2015年11月5日木曜日

桜井邦朋(宇宙物理学者)      ・果てしない宇宙と太陽の魅力を語る

*明日から2日間、少旅行に出かけますので、2日間休みます。

桜井邦朋(宇宙物理学者 元神奈川大学学長) ・果てしない宇宙と太陽の魅力を語る
1933年昭和8年埼玉県の生まれ 農家の長男として生まれた桜井さんは、小学生のころから学校から帰ると家畜の世話をしたり農作業の手伝いをしたりして、将来は農家の後継ぎになることを考えていました。
宇宙物理学者となった第一歩は高校二年の時に担任の先生が父親に、桜井さんの大学進学を勧めたのがきっかけでした、。
その後京都大学大学院地球物理学博士課程終了後、工学部助手、助教授を経て、アメリカ航空宇宙局NASAの主任研究員として、太陽の高エネルギーの研究に携わります。
桜井さんは物質を作る最少粒子、素粒子の一種、ニュートリノの数と太陽の黒点の数が関連していることを発見し、「桜井の周期性」として宇宙物理学の世界に名を知られています。
82歳の今も早稲田大学理工学術院総合研究所で宇宙誕生と進化の謎を解き明かす研究を続けています。

天の川の端から端まで10万光年掛かる。
天の川銀河は1000億個有る銀河の一つに過ぎない。
太陽から地球までの光は8分14秒しかかからない。
海王星までは 1時間ぐらい
宇宙の端は現在判らない。
ハッブルが調べてみたら、銀河が遠ざかっている事を見つけて、同じ割合で宇宙はあらゆる方向に遠ざかっている事を発見した。(宇宙は膨張している)
宇宙は大爆発をして広がってゆくと考えたのがジョージ・ガモフ
宇宙の膨張には始まりがあり、宇宙は拡大してゆくという宇宙膨張論。

フレッド・ホイルヘルマン・ボンディ、トーマス・ゴールドの3人は宇宙は膨張するけれども、同じ状態を保っていて、広がった分に100年に1個陽子(水素原子)が誕生して埋め合わせて、宇宙は一定の密度を保ちながら膨張している、絶えざる創造という考え方で、定常宇宙論(1950年前後)を唱えたが、1946年にガモフは宇宙には始まりがあったのではないかと、その結果膨張が起きていると唱えた。
当時は多くの人はそんなことがあったとは思えないと考えていた。
ホイルはからかうつもりでビックバン宇宙論という名を付けた。
1912,3年ごろ、ハーバード大学のヘンリエッタ・スワン・リービット(女性)が遠いところの銀河までの距離を丹念に観察して或る規則が判って、宇宙の姿が判るようになったが、彼女はノーベル賞を貰えなかった。

ニュートリノを作るのが太陽の中心部で、水素原子核4個からヘリウムを作り出すが、その時に0.7%軽くなるが、軽くなったものは太陽を輝かすエネルギーになり、水素は毎秒6億4500万トン位使われている。(水素は減ってくる)
太陽は約50億年経つので中心部は半分ヘリウムになってしまっている。
まだ後50億年は安心していられる。
大量の水素を使っているので大量のニュートリノを生みだし、ほとんど光の速さで宇宙空間に飛びだす。
ニュートリノは身体の中を突き抜けて行っている。
1平方cmの面積を毎秒1000億個通過する。
ニュートリノは3種類あり、
①μニュートリノ ②電子ニュートリノ  ③τニュートリノ(電子ニュートリノの1万倍の重さがある)
レイモンド・デイビスが太陽の中心部でどんなことが起こっているか実験的に明らかにしようとした。
南ダコタ州の金鉱の地下1000mに太陽からやってくるニュートリノを捕まえようと装置を作ったが、ごく一部を捕まえることはできる。
装置は400トン位のパークロロエチレン(四塩化エチレン)という化合物を使って1日に数個位が反応する。

