2015年12月15日火曜日

西蔵ツワン(病院院長)      ・来日50年、「チベットの魂」を胸に(2)

西蔵ツワン(病院院長)        ・来日50年、「チベットの魂」を胸に(2)
難民キャンプのセンター長が女性で、ダライラマ法王の兄さんの奥さんになる人にうごいていただいて日本に行ける機会ができたので、5人(11~13歳)が1965年12月に日本行きました。
私自身は全く不安は無かった、先進国の日本に行けることが、むしろ希望に近い様な感じでした。
1959年にダライラマ及び6万人がインドに亡命して、柱として教育があり、1960年半ば代でアメリカ、スイス等に多くの子供達を受け入れてくれて、近代的な教育を受ける事ができた。
日本にも受け入れてくれないかという事で、木村肥佐生先生がおられて、第二次世界大戦中に、
モンゴル経由でチベットに入った日本人で、戦後に日本に戻って、日本国内で動いて、埼玉医科大学の初代理事長の丸木清美先生と出会い、丸木清美先生が引き受けるという事で毛呂山町の丸木清美先生のところへ1965年12月に5人が行きました。

取り合えず中学に4人が行く事になるが、その前に小学校の国語の教科書をマスターしてほしいという事で、4か月猛特訓でした。(寄宿舎での生活指導を含めて)
家族とのやり取りは殆ど手紙でやり取りをしていました。
高校、大学を出て、チベットの関する活動はしなかった、大学で研究をやったり、論文を書いたり、発表したりという事がありました。
医学博士も取りたかったので、そういう方向に集中していました。
本格的にチベットのことをやり始めたのが、或る程度自分の目標を達したので、そろそろ同胞のために何かやらなければと思って、活動しはじめたのは大学を出てから始めました。
1967年7月、ダライラマ14世が初めて日本に来る。
5人がダライラマ14世に面会している。
法王がチベットの若い人に対する教育を物凄く熱心に取り組まれて、1960年代半ばから、インド、チベット難民等に対して頑張れと廻られた時期がありました。
海外にいるチベット留学生に法王が出会ったのは、この度が初めてでした。

留学生は総勢21名になっていました。
当時毛呂病院にわざわざ来ていただいて、宿舎などもご覧になりました。
「一生懸命勉強して専門性を持ってほしい」と言っていました。
丸木清美先生が口癖のように言っていたのは、「君たちにはハンディーがあるんだから、日本人が1時間勉強するなら、2時間勉強しなくてはいけない」と、しょっちゅう言っていました。
日本人の倍努力するということは、いつも意識の中にあって生きてきました。
1987年 昭和62年に日本に帰化しました。
パスポートはインド政府が発行する特別なICカードでした。
日本に来ていて、入国管理事務所に滞在の手続きをしなければいけなかった。
「無国籍」 (  )の中にチベット生まれと書いてきていた。
結婚、子供ができて、このままだと不便なことが多くて、私が研究発表の為に外国に行くときにも不便さがあり、妻も無国籍で子供も2人無国籍だとどうなるのだろうと不安もあり、日本国籍をとることにしました。

埼玉県立飯能高校の同窓生とともに、「飯能チベットを知る会」を立ち上げる。
チベットを知る人は日本人の中ではまだまだ少ないと思いますので、発足しました。
音楽、映像でチベットの文化、歴史、現状問題を知っていただきたいと、短編映画がありましたので、上映会をしました。
(「風の馬」、「チベット チベット」、「チベットの風」、「ヒマラヤを越える子供達」等)
今、チベット人が抱えている問題に関しては、全然知らなかったと言う人が多くて、上映後アンケートなどをする中でそういう言葉が多かったです。
講演会では、渡辺一枝先生にお願いしてチベットの事をしゃべっていただきました。
*渡辺一枝さん 2012・10・22  2012・10・23 明日への言葉に出演 以下参照下さい。
http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2012/10/blog-post_22.html
http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2012/10/2.html
国内にいるチベット人は、かなり中国の抑圧政策の中で苦しい思いをしています。
2008年にチベット国内で大きな暴動があったという背景は何かという事を考えないといけない。
最近焼身自殺、140名位が焼身自殺、ほとんどが若いチベット人でお坊さん尼僧さん等。
2008年以前は毎年1000人前後の子供たちだけでヒマラヤを越えて、ネパールを通ってインドの亡命先の学校を目指して、或いはダライラマ14世に会う事を目指して、危険の中を来る訳です。

いまでも起こっています、中国政府が言っているチベット人は幸せであるかというと、答えはNOです。
なぜ彼等は焼身自殺をするのか、なぜ彼等は子供たちだけでヒマラヤを越えて、インドに脱出するのか、なぜなぜなんです。
海外にいるチベット人たちは、こういう事を発信しなければならないという役目が、我々には有ると思っています。
チベットの国が無くなってから60年になり、私たちが日本に来たのは50年になり、其過程の中で亡命したのが1世、2世になり、3世以降になると果たしてチベットの事を言うかということは別の問題になるので、チベットの問題に関して時間がたってしまうと、そういうのを失なってしまうのではないかと、唯チベット人としてのアイデンティティーは3世になっても持っているんです。
私達の状況は放浪の民だと思っているが、他の国にお世話になって自分の国は持っていなくて、その気持ちは非常にきついものがある。

チベット人は優秀な民族だと思っていて、どこかでチャンスを与えられると一生懸命やる民族だと思っています。
それぞれの国でチャンスあるものはしっかり捕まえて、しっかり勉強して、それぞれの国の人々から尊敬されるチベット人であってほしいと私は思います。
微妙な問題であありますが、いずれチベットに帰る時に、自分の国は自分でおさめる様な人材になってほしいと思います。
今はそのエネルギーを溜める時期だと思っています。
中道の道はなんぞやというと、自分のことばっかりをしないで、相手の利になるような方策はなにか、チベットの自治区があればいい、本土にいるチベット人が幸せで有れば良いと思います。
それが中国共産党に対してもマイナスにはならない、我々にもプラスになる、中道の精神。
チベット人側に於いて120万人以上の犠牲者があることは事実ですが、中国の国民も被害者だと思っています。
正確なチベットの歴史、現状を中国国民は知らない状況なので、チベット人と中国人同士が話しをすると必ず一つの問題のきっかけになるのではないかと思う。
中道の道は中国人の学者作家、著名人から支持されているので、そういう話が中国国内で広がってくれれば、チベットがいい時代を迎えることができるのではないかと思います。