2015年12月22日火曜日

中邑賢龍(東京大学教授)      ・「突出した才能」を伸ばせ(2)

中邑賢龍(東京大学教授・東大異才発掘プロジェクトROCKETディレクター)
 ・「突出した才能」を伸ばせ(2)
変わった子供たちが傷つかずに、自分らしさを発揮しながら大人になれる、そういう社会を作るためのプロジェクト。
心に病を抱えた人達、社会からドロップアウトした人達の話を聞くと、子供のころに受けた傷が凄く大きい、能力がある人なのに、周りは一つの枠に閉じ込めようとする。
ユニークだけど認められて来なかった、そういう子が不登校になる。
彼らが満足できる場を作ってみたかった。
1年目が15人、新しく13人加わる。
あまり変わることは期待していない、変えようとは思っていない、手を加えないのが基本です。
人間が生きることはどういう事かという部分の教育を徹底してやっている。
1期が600名、2期が550名の希望がありました。
想像以上に反響がありました。

スタッフは5人 非常勤が数10人、月に一回2泊3日で授業を受けるが、それプラス、プロジェクトを達成するための学習機械を展開を含め地方で合宿等を行っています。
いかを食べるために包丁などを与えて、「食べろ」と言って食べてもらいます。
「教科書下さい」という、学校が嫌いだと言ってもマニュアルがないと何もできない。
腹が減っているので何でもいいから食おうという授業をする。
煮たり焼いたりして、盛り付けも全部違う、子供の個性を発揮するという事がそういう事です、手本を示さない。
ゼロを1にする子はなかなかいないと思う。
椅子を解体して新品に再生するというプロジェクトもあります。
ばらせない、ハンマーでどう叩いていいか判らない。
壊してはいけないと言ったりするが、こちらが壊したりする。
にかわなど見たことがないので、そうやって勉強になる。
最初の取っ掛かりが判らない。

結局皆最終系を求める、上手にできたでしょうと、でもそれは求めてはいない。
にかわを使わずボンドを使うが、にかわは扱いにくいという、学校ではお前たちもにかわ少年で扱いにくいよなあと言うと、「先生にかわにもいいところがあるかもしれない、もう一回にかわ使ってやってもいい?」という、そのことが実は一番大事なことかもしれないと思う。
裏にあるいろんな学びがこの子たちにとって重要なんです。
大学の研究でも、論文書くためにというのがいっぱいいる、
本来研究は世の中を変えるためにやると思うが、大きな先の目標を見て研究している人が少なくて、特に若い人が目先のことばっかり追う様になってきている。
先を見ながら生きるという事の大事さに気付かしてやるという、これを徹底的に取り入れていこうと思っている。
消え行くものが消したら、大変なんだという事に気付いてもらう、そういうものこそ意味があるという事に気付いてもらう事が一つプロジェクトの目的なんです。

お茶作りの再生で、お金をかけてお茶作りをして子供たちが失敗しカビが生える、聞くと周りのせいにする、お爺さんに手続きを聞いてその通りにやって失敗しているという、お爺さんは親から夜通し見るように言われるが、「夜は見なくてもいい」という事が判って、「昼は見よ」という事だったが、昼間だれも見ていなくてカビが生えてしまった。
お爺さんには生活がかかっているという責任感、必死さが違う、子供達は人のお金でやっているからそういうことになるので、この違いに気付く事が一番大事だと思っている。
人のせいに置き換えるという事に、皆やってしまう、自分のやったことは自分で責任を取る。
わがままな奴が言っても誰も聞かない、とにかく自分でやりなさいと言っている。
イノベーションって、全く違う発想を投げ込むのから、起こるもので、空気を読む人達は起きにくい。
空気を読まない人達の発言をさらっと受けてくれる集団がROCKETです。
何でも許される、時間割さえ有って無い様なものです。
こんなにいい加減で計画が決まらないのに何とかなる、そういう場面を山ほど味合わせてあげる。

いい加減さの中で生き切るという事が大事、そこで悩まない。
周りが心配するから他の周りも心配する、泣こうが知ったこっちゃない、親の考えが変わっていただかないと駄目、泣く子供は親が心配して送りだすから駄目。
人を信じない生き方をし過ぎているからややこしくなる、大変だが預かった人間が責任を持ってやる。
多くは大人が責任を持ってやるという意識がない、社会が悪い、周りが悪い、政府が悪いというが、何が悪くても貴方たちがしっかりしていればどうにかなるという大人が少なくなった、私達がそのモデルにならなくてはいけないと思う。
重い障害のある人たち、別に税金を払わなくてもいい、役に立たないとか子供も悩んでいるが、人に自分の考えを理解してもらおうということは疲れる。
良いとか悪いとかで人を見たりしない、生きている、それぐらいでないとしんどい。
価値観の違い、直ぐには相いれない、話合ってすぐにどうなる問題ではない、それを越えたところにもっと大事なものがあることにもう少し気付けばいいと思う、宗教観等の違いは絶対そうです。
重い障害のある人たちが目を閉じてベッドでずーっと寝ているそれも一つの世界です。

非日常的な経験を沢山持つ、そうする事で自分に気付くことはたくさんあります。
二つの世界がいがみ合うのではなく、共存していている、どこかで緩やかに結びついて一緒に仕事をする、そんな社会を目指すのが、理想です。
重度の言語障害の子と付き合って生き方が変わった気がします。
自分のやっている事言っている事に疑いを抱かず、プレッシャーをかけていたが、重度の言語障害の子と付き合って、ちょっと聞きだすだけで5分もかかり、早く言えとは言えない、できないはできないという事に気付いた、それが大きかった。
プロジェクトの目的はこの子らを異才にしようというわけではなく、つぶれずに大人になれる様な場所がある、その存在を知って同じように学べるような仕組みができてくると、変わった人たちがつぶれないまま大人になるという事になり、面白いイノベーションが起きるようになって面白い社会ができる、子供たちが幸せに生きることが大前提ですが、連携しながらそういう社会を作るそれが目標です。