2015年9月15日火曜日

根深 誠(津軽百年の森づくり会長) ・津軽百年の森づくり

根深 誠(津軽百年の森づくり会長) ・津軽百年の森づくり
68歳  青森県弘前市で育った根深さんは子供のころから山に入って遊ぶことが大好きでした。
ヒマラヤなどの山々を歩き、九死に一生を得た経験を何回も経験してきた登山家です。
3年前からブナの苗木を津軽平野に植えて大自然に恩返しをしようとたちあがりました。
津軽百年の森作り、どんな思いで森作りに取り組んできたのか、伺いました。

3年前、白神山地の世界遺産が20周年を迎えて、観ていると騒ぐだけなので、もっと人々の見えるところでやった方がいいと提案していたが、だれもやらないので自分でやるしかないと思って、津軽100年の森作りと言う事で、ブナ、大山桜、ミズナラとか植えて、世界遺産とリンクした街の景観作りをやらなければいけないと思った。
青森市の市長が理解してくれて、青森市の公園に植える事業を継続して、今年も秋に植えます。
小学校のころから近所の山にあけび等を取りに行ったりして遊んでいました。
岩木山に登った時は驚きでした、見たことのない景観だった。
当時、3人で白神の縦走をしたのですが、頼りになるのが1/50000の地図と磁石だけでした。
猿はいるし、熊などがいて怖くて声を出しながら歩きました。
外国の山に憧れ、大学に入って山岳部に入りました。

白神山地 1/4が秋田 3/4が青森で、そこに林道を通す計画があった。
弘前大学の先生が青森県の自然保護の権威的な存在なので、その人に話したらいいと言う事で、行ったらそんな計画は聞いていないと言う。
具体的な話ではないと言われたが、その後3,4年したら新聞に載っていた。
ただ反対するのではいけないので、何のために反対するのか、決めてからやらなくてはいけないと言われた。
自然環境保全地域としてやったほうがいいと決まった。
対象面積としては16800ヘクタール、その地域の名前が無かったので白神山地と名前を決めた。
自然環境保全法に指定され、翌年世界遺産になった。(1993年に登録された 日本で一番最初)
2005年に知床半島、2011年に小笠原諸島が選ばれた。
ブナが醸し出している自然が良好な形で残っていたという事が評価された。
水資源にしても保水力が高い、腐葉土が林床に積もって水を蓄える、水を安定して平野部に供給するので、田畑が潤う。
海に流れ込む豊かな水が海藻等を育て、魚を育む、山、川、海それがひとつながりになった社会を考える必要がある。

ブナは北海道の半島の黒松内から九州の大隅半島の高隈山 冷温帯の木です。
ゼンマイも1シーズン300万円とれるしマイタケとか、元手は要らず山は恵みの宝の山です。
マタギ 閉鎖的な社会ですが、一緒に山を歩いた事があります。
ブナの木の葉が縮んでいる木があるが、病気かと思ったが、それは前年に実を付けたからだとか、イワナのことだとか、マタギからはいろいろな事を教えてもらった。
自然に対する愛情、だれもいない川のいいところに魚が生きていけばいいじゃないの、という様な考えなんですよね。
1973年に行った時にヒマラヤの人は、日本人はお金で幸せを作っているでしょうと言ったが、言葉に窮していると、そいう生き方をするんじゃいけませんよ、お金で得た幸せはお金が無くなれば不幸に変わりますよと言われてしまった。
今貴方は、風を感じたでしょう、今いい風だなあと感じたでしょう、それが幸せというものですよ、と言われた。

ヒマラヤには神様が住んでいると信じられている。 
村の長老に神様がいるって言うけど神様ってなんですかと言ったら軽蔑のまなざしで見られた。
ヒマラヤの万年雪が下まで来ると滴になって、滴が集まって小川になって、聖なる川を作って海に流れて行って、植物、動物、人を生かしている(生態系) 創造主 その神を知らないのかと村の長老から言われてしまった。
知りませんでした、そんなことも知らなかったのかと大ショックを受けた。
ふるさとの自然を守るために、確固たる意識はなかったが、反対運動を起こして、時流も味方したかもしれないが世界遺産として自然は残されたが、それでいいとは思わなかった。
せっかく世界遺産になったのだから、一体化した地域社会を造ることが反対運動の到達点だなあと言う事は確心を持って言えるが、理解されなくても「津軽百年の森づくり」をやるしかないと思っている。