2015年5月6日水曜日

中川李枝子(作家)        ・名作絵本は子育てから生まれた

中川李枝子(作家)           ・名作絵本は子育てから生まれた
中川さんは数多くの名作童話を書いている方ですが、「ぐりとぐら」の生みの親。
「ぐりとぐら」のシリーズ いまから50年ほど前に生まれた絵本で、これまでに10カ国語に翻訳されまして、世界中の子供達に読み継がれてきました。
1935年北海道札幌市の生まれ 今年80歳を迎えます。、
東京都立高等保護学院を卒業後、20歳で東京都内の保育園で保母と成り 17年間勤めました。
保母として働きながら結婚、出産、作家としてもデビューし創作活動を続けてきました。
デビュー作は「いやいやえん」と言う保育園を舞台にした童話です。
当時、子供そのものが本に出てきたという驚きを多くの読者に与えまして、厚生大臣賞などいくつもの賞を受賞しました。
この半世紀、子供達を見つめながら数多くの絵本を生みだしてきた中川さんに名作絵本の誕生秘話、戦争の時代を本と共に過ごした少女時代、保母として作家として子供たちへの思いを伺いました。

「ぐりとぐら」 50年ほど前に生まれた絵本
保育園のかわいい子たちのために描いたにすぎないのですが、皆さんに愛されて幸せです。
保育士になった時に園長さんが子供たちが毎日喜んでくる保育をしてほしいとの事だった。 
子供達を見ていると遊んで遊んで遊んで、伸びてゆくんですよね。
如何に上手に遊ばせるかに尽きると思います。
本を読んだり、わらべ歌で遊んだり、くつろぎの時間が有るが「本の時間」と子供は呼んで、楽しみにしていた。
「本の時間」は一日のハイライトだった。

20歳で保育士になる。
無認可の名もない様な保育園だったが、新人でそこで主任保育士になった。
その場所は41万3600平米の駒沢オリンピック公園になる前の野原だった。
私は北海道生まれなので、すっかり気に入った。
面接にいった時は私一人だった。
「みどり保育園」(「青空保育園」がその前身) いったん解散になるが天谷保子さんがやりたいとの事で、原っぱの隅っこにバラックの様な建物を皆さんの協力で建ててもらって、新たに保育園を始めたのですが、一人ではできないので一人雇おうという事になって、主任保育士と言う事で私がそこに行く事になった。
最初は20人ぐらいだった。
子供達とは張りあって遊んだりしていた。(椅子取りゲーム、紙飛行機飛ばし等)

園長先生はてっきり大金持ちだと思っていたらそうではなかった。
本の購入も責任重大だった。
子どもの人気のある本のシリーズを買って頂て、あの本を読むことによって、本を子供たちも毎日休まないで来たと思う、その中でも「ちびくろサンボ」が凄い人気だった。
園長先生が「ちびくろサンボ」を真似てホットケーキを皆の前で焼いてくれて、食べさせてくれた。
皆嬉しくてよろこんで、私はもっと喜ぶものを食べさせようとして、話ならできると、カステラにして、大きな卵と言うところから発想して、話を動かすのに、主人公が小さくなくてはいけないので、野ねずみかなと言う事になる。
野ネズミたちがここはなんて素敵なところだろうと歌を歌う。
「ぐりぐるぐら ぐりぐるぐら ぐりぐるぐら」 と言って子供たちが囃し言葉で大合唱になって歌う。
そこから「ぐりとぐら」の名前を貰う。

子供に興味をもったきっかけはいっぱい本を読んだこと、戦争中子供時代を過ごしたが、いつも本に飢えている時だったので、手当たりしだいに読んだ。
太平洋戦争が始まった4カ月後に小学校に行く。
小学校2,3年ぐらいから世の中が厳しくなって、親とのお茶の間が暗くなっていく感じで、父と母がいつもひそひそ話し合っていた。
知り合いも赤紙がくるような状況にあった。
学校に行ってもサイレンが鳴ったらすぐ家に帰れという事でしょっちゅう退避訓練だった。
校長先生は朝礼で、今は日本はドンドン勝ち進んでいるとか、兵隊さんのおかげで学校に来られると勇ましい話をするが、戦地で勝っているのに何故空襲が有るのか、それはスパイのせいだと言ったりする。
家では父親の本棚があり、そこにグリム童話集が有り、これは読めると思っていたが、判らなかったりした。
小学校の入学祝に父からアンデルセン童話集を買ってもらったので、それを元手に友達から貸したり借りたりしていた。
友達に貸したアンデルセン童話集を先生が外国の本は読んではいけないと取り上げてしまって、私のところに戻ってこなかった。
取られてしまったことは親には決して言わなかった。

3年生の夏に疎開で札幌(母方の実家)に姉妹でゆく。
疎開する前に母からは、これから一人でやって行かなくてはいけないという事で、いろんなことを厳しくしつけられた。
空襲はなく札幌はのんびりしていた。
父は友人の家で読まなくなった本などを集めてきて、持たせてくれたが直ぐ読んでしまった。
祖父母の明治大正の文学全集の方が面白かった。(振り仮名がふってあったので読めた)
小学校4年生で終戦を迎える。
教科書には墨を塗られてしまったが、この事は忘れてはいけないと思った。
中学は福島に行くが、小学校に間借りしている様な状況だったが、GHQの方針だったらしくて図書室が有った。(机ひとつが有りそこにどこかから集めた本が置かれていた)
或る日、岩波少年文庫の「二人のロッテ」が有り読んだら、面白くて授業中も読んでいた。
それから次々に古今東西の名著と言われる児童文学を読んだ。

平和とは何かと言う様な事を本から学びましたが、でも面白いからいろいろ読んだ。
結果的に何が一番面白いかと言うと、子供とは面白い、いろんな子供がいて、一人ひとり個性的で一生懸命生きている。
子供相手の仕事をしたいと、そこに行ったと思う。
「子どもはみんな問題児」」エッセー集を出すが、「子どもはみんな問題児」は私の子供観。
皆それぞれ個性があって、一人ひとり違っていいと言う事を、あまり気がつかないのかと思って。
子供を他の子と比べないこと。
東京都の青少年非行化審議委員を務めさせていただいた事が有るが、非行化する少年少女は、人間関係のつまづきからだと皆さんがおっしゃる、そういう子供達は幼児期に存分に自分を表現しないで来たという風に専門家の人はいいますが、幼児期迄にしっかり育っていれば、あとは心配ないんだなと思って、私などは反って希望をもって学ばせて頂いた。
子供の喜びに敏感なお母さんは良いお母さんだと思う、喜びに敏感なお母さんは悲しみにも敏感ですから、子供の心の状態をちゃんと掴んでいると思うので。
17年間やって、何が判ったかと言うと、子供はお母さんが大好きだという事です。