2015年11月7日土曜日

佐竹節夫(コウノトリ湿地ネット代表)  ・コウノトリが豊岡を変えた!

佐竹節夫(コウノトリ湿地ネット代表)  ・コウノトリが豊岡を変えた!
66歳兵庫県豊岡市にある市民団体コウノトリ湿地ネット代表です。
豊岡市役所に務めていた1990年人事異動で総務課から豊岡市教育委員会文化係長になり、コウノトリの保護増殖事業を担当する事になりました。
平成11年にオープンした県立コウノトリの里公園の建設を県に働き掛け、平成17年日本初の放鳥にも貢献しました。
平成20年に退職して、コウノトリ湿地ネットを設立、豊岡市の委託を受けコウノトリのえさ場となっているハチゴロウの豊島湿地を管理し、コウノトリの住む環境を整え守る活動をしています。
今年は野生復帰から10年、野生のコウノトリは豊岡市を中心に全国で80羽あまりになりました。

汽水域 海まで意図的に繋げる水路を造ったので海水が混じった汽水域なのでいろんな魚が入り易くしました。
コウノトリが食べやすい様に水深も調整できるようにしました。
身長は1.15mあるので日本でも最大級の鳥で、羽根を広げると2mにもなります。
くちばしがまっすぐで長くて大きい。
繁殖期は春で、3月に卵を産んで、4月に雛がかえって2カ月で大きくして巣立ちが6月、親子で飛び方を教えたり教育します。
7月から8月に子育てが終わり、子供は親の縄張りから出ていかなければ行けなくて、秋には一服して、夫婦で絆を確かめあうような時期です。
豊岡では野生のコウノトリが今年新たに14羽生まれ、全部で全国では90羽越えたと思います。
豊岡では50~60羽います。

1990年人事異動で総務課から豊岡市教育委員会文化係長になり、コウノトリの保護増殖事業を担当する事になりました。
最初コウノトリには関心は無かったです。
文化財の保護等の一環としてコウノトリを保護増殖の仕事もあった。
どんどんコウノトリの魅力に染まっていってのめり込んでいってしまいました。
飼育所に泊りこんだり、夜も昼も休みなく一気に入ったと言う感じです。
かつては日本の各地青森から九州までいたらしいのですが、江戸末期が一番沢山いて、明治維新で近代国家になり、経済優先で生き物が排除され、20年ちょっとぐらいでほとんどいなくなってしまった。
乱獲時期に豊岡市では明治37年からコウノトリ保護をやっている。
大正14年には鶴山が日本の天然記念物になる。
昭和9年に20つがいいました。
戦争が始まる頃には少なくなって、戦後昭和25年には2つがいしかいなかったという報告がある。
昭和30年以降、剥製からDNAが検出され、最後の12羽の個体が残っているが、その剥製から検出された遺伝子は皆同じでした。

野生動物が絶滅に至る最後の段階は孤立した小集団に陥ると、近親婚を繰り返すしかなく、抵抗力が亡くなり、絶熱してしまった。
山から雨水が降りてくると小川に行って、田んぼに入って行って川に流れて行って、水で繋がってていて、産卵するころはたんぼにはいっていって、稚魚が育って川には言って行って豊かだったが、昭和30年代後半米の生産性を良くするために水のつながりがなくなり、田んぼが大きくなり孤立し、農薬を使って、機械を使って、生き物はほとんど住めなくなってしまった。
コウノトリは肉食で大飯ぐらいで、小さい亀でも、ナマズ、ミミズ、トンボ、ネズミ、カエルでも何でも食べる。
1日400~500g どじょうで70~80匹相当する量をたべる。
1971年昭和46年に豊岡市の最後の野生の一羽が死亡してしまう。
人工飼育で細々とやっていて9羽になり、旧ソ連から野生の鳥を6羽貰って、1組が平成元年に繁殖して25年ぶりに雛が初めて生まれた。
コウノトリを守る施設も必要だという事になり、推進するためにやろうという事で始める。

コウノトリの生息地を作ってゆく必要があり、農薬を使わない農業を考えてゆくということだが、とっても無理なことだったが、その中のの一部の人が環境を考えようというぐるーぷがでてきて、あいがもに雑草を食べてもらう、無農薬農業を始めて、行政もサポートして、グループ化ができてきて、JAと行政、農家グループの三者の連携ができたことが一番大きかったと思います。
いろいろ議論して生まれたのがコウノトリ育む農法。
川から魚が移動できるように水田魚道という階段を作りました。
東北の人達が冬にも水を張れば雁がそこにも住めるというし、餌にもなるとう冬水田んぼに取り組んだのをこちらにも取りよせてそういう農業を始めました。
休耕田、放棄田を利用して水を張ってコウノトリのえさ場になる様なものにもしました。
コウノトリは害鳥だったので、大多数が反対だったが、一気に変わったわけではなく、或る老人日本を見せられて、こういう農業をするとホタルやどじょうが帰ってきて稲も元気になる、けのうになるとかいてあって、わしはそういう農業をしたいがそのように出来ないので、まず役所でやってくれないだろうかという事で、そういう本物の農業をやりたい人が何人かいるんだと判った。
その人を核にしてやればできるのではないかと思った。

2002年8月54日に野生のコウノトリが来た、それで「ハチゴロウ」と呼ぶ。
それを見た人達は凄い感動が生まれた。
コウノトリは有害だと言われたが、いろいろ教えてもらって調査の結果、有害とはいえないことがわかった。
平成17年春ごろからここの場所に降りてきて、土地改良が始まっていたが、市役所が間に入って湿地にしましょうと湿地ができました。 「ハチゴロウ湿地」
2005年に初めて5羽放鳥、ようやく野にかえせるという事と何千人と言う人が来て凄い関心があったのかという事に感動しました。
2007年野生のひなが生まれるが、こんなに早いとはおもわなかった。
2012年に流域一帯がラムサール条約の登録湿地になる。
無農薬農業が始まったと言ってもまだ微々たるものなので、無農薬で2%、育む農法で10数%、無農薬を半分にするというのはまだまだ大変なことです。
今は外にコウノトリは出て行っているので、今後どうネットワークするのかが急がれている問題です。

豊岡市の60羽は田んぼは半分になりもう飽和状態だと思います。
外に広がっているという事はとってもいいことだと思います。
福井県越前市、千葉県野田市でのコウノトリの放鳥があり、コウノトリを育む農法が広がってきていると思います。
韓国にもコウノトリの里公園のコウノトリがいっている。(韓国でも絶滅している)
コウノトリが住める環境は人間にとっても豊かないい環境なんだという事で、農業を本物のにしてゆく人たちがいる、広がって来ているという事で、コウノトリのお陰で豊岡は変わりつつあると言えると思います。