2015年7月19日日曜日

佐々木常夫(元・東レ取締役)    ・深みのある、誰もが幸せな社会のために

佐々木常夫(元・東レ取締役)    ・深みのある、誰もが幸せな社会のために
71歳 秋田県の出身 東京の大学を卒業後、繊維メーカーにサラリーマンとして働いてきました。
しかし、長男は自閉症、妻は病気で入退院を繰り返し 3度の自殺未遂をしています。
管理職として出世の階段を上りつつ、家事、育児にも取り組み 3人の子供を育ててきました。
サラリーマンとしては東レの取締役に昇進、その後妻の病気も回復し、家族の再生をはたします。
こうした経験をもとに様々な著作を発表し、現在著書の累計は130万部を越えています。
今仕事と生活の調和を意味するワークライフバランスという考え方が広がってゆく中で、佐々木さんは仕事もこなし家族との時間も大事に過ごしてきたことから、ワークライフバランスを実践してきた存在として政府の委員会の委員も務めたほか、全国各地で公演活動を行っています。
ビジネスマン、父、主夫、様々な役割を抱えながら生きてきた佐々木さん、仕事や家庭とどう向き合うことが幸せに繋がるのか伺います。

家族と仕事 両立できなかったので家内の鬱病もなかなか治らなかった。
時間的な余裕ができるようになって(子会社の社長)、それで治った。
人が逆境にあるとそれらを乗り越えた時に、強くなったり絆が深まったりするが、いろんなことがあり、家族と一緒に乗り越えてきたことがあったものなので、普通の家族よりもずーっと仲がいい、絆があると思う。
息子が、家内が大変な時に、みんなで助け合ってやってきたのでそういう関係になったと思う。
あちこち会社をめぐって、採用担当が6年先輩だったので、たまたま東レに入った。
銀行には決まっていて、面接だけだったが、こんなに簡単に決まっていいのかなあと思って、他にあちこち他の会社も回った。
東レは自由な雰囲気が感じられた。

最初の頃はよく怒鳴られた。(色々ポカミスして失敗した)
ミスしないためにはどうしたらいいか、手帳に書いて、チェックして、会議には10分前にいくようして、席もいい場所を取ることができた。
ミスしたらどういう風にミスしたのか分析し、対策を打ったりして繰り返し、ミスをしない様になった。
50代のなかばに東レの役員になったら、私の4年先輩で指導員だった人にばったり会って、君が役員になったのかと驚いていた。
家内は保健室にいた、看護婦だった。
喉をやられて2~3か月に1回は保健室に行っていた、年末最後の日に40度の熱を出して、保健室に運ばれて、その後寮に帰ったが、年末でだれもいなくて、心配で食事だとか持ってきてくれて、それが縁で付き合うようになって、結婚する事になる。

3人年子が生まれる。 長男はハネムーンベビー、翌年次男、その翌年は長女だった。
長男が自閉症だった。
静かで部屋に一人でいても何ともなくて、言葉がなかなか出てこなかった。
段々おかしいと思って、医者に相談して、専門の医者で自閉症だと判ったのは5歳の頃だった。
コミュニケーション脳力が低いのと、こだわりがあった。
長男は山登りが好きだったので家族5人で週末にはいつも行っていた。

30歳ぐらいの時には潰れそうになった会社の再建の仕事をして、無茶苦茶に忙しかった。
普通は11時、12時まで行い、土日も出勤だった。
課長になった時に妻が肝炎で入院してしまった。 
5回入院、かなり長い入院だった、3年ぐらい大変だった、母のいない家庭だった。
仕事、家事、育児全部をこなさなければいけなくなった。
毎朝5時半に起きて、子供の朝食弁当を作って、課長職だったので1時間早く会社にいって、仕事をこなして、家に帰ってきたら、夕食作って、風呂に入れて、宿題をやらせて、土曜日は病院に見舞いに行ってできるだけ長く過ごして、日曜日に1週間分の掃除洗濯をした。
駅に着くと子供3人が迎えに来てくれて、帰り道を3人変わり番こに手をつないで、歩いている間に学校のことなどをいろいろ話してくれて、良い時間帯、幸せな時間帯でした。

