2015年11月22日日曜日

熱田 貴(日本ソムリエ協会)     ・ワインに賭けた夢と人生

熱田 貴(日本ソムリエ協会名誉顧問)    ・ワインに賭けた夢と人生
昭和13年千葉県佐原市の農家に生まれた熱田さんは外国にあこがれて国立の海員学校に入りました。
学校を出ると希望どうり貨物船に乗り、外国を回ります。
およそ20日間の厳しい航海を終えて南米のチリの港で熱田さんにとって忘れられないワインとの出会いがありました。
昭和39年東京の赤坂見附にある一流ホテルのレストランに就職し、そこでも運命的な出会いが待っていました。

現在体重は115kgです。肥っている時は130kg有りました。
90kgを目指しています。
昭和54年東京サミットがあり、晩さん会の飲み物の責任者を担当。
カーターさん等が飲むワインは、ヨーロッパに3カ月出掛けて裏の話をうかがって勉強してきました。
主なワインとコニャック等も用意しました。
VIPを招待する店、家族との店、友達と行く店に行って大統領はどんなワインを飲むのだろうと取材します。
イギリスの労働党の代表のロイ・ジェンキンスさんはワインを40分以上かかって選んで、最初の料理スモークサーモンに対しフランスのロワールのプイィ・フュメという ソーヴィニヨン・ブランというブドウで作ったフレッシュだが爽やかでコクがあり、このワインを選びました。
(私が最初にお勧めしたワインでした)
料理とワインだけでなく、年齢層などいろいろ季節などをも考えながら、選びます。

フランスに最初行った時に、ぶどうを食べたり、ワインを飲んでみたり、土をなめてみろ、畑の石をなめて見ろと言われたりして学んできました。
日本にボージョレヌーボーが一般の輸入会社が始める5年前に、私がホテルと組んでボージョレヌーボーを紹介しようと、最初は2ケース取って素晴らしいという事で、20ケース取ってお客様に無料で招待してそれを5年間続けました。
ボージョレヌーボーはパリから南に500km弱 リオンから10kmぐらいのところの大衆的なワイン産地です。
ビジネス的には恵まれない土地であって、何とかしないといけないという事で3人の人が新種のワイン、ボージョレヌーボーを紹介してゆこうという事でこれがあたった訳です。

日本では1959年 ボージョレヌーボーの販売の動き。
セミ・マセラシオン・カルボニック方式 ぶどうを摘んできたものを密閉タンクの中で自分の重さ、酸素の供給によって、段々とワインができてゆく、それをタンクから取り出して絞ってゆく、シンプルな作り方。(通常の作り方とは違う)
東京オリンピックのちょっと前、ヒルトンホテル等ができて、ソムリエという言葉は無く、ワインバトラーとかワインスチュワート等と呼んでいた。
当時ワインを研究する会があり、日本ソムリエ協会と言う名に付けようという事になりました。
当時は10人ぐらいでしたが、現在は日本ソムリエ協会の会員は1万人位になり殆どの方がソムリエの肩書きが付いています。
ヨーロッパで或いは山梨県辺りに行って勉強する等やっていて、ワインを勉強する学校等もあります。

海外に行きたい夢があり、愛知県にある国立高浜海員学校がありそこで学んで卒業して、南米航路の就航していた会社があり、そこに就職して、1万トンの貨物船に乗って乗員は40名程度で、そこの高級職員の面倒を見る担当になりました。
波もリズムがあって、体験の結果いろいろ学びました。
水を大切にすることは先輩から厳しくしつけられました、風呂も海水で最後に僅かに水を被って終りにするという風にやっていました。
南米チリのバルパライソの港町に行って先輩に御馳走していただいた時に、初めてワインを飲むチャンスに恵まれて、ワインの素晴らしさを知り神様が私にくれたお酒かなあと思って、港港に行って色んなワインを探して飲んで勉強していました。
日本に普及したいと思いました。

船会社を辞めて1964年開業したホテルに務めることになる。
ワインの本場はフランス、ドイツではないかと思い、或るとき師と仰いだピエール・シャリオールさんとの出会いがあり、ヨーロッパに来ないかと言われてヨーロッパに行く事になる。
1年の期限でヨーロッパにいくが、ウイーンでちょっと寄り道のつもりが素晴らしいワインに出会って1年4カ月、ドイツでも1年間いて、2年4カ月道草してその後にフランスに入ることになった。
新酒ができると松の枝が飾られる。(日本では杉の玉だが)
ワインを提供するのにワイングラスではなくて、大きなビールのジョッキの様なグラスで販売するしきたりになっている。
ワインを楽しむ時にはチーズを沢山食べることを教えてもらいました。
いろいろ勉強して、道草が私の財産になっています。
「知好楽」 知識があったり、好きなだけではなく、知識がなくてもいいから楽しむことを覚えた時にワインは身近な飲み物になります。

料理とワインの相性は熱を通すかどうか、魚は白ワインが合うが、熱を通したり、ソースの濃いものを使った時は赤ワインでも十分にいける、前に日に焼いた鳥を食べるときは白でも合う、冷たいものには白ワインが合うのではないかと思う。
白ワインでも皮、種等を一緒にしばらく放置して発酵させたりすることもあります。
赤ワインは必ずぶどうの皮、種から色素を出したり、ワインの味の深みを取りだしたりします。
人間を作ってゆく中で旅は凄く素晴らしいと思う、旅は色々あるが、日本一周旅をしながら、地産地消ということで、結果的には自分で作ってみたいと思い、北海道でワインを作ろうとスタートしてまて、美味しいワインを国民の皆様に提供したいと思っています。
「我以外、みな師なり」 「鳩に三枝の礼儀あり」「軍旗に雑巾」など父から教わりました。
(雑巾こそ使った後の方が綺麗になる様にしておけ)
酒井雄哉さん 「あすは雨が降ったら濡れればいいじゃないか、濡れもしないで天気を見るなんて、何回か濡れるとそろそろ雨が来るとか理解できるが、濡れないうちは駄目だ」と言っています。
ずーっとソムリエ協会の会長を8年間やってきましたが、周りに良い人たちがいてくれて助けられてやってこられました、そういう気持ちを忘れてはいけないと思います。
魚を食べるにも、それまでには命がけで魚を捕って、運んで、料理して、色々な人の手をかけているので手を合わせてその人たちに感謝する、そうすると料理が美味しくなってくる。