ニュートリノがどんな性質を持っているのか、どんな働きをしているか判れば宇宙の歴史の研究に役に立つ。
今も太陽からやってくるニュートリノの何千倍のエネルギーのニュートリノの観測をしようとアメリカで、南極の地下1000mぐらいに装置を作ってやっています。
あらゆる方向からやってくるので、宇宙の構造はどっちを見ても同じような構造をしている。
宇宙は1点から始まり(インフレーション)、138億年経っている。
太陽系は誕生から約50億年です。
イギリスのダラムにいたオルフェンデル?がセミナーをやるというので、会いたくて手紙を出して、三宅三郎所長と3人で雑談しました。
ニュートリノの地球にやってくる数が増えたり減ったりしているというので、その様に見えると私も思った。
エルニーニョ等も周期的にやってくることがあるので、太陽からやってくるニュートリノの増減も似ていると思ってそれからが研究の始まりだった。

デイビス先生の太陽の黒点数の10年のデータ、変動がかさなっていました。
太陽の周期が11年周期で、その周期に乗かって小さな揺らぎがありそれが26カ月で、デイビス先生のニュートリノの観測結果と合わせると、時間的にそういう変動があり、太陽の中心部で黒点の活動を動かしているのではないかと考えて、細かく調べたら同じように変動が起こっており、論文を書いてネーチャーに投稿したら、駄目だった。
再度作りなおして投稿したがやはりだめだった。
三度目もやったがやはり駄目だった。
癪に障るのでネーチャーの編集長に、レフリーがいる限り私の論文は日の目を見ないのでレフリーを変えてほしいと手紙を書いた。
編集長のジョン・マドックスから手紙が来て、私の判断で貴方の論文を受けるけることにした、1979年3月8日号に載せるつもりだという事で嬉しかった。
ホーボルト?(現在オーストリア国連本部のアウタースペースオフィスのチーフ)という人が「桜井の周期性」と呼びたいとの論文が出されて、「桜井の周期性」という名前が付けられることになった。

父は百姓をやっていて、長男が家の仕事を継ぐという事で思っていたが、牛ヒツジなどの世話をやって来ていたが、高校二年の時にPTAの総会に行った時に担任から大学を受けさせてみろと言われたとの事で、長男だから行ける訳ないだろうと逆に父に言った、或るときやはり行きたいと言ったら、一つだけでしくじったら駄目だと言われた。
大学に受かって、1年、2年は生物学をやっていたが、物理学をやりたいと思ったが地球物理学の研究室に入ることになったが、長谷川万吉先生は私は指導しないよ、研究したいことが見つかったら言ってきなさいと言われた。
今思い返しても有難かったなあと思います。
広野求和という当時の助手の方が、こんな論文を見てくれると言って、いろいろ論文を紹介してくれて、或る本を読んでみないかと言われて、シカゴ大学のカイパーという教授が編集した「THE SUN」という雑誌だった。
100~400km上空は大気がイオン化していて電離層という、電離層の電流のもとは太陽からやってくる紫外線とかX線なので、太陽の変動(フレア等の爆発現象)が地球でどんな現象が起こるか関係があって、太陽-地球関係の研究ができるので、勉強させようと広野求和先生は考えたのではと思います。

本を和訳してノートに細かく書き残した。(この事で理解が深まる)
太陽を研究する事にしたが、長谷川万吉先生からここは地球物理学室だぞと言われたが、お前が決めたのならばとことんやりなさいと言われてその後太陽一筋できました。
アメリカに太陽研究で行く事になる。
日本では1つの論文に何カ月もかかるのに、1年に6,7つもの論文を書きましたし、いろいろな人々と付き合う事が出来、人脈が出来ました。
オックスフォード大学のチャップマンが日本に来た時に、日本風の宿屋で寝起きしたいという事で先生の身の回りの世話をしろと言われて、食べものから箸の使い方、風呂で背中を流すことなどもやって、3週間一緒に過ごしました。
英語の論文を見てもらったら、真っ赤に直された。
チャップマン先生からは将来、或る分野の研究で有名になってエキスパートになったら恩返しをしないといけないと言われた。
「太陽宇宙線の物理学」という400ページの大著でした。
太陽の黒点の周期は11年周期で変化していますが、最近の10年ぐらいは太陽はとっても静かで、昔もあったが、一番有名なのが17世紀半ばから18世紀の約70年間は寒冷期だった。
なつでもテムズ川が凍ってしまった。
無黒点がこのまま続いたら地球も寒冷化してしまうのではないかと思います。
1975年 国際会議でエディーが黒点が無い時代が14世紀、16世紀、19世紀に変わる頃にもあったという話があったが、そんなバカな事があるのかと多くの人が言っていた。
太陽はとんでもない変化をするので謎はいっぱいあります。