2015年2月18日水曜日

川端政子(ものづくりアドバイザー)   ・ものづくり現場をつなぎ支える

川端政子(ものづくりアドバイザー) ・ものづくり現場をつなぎ支える
39歳 短大を出て大坂の町工場の事務員や営業の仕事をしてきた川端さんは、35歳の時かねてからの計画どうり独立して会社を興しました。
製造業の現場で働いてきた川端さんは、町工場の苦しい現状を打開するだけでなくもっと夢持って前向きに仕事と取り組み人生そのものを楽しいものにしようと、町工場の人たちに呼び掛けてアドバイスをしています。

もともといた会社は3K工場(きつい、汚い、危険)そのものだった。
20歳からパート事務員として働いていた。
社員さんに夢ありますかと聞くと、夢と言われても困るという様な返答だった。
夢を持って働ける様な会社を創っていかなければ、今後日本の中小企業の発展はありえないというところからメーキング ドリーム ファクトリーという言葉が生まれて行った。
24歳の時にそのうち社長になろうと思った。 60歳までの計画を立てた。
10年間かけてこの会社を良い会社にしようとして、これをベースに同じ様な思いをしている人達に何らかのサポートができる様な会社を作りたいと思った。
35歳になったら会社を作って社長になろうと志した。

働いていた会社は大手メーカーの下請けだった。
黙っていても月2000万円ぐらいの受注が来ていたが、その後1/10になってしまった時期が有り、28歳の頃は仕事がほとんど無くなり、会社がつぶれるのではないかと思った。
大坂でやっていても駄目だという事で、新規開拓で東京に行ってほしいと社長から34歳の時に言われた。
以前頂いた名刺をたよりに接触を試みたりした。
年間200社を回った。
いろいろ日本全国を回って、いろんな社長さんと会う事ができた。
女性の営業に負い目を感じた。(なんだ若い女が来たのか、というような感じを受ける。)
自分も精神的に気を楽にして、そういう人たちと心を開いて関われるようになった。
いろいろ悩んでいる、この人たちに何かしたいなと思う様になった。

展示会場では隣りに似たようなカテゴリーの会社が有り、そこはライバルとなる。
海外移転などで小さくなってゆく仕事量に対して、取り合っていていいのかという思いが有り、うちの会社だけで良くなるのでは無くて協力し合えば、もっとあるのではないかと思った。
女性的感覚だと思います。  中小企業の連携事業。
行政もやっているが、本当の意味ではやっていないという思いが有り、表面的に集まってやっているだけで連携ではない。
基礎教育のところを自分がやってきたことをベースにやっていこうとした。
どうせ働くならいい会社で働きたいという事は社員は皆同じ。
眼先の問題(納期、コスト、改善)に対して対処しているうちに疲弊していってしまう。
先ず聞いてあげて、どんな人間になりたかったのかを思い出してもらう事から始める。
整理整頓 手法として整理はこうですよと話すが、もっとベースに、なんで整理して行ったら良くなるのか、皆で話し合って、自分なりの結論を導き出していってもらう。
工場で単一作業をしていたりすると、何も考え無くなってしまう、考える必要が無くなってしまう。

考えてもらって、自分たちがこういう風に変わってゆくんだと納得してもらって、楽しみながらやってもらうための方法。
最初に夢を思い描いていただく事から始める。  会社全体で、全社活動です。
ヒヤリング活動を最初行うが、ヒヤリングだけで変わってゆく会社もある。
改善活動も何の為にやるのか、考える所から始めて、自分たちで考えて、其れをやって、誰かにちゃんと伝えるというところまで行う。
変わってゆく人が一人一人と増えてゆくと、段々変わってゆき、社長さんも変わってくる。
何も考えないでやっていると、無駄を無駄だと思わなくなる。

整理:いるものといらないものを分けて、いらないものを徹底的に排除する。
    単純に二分ではなく、あと急がないものに分けて区別する。
    最終的には心の問題、そこまで整理して行きましょうという活動まで繋げていっている。

連携:全国連携のイベント事業もしているが、その場所にも出てこれない中小企業が多い。
   会社のレベルを上げないと、できない、社長がいなくても業務が回ってゆく、そういう会社に  
   ならないと、社長が次の手を打てない。   

先代の社長の奥さんが入社して半年ぐらいで末期がんと判る。
毎日病室に行って、教えてもらうふりをして引き継ぎをしてほしいと言われた。
私にしては死が遠い存在だった。
半年過ごすうちにその人の持っている人生そのものを引き継いでいる様な気持ちになってきた。
亡くなる1週間前 「政子さん 会社頼むね」と奥さんから言われた。
思いのバトンを受け取った時に、私は何もできないと思った。
このままでいいのかと思った。
少なくとも同じ歳になった時に、ここまでがんばれましたと誇れる様な人間でありたいと思ったし、死ぬときには何も持っていけないが、唯一出来る事は後世に思いを残すことだと思うんです。
自分の生きざま、夢みたいなものを、誰かに引き継いでいく事が人間としてやっていかなければいけない事だと、思った。
社長になって5年目になるが、思いを発信し続けて来たことが評価されて、夢に共感して何か協力したいと、そのためにも今と同じ事をずーっとしてるのではなくて、自分が本当にやりたいことをやるべきだと思っていて、3Sをやり始めた時に3つ約束してくださいと言っている。
①人の事を言わない。
②昔のことを言わない。(思いで話ではなく)
③やりもしないで、できないとはいわない。