早瀬圭一(ノンフィクション作家)    ・「命」を追いかけて40年(2)

早瀬圭一(ノンフィクション作家) ・「命」を追いかけて40年(2)
東京勤務が昭和46年ぐらい、もうこっちで50年ぐらいになるが、人と話す時に、酒を飲んだ時等は関西弁が出たりする。
本音をいうのは関西、関東は飾ったりするので、関西弁の方が本音を聞きだしやすいのかもしれない。
本音を聞きたいと思う時はこちらも本音で応じないと聞き出せない。
女子刑務所を取材していた時に、飲み屋の女将さんが言った言葉に、女の気持ちは朝と夜では全然違うと、夜になるといろんなものが渦巻いていたりすると、いう。
その時によっても、ポツンと一言、言った時に話が広がってゆく事もある。
相手の思いをちゃんと汲みとって話を深く突いていくしかない。

刑事も同じことを繰り返し聞いたり、別の話を聞いたりしながら、真実に近づこうとする。
何度も会うと言う事は無駄に思うかもしれないが、それでもそのなかから新しいものを聞けたりする。
人間をそのまま取材した平尾誠二 ラグビー 小谷正一さん プロデューサー。(彼は面白かった)
新聞拡販の目的で数多くのイベントを仕掛け、西宮球場での闘牛大会、百貨店の絵の展覧会などさまざまなイベントをプロデュースする。
私と編集長で井上靖さん宅に行った時に、小谷さんを紹介される事になる。
小谷さんに会いに行って、売れる週刊誌を作るノウハウを結局聞けなかった。
小谷さんの事を書こうと思った。 伝記を書こうと思った時には亡くなっていた。
小谷さんを知っている人を取材して歩いた。
小谷さんは毎日オリオンズを作る。 
新聞の部数を増やすのに繋がると言うのでやるが、見事に失敗する。
阪神タイガーズの主力選手を引き抜くが、阪神ファンは怒る、優勝もするが、人気は無かった。
「努力は運を引き寄せる。」 宿沢 広朗氏の言葉
本当に友だち、親友、兄弟、親子の様な感じにならないとなかなか本音のところまでは行かない。

聖路加病院で働くということ」 執筆
日野原さん以外の人を書こうと思っていた。
細谷亮太先生を書こうと思った。 先生は俳句、エッセーなど芸達者だった。
細谷先生に会いに行って話をしたら、私の他に面白い医者、看護師がいるので、リストアップするので皆に取材してその中から書いたらどうかと言われて、「銀座の達人たち」終了させ、2008年ぐらいから取材にかかって、ようやくちょっと前(10月)に終わった。(6年間掛かる)
何度となく会って、(病院内、飲みながらなどして) 話を伺った。
30人リストアップしてもらって20人ぐらい取材、4人を対象に書いた。
人間は日常生活の中にいて成り立っているので、日常生活に踏み込んでいって話を聞かないと、描けないと思うんです。

4人の方は死と向き合っている人達  子供が死んでゆくという事は非常に悲しくて辛いという細谷さんは小児がんの担当医としてずーっとやってきた。
小児がんの子供に告知をするのを、日本で初めて行った人。
細谷先生はアメリカで子供に癌だと言う事を告知しなさいというふうに教えられる。
告知する事によって治療法を子供達に明らかにして、治療する。
アメリカにあった本を彼自身が翻訳して、出されるが、医学会とかでバッシングを受ける。
柳田邦男さんが援護射撃をして、次第に理解されてゆく。
石松伸一先生 救急部 死と隣り合わせの人の仕事。  
サリン事件の時に聖路加病院は押しかけて来た患者を全員受け入れた事で凄いと評判になった。
石松先生は浮浪者でも何でも見るので、たまには院長、病院の方針とぶつかることもある。
どう折り合いをつけるかは、その日その日でやっている。
伊部さん 看護部長 看護師からなった人。(聖路加病院看護大学学長
4人とも親を亡くしている人達。 自分たちの親の命も見つめてきた人達。

動物でも植物でも命があって、草花一つ見てても、全て生き物なので いずれなくなるので、その間にどういう風に生きていくのかという事は、この頃は自分では明日死んでも、十分だと思うが、そういいながらもう一日でも長く生きたいと言うのが本音かもしれない。
これからは短いものを自分に課して、自分の書きたいものを書いていこうかなと思っています。
旅は非日常、非日常に踏み込むことはいいのかなあと思う。
発表の当てがなくても書こうと思っている。
毎日同じことの繰り返しの様でありながら、毎日違っているのかなあと思うし、違うべきだなあと思う。
一喜一憂する事が大切だと思う。