2016年1月4日月曜日

八木忠栄(詩人)        ・ふるさとを詠む

八木忠栄(詩人)            ・ふるさとを詠む
昨年出版した詩集「雪 おんおん」が現代詩人賞、詩歌文学館賞とダブル受賞して注目を集めている詩人です。
昭和16年生まれ 新潟県出身 東京の大学を出て現代詩の編集員として活動してきました。
その一方で自分でも多くの作品を世に問うてきました。
いつも疾走している詩人と言われてきましたが、最近ではじっくりとふるさとを歌うようになったそうです。
ふるさとから眺める弥彦山、良寛さんが暮らした国上山の庵など、地元を愛する詩や俳句の作品を数多く発表しています。

「煮菜」 大きい菜をたるに漬けて冬の貯蔵食、それを塩出しして煮たり潰した豆を入れて食べたり、そればっかりだった。
新潟の見附市生まれ、買い物など長岡が多かった。
故郷の詩はこのごろは多い、若いころは嫌だなという感じがあったが。

「母が笑う」
「母が笑う  20cm余りも降りまして 人はてんやわんや 人は滑って転んで転んで おめでとうございます  雪は滑る滑る滑る滑るとも こたつでTV、茶を吸いながら 雪国の母はあきれ顔で笑う
ばーかめ すってんころりと町も転ぶ せがれやかかあも 滑って転ぶ転ぶ 雪降る町はなぜか
うれしい  母の笑いの小さな渦巻き、 ばーかめ 電車も会社も滑って転んで転んで はいおめでとうござんす」

父も、母も、弟も死んでしまったので、昔の故郷に帰る機会が少ない、そうすると逆に故郷を思い出す。
昔、親が花札をやるのを見るのが楽しかった。
最近は百人一首を子供や孫たちとやります。

「姿正しき」  (「姿正しき・・・」は子供のころの校歌)
「姿正しき 弥彦山と歌い 俺たち裸足で板の廊下を走った。 滑って転んだ。 先生に怒鳴られた。 守門岳のてっぺんには 冬の印がもう夜明け前から 座りこんでいた。 刈谷田川の浅瀬でちぢこまっているちいさな巻貝たちも一緒になって校歌を歌った。 姿正しき  その言葉で俺たちは背筋をすっと伸ばした。  浅瀬は冷え込んで 傾くだけ 流れは小さな巻貝達を あっさりひっくり返した。  それでも新年の餅はまぶしくよく伸びた。 廊下も伸びた。 伸びて伸びて弥彦さままで 向こうは佐渡よ。 小さな巻貝達 今朝も姿を正して歌え。」

高校時代に新潟日報に詩の欄があり、投稿して活字になるのが嬉しかった、それがきっかけで、詩を書く様になった。
編集者にはなりたいとぼんやり考えていた。
昨年、詩集「雪 おんおん」が現代詩人賞、詩歌文学館賞する。
詩集の最後に富岡多恵子さんが疾走を志す詩人だと書いている。
若いころはそういう自覚はあった。

「リヤカー走る」
「どろんこの道をリヤカー走る。 赤い風にあおられ 風ダルマになった父が引くリヤカー
ぐんぐん走る走る。 リヤカーにもうろくしたじじばば乗せて  楽しいなうれしいなせつないな
ひょーい じばばは立ちあがってがっぷり四つ。 照国 葉黒山 よーいはっけよい。  やんやの声援を惜しまない。 道の草々 風ダルマになった父は どこまで走る。 
野良着はだけて泥跳ね飛ばし 勝手知ったる田んぼの道。 でこぼこ 渡り鳥は整然と 弥彦山を越え北を目指す。 あたりは寒く暗くなってきやがった。  赤い風が煽る煽る。 じじばばは抱き合ってけったけった笑い  時に飛び上がってどなりわめく。  構わずひた走る父のリヤカー。 
千切れ飛びすっとび 蛇は石垣に身を隠す。 出べそが邪魔だなあと田の神様。 うっうるさい。  日は無常にも大きく傾く まだまだ走る。」

書きだして書いているうちにぱっと言葉が出てくる、頭で考えていると出てこない。
全部わかっていたら書いてもしょうがない。
静かなところが良いかというとそうでもない、酒を飲んでいると駄目です。
俳句も20年ちょっとになりますが、これは遊びです。
短歌と詩は近い、俳句は全く詩とは切れるので両立できます。

「長き夜は うつらうつらと 故郷(ふるさと 又はさと)の酒」
「春の雪 ごぜさんたちの せにやさし」  ごぜさん(お爺さんの知り合いで、親戚とか近所の人、 外から来る人)
「ふるさとへ ゆきつもどりつ 青田風」
「つくしんぼ みな良寛さまの 立ち姿」

俳句はスパッと決めてゆく、俳句の面白さは詩にはない面白さ、だから両方続けられると思う。
良寛さんの歩いた後を何度も歩きました、五合庵にも何度も行きました。
田村隆一さんは三代が一緒になってようやく文化は引き継がれていくと言ったが本当にそうですね、今はそれが崩れてきている。

「あの柿の木の股」
「お前はのう  あの柿の木の股から 産まれたがんだ。 窓の外の柿の木を指差し ばあさまはにっこりして  私にくり返しそう語って聞かせた。  そのたびに柿の木の股をしげしげと
眺めながら こどもごころにちょっと淋しかった。   ごつごつして妙になまなましい股。  
ばあさまの言葉を私は信じて疑わなかった。   けれどもばあさま! 
弟の場合はある秋の日の午後、かあさんのサルマタのなかにオギャーと産まれ落ちたんだよなあ。 家中みんなが騒いていたじゃないか。  小学一年生の私はそれとなく知っていたぞ。  
「でも せがれであるおまえはおまえ、、、、」  柿の木の股がほんとうのかあさんだとすれば  
毎年たわわに実るあの柿の実は ひとつ残らず私の兄弟姉妹ーー 幼い私にも世のなかのことが  少しだけわかりかけてきた。」

詩に満足はできずに、次へ次へとやっていくうちに何十年もたってしまう。
意識的に故郷を書くつもりはないが、お爺さんお婆さんに自分の年齢が重なってゆくとそうなるんですかね。
詩を書く時間も自分の人生に中で見いだせれば素晴らしい事だと思います。
物をよく見る、自分の言葉で書く。
詩には約束事がない、自分が書きたいことを書けばいい。