2014年12月8日月曜日

小澤俊夫(筑波大学名誉教授)     ・ ”昔話”と我が人生

小澤俊夫(筑波大学名誉教授)   ・”昔話”と我が人生
1930年昭和5年生まれ 84歳 昔話を正しく理解してもらおうと、精力的に活動されています。
大学でドイツ文学を専攻した小沢さんは大学2年生の時にグリム童話に出会い、東北大学大学院で研究を深めました。
以来昔話に魅せられ、日本全国の昔話の収集に取り組み、26卷に及ぶ日本昔話通巻を出版されました。
昔話の研究を進めてゆくうちに、小沢さんは昔話は国や民族の優れた共有財産であることを、確信しこの財産を次の世代に正しく伝えることを決意しました。
今から22年前ですが、筑波大学教授、在職中に昔話大学と言う講座を立ち上げ、全国を駆け巡って、昔話を語り伝える人や研究者を育てる事に力を注ぎました。
これまで2万人余りの方々がこの昔話大学を受講されました。

昔話は文法がある。 決まりがある。登場人物はいつも最初効率的に一人で登場する。
腕を切っても血は流れないとか、水の中に行くけどおぼれないとか、抽象的文学なんです。
子供に昔話を語るのに、いいテキストを選んでくれと言っている、耳で聞ける文章であること。
耳で聞いて分かりやすいことが大事で、文章が単純明解でなければいけない。
昔話大学では具体的な例で解説してゆく。
22年間に84か所でやってきている。 2万人余り。
桃太郎、花咲爺さん、白雪姫、シンデレラ
桃太郎は日本人にとってとても大事な話で、柳田國男先生などは、桃は川上から流れてくるが、川上は山の上で、そこには神様がいました。

桃太郎は神の子なんだと、仮説をたてて、神の子が鬼が島征伐という英雄的事業を成し遂げた。
日本昔話の一番根本だという風におっしゃった。
古い歴史にも関係するし、国際的な意味でもあります。
浦島太郎 海の底に行って竜宮であうが、日本だけでなくアジアの国でもある。
戻ってきたら3年だと思ったが300年経っていたというが、ヨーロッパにもある。
時間差の話。 あの世と人間の世の時間の流れに差があると言う不思議な物語。
昔話は国際性がある。
白鳥の湖と羽衣伝説は同じ (ドイツ、中国、日本)
人類の古い姿、宇宙観、自然観が込められている。
昔の人たちは自然の中で恵みも受けたし、恐れも受けた。
自然の中に不思議さを感じて、いろんなイメージを作って、物語を作って行った。

どこの国の昔話でもシンプルでクリアーな文体をもっている。
音楽と似ているところがある。
メロディーは必ず2度以上出てくる、3度目は似ているが長くなる。
それと同じことが昔話。 
白雪姫は3回殺されている。(1回目は紐、2回目は毒の櫛、3回目は毒の林檎)
今は林檎だけになってしまったて、1回になってしまった。(リズムが無くなってしまった)

3段跳び 2段跳び、4段跳びはない 3は人間が一番乗りやすい、人間の基本的快感がある。
伝えてゆくのが人間の生の声と言うのが大事。
お爺さん、お婆さんから話を聞いて、孫はお爺さんお婆さんから愛されていることを感じる、これが大事。
生の声で語るのが子供の成長にとって大事だと言っています。
昔話は伝承文芸である。 母国語の一つであります。
昔話は日本人が持っている宇宙観、自然観、子供観とか、と言うのをいつの間にか聞いている。
あまりにも便利になって、スイッチを入れれば、全部聞けちゃうみたいな、そうではなくて、昔通りの生の声で身近な大人が声で聞かしてやる、それをやってくださいと言っている。 
皆さんが共有すると、共同体の財産です。
それを失う事はとても危険だと思います。
日本人の独特の自然観、子供観が込められているわけですから、とても大事なことを言っている。

三年寝太郎」 長者を騙して、長者の娘の婿に成る話。
昔の人は道徳をあまり気していなかった、それよりも強く生きろ、このメッセージの方が強い。
(悪)知恵、生きる知恵。  
若者は一生寝ているわけではない、若者は途中で起きる、起きたらちゃんとやる。
一旦起きてしまうと、寝ていたことを忘れてしまう。
昔話は皆が個人が、忘れてしまったことを、日本人全体の共有の記憶として覚えていてくれる、だから大事、共有の財産。  民族遺産です。
語るだけなので、貴重だが眼に見えない、それがどんなに大事か、世間では気がつかない。
生き方を教えてくれる。 人生は綺麗事ではない。
人類の先輩が一生懸命自然の中で生きてきたのが、いろんな形で現れているので、だから壊すなよと言っている。
だから昔のままで伝えてほしい、伝承の中途にいるのだから。

昔話に出会ったのは、大学二年、グリム童話。(ドイツ語の教科書として使った)
グリム童話はグリムが集めた昔話だった。
「太鼓叩き」 日本の羽衣に相当する内容。
「コルベスさま」 猿蟹合戦に相当する内容。
ドイツと日本で同じような話があることに、非常に興味を持った。
昔話はどっかに源があって、其れが世界中に広がっている。
ドイツの児童文学者、マックス・リュティさんと出会ったことが、大きかった。
大学院に入ったころに、偶然にマックス・リュティさんの本を見つけたが、それに衝撃を受けた。
昔話に文法がある、極端に語るのが好きである、写実的には語らない、同じ事が出てきたら同じ言葉で語る、3回の繰り返し(これはリズムである)

日本語に翻訳しなくてはと思い、全く知らなかったが、先生に手紙を出した。
2カ月後に返事が来て、出版、翻訳許可が出て、本当に嬉しかった。
私の一生の先生です。
日本版の序文を依頼して、「私がやったのはヨーロッパの事である。 日本のことについては日本がやる番だ」と書いてあり、それではいっちょやるかと思い、それ以来一生やっているわけです。
資料だけで28卷あるが、15年かけてやって、昔話を分析したら、日本の昔話はマックス・リュティの言ったことがあてはまると確信した。

世界の民話というシリーズを15年掛けてやったが、その時に世界中のメルヘンを翻訳、解説も書いたが、中国、シベリア、インドネシア、パプアニューギニアもそうだし、皆一緒です、不思議ですね。
人の話をお耳で聞ける子供は必ずいろんな進歩をする。
学力も付く。 
聞いて理解すると言う事は生きてゆく上の基本の力、それをこどもたちに体験させる訳です。
学校でも、会社でもおなじ、人の話を聞けなかったら、駄目、集中力。
もう一歩進めば、自分の考えていることをきちんと相手に伝える。
聞いて場面を想像する。 言葉から絵に変換する事が必要で、其れが養われる、想像力。

大人は子供になるべくなまの声で話を聞かせると言う事をやってほしいし、物語、話でもなくてもいいから、ちゃんと子供と話をすることだと思う。
3,4年になり、子供が読んでくれたり、話してくれたら、あいづちをうってしっかり聞いてもらいたい。
道徳と言うよりは、冒険して恐いのを突破してゆく主人公の姿、そっちの方が大事だと思う。
各地のそれぞれその土地の言葉で昔話を話して発表する、そういったことをやってゆく。
弟さんは小澤征爾、兄・克己は亡くなってしまったが彫刻家、一番下の弟・幹雄は俳優、エッセーを書いたりしている。