仕事は色々工夫してやると結果がついてくるので、仕事は面白い。
仕事も大切、家族も大切、子供が病気になった時は仕方のないことなので、そちらを優先させる。
長男は幻聴が聞こえてきて、暴れるようになって、母親に手を出す様になった。
一時期家から離れた所に部屋を借りて、妻はそこに行っている様になるが、私がいるときは大丈夫だったので一緒にいたりした。(3年経ったらしなくなるようになった)
妻は肝炎が肝硬変になり、家事も出来ないし、段々厭世的になる。
自分を責めて鬱っぽくなり、死にたいと言い出す様になり、精神科に連れて行ったら、鬱病と診断される。(役員になる少し前)
会社に電話してきて不安を訴えてくるが、困ったが仕事の合間をみて、折を見て20分ぐらい話をする。
不安なこと、不愉快だった話、私を責める話、離婚しようと何回もよく言ってきて、実際に家から出て行ったこともある。
家に帰っても、なかなか眠る事が出来なくなって、私も大分まいってしまったが、逃げるわけにもいかなかった。

妻が自殺未遂を3回する。
3回目がひどくて救急車で病院に連れていって、3時ぐらいから手術が始まって7時間の手術をする。
手術が終わって、妻が最初に言った言葉が「ごめんね、おとうさん。 迷惑掛けてばっかりで」と言った。
眼の前に、自分の命を断とうとした家族がいることに気が付いた。
自分は家族のために頑張っているんだと、仕事もやってるんだと悲劇のヒーローみたいに上から目線で見ていたと感じ、それは間違っているんだという事が判った。
病気の障害になっている自分の気持ちを理解してくれているのか、と言う事に対して理解していなかったと思う。
信頼関係のベースが有れば、鬱病にもならないし、自殺未遂もしないですよね。
気がついてからは自殺未遂をしなくなった。(医者からは連続して死ぬまでやりますよと言っていたが)
その頃子会社の社長になって早く帰れるようになり、段々恢復して行った。
鬱病は薬で治る場合もあるし、環境で治る場合もある。

妻はそれまでは動かないで食べているだけだったので、肥ってしまっていたが、歩きだしたり、買い物をするようになって、スリムになっていった。
普通のことが幸せです、長い間普通の事を経験していなかったので。
私の母親が一番多く言った言葉が「運命をひきうけよう」と言う言葉。
私の母親は裕福な家に嫁いで子供4人を設けたが、26歳で未亡人になってしまって、自分で働く様になった。
近所の医者が一人養子にほしいと言われたが渡さなかった。
「運命をひきうけよう」と言う事は、小さいころから言われたことが私の人生に凄く影響した。
本を読んだり、学校で習ったことよりも、親に何を言われてきたかと言う事がよほど大きい。
「運命をひきうけよう」、「時間を守りなさい」、「嘘をついたらだめ」、「間違ったことをしたら勇気をもってごめんなさいと言いなさい」 といったしつけを厳しくやるという事は、親の愛情を感じると言う事につながるわけです。
私はちいさい時から母親から聞いているので、いろんなことが起こっても運命だから引き受けよう、
神様が試しているのかなあ、どれぐらい耐えられるのかなあ、いろんなことが起こっても必ずどこかでいい事があるだろうと思いながらやっていました。

仕事は私にとっては大切なことだったし、社会的に認められるというか、自分はこういう事を達成したという事が無いとさびしい。
仕事は生きる根源の動作だと思う。
ワークライフバランスの考え方は?
人によって考え方が違う、仕事以外にいろんなことがあって、どちらもエンジョイしようと、エンジョイするためにはマネージメントが必要だと思っている。
ワークライフマネージメントと私は言っている。
最優先すべきものは何かを掴んでその順番にやる。
妻の入院中にやったのは最優先は食事、与えられた時間は限られているので、やる事を選ばなければいけない、それをキチンと計画を立てながら効率的にやるのが、結局自分の幸せにつながる。
仕事か家庭か、の二択ではない。
苦労は報われる、「苦労は買ってでもしなさい」と昔の人は言ったが、或る意味あたっていると思う。

普通の生活ができるという事は凄い幸せです。
その人なりに幸せ、不幸せを感じるものだと思います。
人は置かれた環境の中で、考えたり、行動したりするが、その時に大事なのは、その人が幸せかどうかはその人の考え方で決まりますが、人は何のために働くかは、何かに貢献するためと、自分が成長するため、どっちもその結果が自分の幸せに関わって来る。
閉そく感がある社会の中で、考え方次第、やり方次第でその人は幸せになれる。
幸せになろうと思ったら、自分を大切にして、自分を成長させることと、何かに貢献する事を追い求め、それを諦めないでやってみる。
一歩進むと、又違う道が出てくる、それがいつの間にか10歩になり100歩になる。
それを繰り返していれば、何かいいことが起こってくるんじゃないかと思います。
最近の著書 「50歳からの生き方」(人生の折り返し点を迎える貴方に送る言葉)
「働く女性達を」(執筆中)