2015年8月9日日曜日

星出 豊(指揮者)        ・長崎からのメッセージ、オペラ「いのち」

星出 豊(長崎県オペラ協会芸術監督・指揮者) ・長崎からのメッセージ、オペラ「いのち」
1941年生まれ 東京声専音楽学校(現昭和音楽大学)オペラ研究科終了後ドイツに渡り、ニュルンベルク歌劇場副指揮者を経て、「魔弾の射手」でヨーロッパデビューしました。
日本では1971年に「ナブッコ」、82年に「オルレアンの少女」を日本初演しています。
20年以上にっ渡って長崎で被爆した方々を取材して構想をあたため、オペラ「いのち」の台本を書き、2013年に初演して大好評意を博しました。
戦後70年の今年、東京、長崎での再演の思いを伺います。

半年長崎で練習して、最後東京の劇場を借りて練習します。
原爆のことがずーっと頭をよぎっていて、終戦を山口県で過ごして、広島に原爆が落ちた後、トロッコで真黒い焼けたものを姉と一緒に見て、姉が「よく見て、覚えておいてちょうだい」と言われたきりだったが、長崎に30年通っているが、長崎で被爆された方たちに出会うことが多くなって、話を聞き心に響くものがあり、最終的にお婆さんに出会ったときに、昨年96歳で亡くなったが、好きで好きでたまらなかった人がいたが、結婚をあきらめたんです、好きな人にこんな肌を見せることができないでしょうという話を伺って、オペラにしたいと思った。
アメリカが悪い、原爆が悪いというオペラにしないでくださいと言われて、それも感動的だった。
戦争が悪いという事を焦点にするなら、協力しますと言われて、被爆された方を集めてくださって、順次話を聞く事が出来ました。
トロッコを見たのは4歳の時だったが、あの黒いものは人間の遺体だったのかと、後に姉から知らされた。

長崎はお寺の鐘と教会の鐘の音が朝、昼、夕方等に同時に鳴り、そういう町は世界にないと思って物凄く感動した。
オペラが最初に日本で演奏されたのも出島のオランダ館だった。
宗教弾圧もあって、日本人同士でもこんな殺し合いがあったという事で、命の大切さにも触れたかった。
序幕、最後にも祈りをいれているが、亡くなった方たちへの祈りと生きていく命の大切さをしっかり守ってほしいという祈りを掲げた。
その祈りの時の音楽も日本の音楽なのか、キリスト教の音楽なのか思わせる、予告のような感じ。
祈りのところで子供たちが元気よく遊んでいる姿があり、明るく一生懸命生きているのが子供だと思うので、平和を感じてもらえればいいと思った。

主役は看護師さん(夏子)、被爆をしている。
松尾先生は松尾先生の師匠である山田先生と葛藤しながら、医者の生きる道の本筋があるはずだという様な事をやりながら、松尾先生は夏子さんとの恋に陥り、結婚をしてほしいとの話はあるが、自分の肌を好きな人に見せることができなくて断り続ける。
人の愛は、結果は勝つという事で、取材したお婆さんは結婚したかったのにできなかったが、この子には替りに結婚させてあげようと、最後の愛の語りの中で、「私は愛に生きたい」という事で肌を見せることを決心する。
結婚するが、短い命と感じていた夏子は翌年亡くなってしまう。
(山田先生は被爆しているクリスチャン 松尾先生はたまたま被爆を逃れられた仏教を信じている) 

先生は患者をおいて、妻を探しに行ってしまうという後悔をするが、先生は被爆して告知され1年もないという状況で先生が必死に寝ずに看病されているのを見ていて、、医者は医者として自分のやるべきことをやるのが医者なんだと、先生との二人の葛藤を1シーンで表してみた。
2015年新国立劇場で行う。(7月)
9月に定期演奏会を長崎で行う。
酷い酷いと言いながらどっかで心がいやされるような美しい旋律が無いと、オペラにはならないと思う。
心の葛藤の中に作曲家に依頼した部分もあるが、かならず救いの音楽を入れてもらう様にした。
作曲は錦かよ子さん。
お婆さんの言葉「自分が結婚できなかったから、海を愛し、自然を愛し、死ぬことも出来ず頑張って生きています。」という言葉が凄く印象的だったので、そのまま言葉を入れさせてもらいました。

息 自らの心 悲しい息をすると涙が出てくる、楽しい息をすると笑える、だから私と一緒に息を吸ってくれますか、といってそれは素晴らしいと言ってくれましたが、その表現がより豊かに表現できるのがオペラだと思っています。
新国立劇場のこけらおとしでも指揮しました。
オペラ「いのち」 被爆手帳をもっている方に是非歌ってもらいたかったので、夏子さんを看撮る医師の役で、やってもらいます。
長崎の後は、外国で出来たらいいと思っています。