2015年3月31日火曜日

天満敦子(バイオリニスト)     ・被災地にバイオリンの音色を届け続けて(H27.1.20放送)

天満敦子(バイオリニスト)   ・被災地にバイオリンの音色を届け続けて(H27.1.20放送)
国際的に活躍しています。5歳からバイオリンを始め、NHKのバイオリンの稽古で江藤 俊哉さんに才能を見いだされ、東京芸術大学の大学院を修了します。
在学中に日本音楽コンクール第一位、ロン=ティボー国際コンクール特別銀賞を受賞、1993年にルーマニア夭折の作曲家チプリアン・ポルムベスクの「望郷のバラード」を日本に紹介し、「望郷のバラード」はクラシック界異例の大ヒットと成ります。 
天満さんは2011年の東日本大震災以後は定期的に東北を訪れて演奏活動を続けてきました。
お母様の故郷は相馬という天満さん、被災地に寄せる思いを伺います。

南相馬に住んでいた親せきが4人流されて不明になり、今も判りません。
亡くなった4人のうちの一人が、おばに当たるが私が生まれた時に、東京の住まいに子守りみたいに来てくれて、3歳まで一緒にいて育ててくれた人です。
叔母は凄く肥っている人で、第二の母よ、とその叔母は言っていました。
3カ月ぐらいしたときにバイオリンを弾いていたときに、急に耳の中でゴーっと凄い音がして、プールにドボンと入った時の様な耳鳴りとは違う感じが数秒あり、おばちゃんが水の中から呼んでいるのかなと思った。
目からうろこが落ちるのと一緒でストンと気分が落ち着いた、その瞬間でした。

被災地コンサートがあちこちで沢山あって、わたしには声がかからなくて、私は行動する事よりも、バイオリンを弾きたいと思って、どこでもいいから私のバイオリンの音を鳴らしたいと思っていました。
最初、3か月後の6月11日塩釜市に来ました。 3か月後慰霊祭
ジュピター、望郷のバラード、タイスの瞑想曲の3曲だったと思います。 3曲を演奏しました。
演奏では結構数は多く行きました。
無伴奏だったら一人で出かけられるので、丁度日本の曲にも興味が有った時期にあって、レパートリーとしていいものがもっていることができましたので、それを演奏できました。
「故郷」 2012年にCD発売した。

相馬は海が有るので、魚はおいしい、のり、野菜も、米も果物も美味しいし、こんな全部そろっているところは他にはないと母は言っていました。
見た目は、土盛りとか、ビルも立て直しているし、復興しているようですが、たんぼとか、海の近くに行くとまだいろいろ物が残っていて、生々しくて、まだ入れない区域が有って、そこはゴーストタウンになっていて、時間が止まったというか、カーテンが半開きになっていて、逃げたそのままの状況になっています。
そういう光景を見ると切なくなります。
CD、BGMではなく、生の演奏を聞くというその瞬間が、弾いている時に求められていると感じた、皆さんが聞いている 耳も目も全部私を見ているという風に思って、求められていると感じながら弾いたのは、今回の被災地に行って弾いた時が初めてでした。
バイオリンを弾いていてよかったと思った瞬間でした。 今でも忘れられない。

段々整えられたところで弾くようには成りましたが、本当はもっと間直に弾きたいと思っています。
世界の子供のためのボランティアに参加して演奏している。
子供達、大人にしても私の音を求めているし、私も今このためにバイオリンをいままで弾いて勉強してきたのではないかと思います。 凄い喜び。
しゃべりの代わりになる様な、私のバイオリンがそのような音になっていくんです。
自分の気持ちが素直になれる。
私のストラディヴァリウスも本当に熱心に良く奏でます、イタリア人なのに求められている音を出している。

バッハは私たちは挑む曲なんですが、バッハを弾きながら、なんかいいことないかなあと祈れるのですが、祈りの対象は具体的ではないんですが、なんかいいことないかなあと思っています。
自分も励ましているし、自分に対して祈っているし、良い事ないかなあと祈りながら、あるよきっとね、と祈りながら私はバッハを弾いています。
無伴奏がいいと思う様になったのは、病院のお見舞いのついでに弾いたとか、外国で子供の病院へ訪ねて弾いたりとか、いつでも弾けるんです。
聞くために病院のロビーで子供が10数人いて、ベッドで寝ていて明日死ぬかもしれないという子供たちがいるという事を聞いて、その子たちの前を通り過ぎて、病室に歩いて行きました。(5~6室回った)
バイオリンを弾いて、それでまた私の道が見つかった様な気がする。
日本の曲にも気が向くようになって、知り合いの作曲の先生方にアレンジをお願いして、皆さんが御存知の曲を私がバイオリン一丁でそこで2,3分でも弾けるようにしてくださいと頼んだのが段々たまって、それがきっかけです。

タイスの瞑想曲、g線上のアリア、ユーモレスクもピアノの伴奏が有っての曲ですが、私の場合はピアノが無くてもあの曲を弾けると思います。
そういうバイオリン弾きになれたのではないかと思っています。
望郷のバラードは私が一番好きなタイプの曲で、弾いていて私が一番気分がいい曲で、大好きです。
それが「城ヶ島の雨」とか「故郷」等につながっていると思います。
ユーモレスクを弾いた時に父は凄いため息をして、やっとこれを弾いてくれたかとなんで今まで弾いてくれなかったといってくれて、ショックだったのと、大変な刺激、きっかけになった。
ユーモレスクを平気で弾ける様になるのに10年ぐらいかかるが、いつも父の嬉しいため息を覚えているから今でもそれが支えになっているし、やさしいものも弾けるようになってきている自分が結構誇らしい。
被災地で喜んでくれる曲は「故郷」「ジュピター」「望郷のバラード」等です。今は最後がジュピターです。