2016年1月5日火曜日

吉住小三代(三味線音楽普及の会理事長)・三味線の響きを世界に

吉住小三代(NPO法人 三味線音楽普及の会理事長)・三味線の響きを世界に
能楽梅若流の家に生まれ幼いころから伝統芸能に慣れ親しんできた、吉住さんは長唄吉住流の6世吉住小三郎さんと結婚、三味線演奏家の道を歩んできました。
吉住さんは三味線の良さを判ってもらおうと2000年に、NPO法人三味線音楽普及の会を立上げこの15年間で3400か所あまりの小中学校に主張授業を行っています。
去年ウズベキスタンで開かれた第10回世界伝統音楽の祭典で、太鼓とコラボして第一位になり国内外の三味線の普及に自信がついたと言います。

去年ウズベキスタンで66ヶ国の国々から楽器を持ち寄ったり合唱等で参加して行われました。
シルクロードの中間あたりのところで、オアシスの国で水も緑が豊かで為政者が欲しい国で、長い歴史の中で、征服されてしまったりしました。
20年前の大地震があった時に劇場だけが残ったが、その劇場があり、戦争でソ連の日本人の抑留された方がウズベキスタンまで連れて来られて、労働をさせられて、その時に日本人によって建てられたのがその劇場です。
地震でその建物だけが残ったのでウズベキスタンの人は日本人を凄く尊敬してくださる。
埋葬されている日本人墓地に桜を植えて供養したという事があり、ウズベキスタンの人は私たちが演奏すると大喝さいしてくれました、非常にうれしかったし、先人たちは凄いと思って涙涙(るいるい)しました。
演奏者が6人、踊りがちょっとですが、三味線でエントリーしました。
太鼓とコラボして第一位になりました。
楽器を通して日本語を伝えたかったので、日本の花鳥風月、風土などをテーマにしたものをつなぎ合わせて演奏しました。 15分ぐらいの演奏でした。
「さくら さくら」とか虫の声、水の流れ、お祭り、獅子(日本の伝統に欠かせないので)が狂っているさま等をつないで、太鼓を入れてやりました。

三味線のルーツがシルクロードなんです、シルクロードから中国大陸から沖縄に入ってきて、三線(さんしん)になったのが今の三味線のルーツと言われています。
似たのはあったが4本だったり、長さも、大きさも色々あり、どれがそうなのかは分からなかった。
日本では三味線は大劣勢です、音楽教育の問題があると思います。
明治の教育で和楽器は学校教育から追い出されてしまいました。
三味線を見たことがあるかどうか子供に聞くと200人で3人位です。
2000年に文部科学省が、音楽に和楽器をひとつ教えなさいと変わって、音楽の先生たちは何をしていいか判らず、太鼓が取り入れられたが、三味線をなんとかして和楽器として習ってもらいたいと思ったが、個人が動いても相手にされないと思って、NPOを組織して指導法も確立して手探りでNPOを立ち上げました。
4代目吉住小三郎がいまして、文化勲章を頂戴したり、文化功労者、人間国宝にもなり、祖父が後世に伝えなくてはいけないという思いになったのは福沢諭吉だったそうです。
福沢先生自身も三味線の音を聞くと筆が進んだそうです。
祖父は西洋音楽が全国を覆ってしまうので廃業しようと言ったら、福沢先生が「君は何を言っているんだ、これから日本の文明が世界に出てゆくときに日本人が日本の楽器をすててしまってどうするんだ」と言われて、4代目吉住小三郎は家庭の中の皆さんに習っていただく事を主体とする流儀にしようと思った。

長唄研精会を作ったり、芸大に邦楽科を作ったりという作業をしました。
100年経って文部科学省が和楽器に目を向けてくれた。
祖父の流れを汲んでいる家のものとしては、これはやらなければいけないと思って、全国の学校に行ったり、皆さんに伝えることが務めだと思いました。
今の音楽とリズムが違うのですが、判ってくれる人が欲しいです。
和楽器に触ってほしい、日本文化を語ってくれる人が欲しい。
パリで能をやったが、日本大使館にいた超エリートの人達の能に対する知識が全くなくて、恥ずかしい思いをしたという事もあり、梅若流に生まれた人として、その国の文化をそれなりに理解をしてほしいと思う。
日本人の感性、そういうものをこの楽器を通して感じてほしいと思います。
三味線は難しいので、リズム遊びをしたり、音階を弾いてみたり、水の音を表して見せたりします。

40分で構えさせて色々するのには、大変です。
弦楽器と打楽器として組み合わせたりもします。
ドとミの音の間には無数の音のつながりがあり、色に例えると白と黒は合い反する色であるがその間には無数の灰色があり、いろんな事を考える事に相当するので、白のA君、黒のB君の間に相いれないところにも無数の解決策がある事を理解するように言っています。
3000校、延べ12万人弱の生徒が三味線を持って弾いてくれました。
本当に弾くところまではなかなかいかないです。
三味線は歌を歌う方の伴奏楽器ですが、楽器としての三味線を日本人の中に根付かせるのは、難しい。
音色そのものはウズベキスタンで世界の人が綺麗だと言ってもらえたので、これからどうやっていこうかというのが一つの課題です。
ボストンからオファーがありました。
繋げてゆく辛抱強さは女性に向いていると思います。