2015年6月28日日曜日

ゴルゴ松本(お笑い芸人)       ・お笑い芸人の”命”の授業

ゴルゴ松本(お笑い芸人)       ・お笑い芸人の”命”の授業
埼玉県出身 48歳  県立熊谷商業高校で野球部に入部、1985年第57回選抜高校野球大会で憧れの甲子園に出場する事が出来ました。
同じく元甲子園球児のレッド吉田さんと1994年にお笑いコンビPIMを結成、ゴルゴさんの命と言う漢字を身体を使って表す芸で、人気を集めました。
2011年に知り合いから頼まれて少年院に講演に行ったのがきっかけで、少年院などでのボランティア講演の活動をスタートさせました。
ゴルゴさんの講演は主に漢字の成り立ちを説明しながら、更生を目指す少年少女に命、人生、日本人をテーマに語っています。
TV番組でも取り上げられて大きな反響を呼びました。
いま仕事の合間に定期的にボランティアで講演活動をしているゴルゴさんに伺いました。

甲子園では試合には出られなかったが、ギリギリでベンチに入れた。
4年前から(2011年11月22日)に慰門に行く事になる。
日本語、日本人の凄さを本にする。「あ、命の授業」
ちょっとした知り合いの人からやってくれないかと、言ってきたが、最初断ったが、刑務所、少年院を出たと、一生懸命人生をやり直したいと、いう就労支援をやっている北村さんが、是非少年院でやってほしいと、再犯防止のためにやってほしいという事で、引きうけることにした。
それまでは一切そのような事には関わっていなかった。
最初は興味本位な部分(自分が野球をやっていた時代に犯罪に手を染めた人が少年院に入ってその後どういう人生を歩んできたのだろうか、と言う様な)もあったが、行った時に、150人いたが、
短髪で、制服を着て、声も大きな声を出してきびきびしている姿を見て、是は野球部の様なスポーツ系の雰囲気が有った。
眼を見ると普通の子だったので何か伝えていこうと思えた。

「天才 TV君」ほか子供番組などにも出ていたので、受け入れてくれる。
口へんに土と書いて 弱音を吐く、と言う話。
野球を始めるが、甲子園の夢がかなわなかった人、芸能人で辞めていってしまった人達を見て、違いはなんだろうと思った時に、普段生きていく上で毎日何かを表に出して行動するが、その中で言葉が非常に大事なのではないかと思った。
最初は口にプラス(+)、マイナス(-)を吐いてもいいが、少しずつネガティブの言葉(-)を減らしてゆくと、口にプラス(+) 叶うになるのではないか。

無難 (苦難困難災難が無い人生) 有難(苦難困難災難が有る)→ 「有難う」になる
幸せ の反対 辛い その差は(-)の差 辛い時に何かが足りない。
辛い時には我慢しろと言うが、我慢はあまり意味ではない、我欲でおごりたかぶる。 
日本には言霊と言う、言った言葉には魂が宿るという事が平安の時代から言われているが、その通りだと思う。
「辛抱」 「辛い」を「抱き」かかえてあげる。 
辛抱→耐え忍ぶ 忍ぶは「心」に「刃」をもっていつか逆転するように、心に刃をもち続ける。
刃は刀鍛冶が日本刀を作るときに、熱して叩いて延ばしてゆき、冷やして、という作業を繰り返しやって、最後には磨きをかけたら、真剣になる。
忍ぶは鍛え上げられた強靭な刃の事を言うので、忍ぶは鍛え上げられた強靭な心をいう。
耐え忍んで、辛抱して強くなった棒を辛いの、一番上に足してやれば、幸せになる。
辛抱は心抱ともかける。

きょうは今の日 今日 きのうは昨日 作った日 あしたは明日(あかるい日) あさっては明後日。
「あすへの言葉」 言葉 ことの葉 枯れたものは土になり、緑の葉っぱは光合成で酸素を出す。
葉は再生するという意味が有る。  
言葉は言ったことは繰り返し再生するよ、と言う意味です、大切な事です。
不思議な感覚ですが、お前やらなきゃだめだよと、言われているかと思っている。
この10年本を読んで、色々勉強させてもらいました。
講演では、紙に書く様にしてもらっていて、良いと思ったことは直ぐ伝えるように言っている。
善と悪 喜びと悲しみ  共通する文字が有るが、善と喜びは「口」が下にある。
悪と悲しみは「心」が下にある。
善い事嬉しい事は言葉に出して伝えっていっていいが、悪いこと、悲しい事は自分の心の中に一旦しまって、自分で心の中を通すことで、あとで言っていいかどうかを考えなさいと、いう漢字ではないかと思って教えている。

一番伝えたいのは、考え方一つだよと言う事、「幸」はさかさまにしても「幸」、幸せの反対は幸せ、自分で不幸と思っているだけ。
幸せは、お金だと思っている人もいるが、そうではない、仲間、家族、笑顔で元気でいたら幸せだと、個人個人の責任、自分の人生は自分の責任みたいなところが有って、子供達には伝えます。
過去は過去で学んで反省して、未来に向かっていくしかない。
少年院で勉強するという事は、ここを出た後に違う人生が有るのだから、未来のためにやっているんだと考えなさいと言っている。

高校時代にお笑いの世界に行きたいと思っていた。
野球をやりながら、人のものまね、先生、ばっかりやって笑わせていた。
家の店の手伝いをするようになったが、芸能界の事が思い出されて、父に話したら自由にやる様にと言われた。
昭和63年に世田谷に引っ越すことになる。
レッド吉田と出会って、お笑いの世界に入る。(1994年4月)
新ネタを考えようとしていて、山の頂きを見ていたら、「命」に見えて、両手をひろげて片足を上げたら「命」に見えた。

それから「命」をやっていたら、そのうちにTVに出られるようになった。
それから10年後ぐらいに、歴史を勉強して、日本語を研究するうちに、不思議な感覚になり調べ始めた。
「命」 ひとたたき 母親のおなかの中にいる時から動き続けている心臓が、鼓動のひとたたき、ひとたたきの連続が、命なんだなという事がパズルのように解き明かされた様に感じた。
お笑いの後輩たちに激励のためのゴルゴ塾をやったのが、後の少年院の講演に繋がってゆく。
言葉は力を与えてくれる。
上杉鷹山 「なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは 人のなさぬなりけり」
言葉は生き続ける事に気づかされた。