2016年2月9日火曜日

岡 真理(京都大学大学院教授)  ・人間の尊厳を問うパレスチナ文学

岡 真理(京都大学大学院教授)  ・人間の尊厳を問うパレスチナ文学
1960年生まれ アラブ文学を通して人間の尊厳を奪われて生きる人の苦悩を見つめています。
東京外国語大学でアラビア語を専攻した岡さんは当初ジャーナリストとしてパレスチナ問題に向き合いたいと考えていました。
大学一年生の時に、パレスチナ難民を主人公に多くの作品を残した、パレスチナ人作家ガッサーン・カナファーニーさんの小説を読んだ事が文学の道に進むきっかけになりました。

高校のころから英語が好きで、1年生のころから東京外語大学に進もうと決めていました。
珍しい言語をやりたいと思った。
最終的にアラビア語にしようと思った。
1972年(小学校6年生) 日本人がテルアビブでの空港で軍事作戦を行って、機関銃乱射事件の報道が衝撃的で、ハイジャックとか、記憶に残って、中東の事が衝撃的に受けとめていたように思う。
パレスチナ問題が展開され、ジャーナリスチックに関心を抱いていた。
ジャーナリストとしてパレスチナ問題に向き合いたいと考えていました。
大学4年の時にエジプトに留学、カイロ大学聴講生。
アラビア語にどっぷりとつかって、後から考えると感謝しています。

大学一年生の時に、奴田原睦明先生が貸してくださったのが、先生が訳されたガッサーン・カナファーニーの作品集でした。
それを読んで衝撃的で、パレスチナ難民のことを知らなくて、ユダヤ国家の建設によって、もともと住んでいた土地を追われて難民になった事など知らなかった。
ガッサーン・カナファーニーの作品には「太陽の男たち」「ハイファに戻って」などの作品がある。
1948年にヨーロッパの難民問題を解決するために、国連がパレスチナを分割してそこにヨーロッパのユダヤ人の為の国を作ることを決定するが、その結果としてイスラエルができる。
そこにはもともと100万人位の人たちがいて、70~100万人が難民(民族浄化)となる。
土地を奪われた多くは、ほとんど農民だった。 
「太陽の男たち」は1962年に書かれる。 
難民生活をしている3人が、妻子、家族を養うために産油国に入ろうとするものたちだがビザが無く密入国するが、クウェートからイラクに水を運ぶが、国境を越えるときに給水タンクに隠れるが、灼熱地獄の給水タンク中で、息絶えてしまう、という様な内容。

ガッサーン・カナファーニーの作品、難民キャンプに打ち捨てられて、そこで朽ち果ててゆくしかないパレスチナ難民の姿を象徴させて描いている作品。
世界に向かって自分たちを助けてくれと、その声をあげることさえできない、難民たちの状況をそういう形で象徴している。
エジプト人が監督して、映画化もされている。(ガッサーン・カナファーニー自身が脚本をチェック)
この作品のラストで、トラックの給水タンクの中にいる3人はパレスチナ人は声をあげて叩いているが、クウェートの入国管理事務所がエアコンの室外機の騒音で叫びが聞こえない、結果は叩いているんだけれども死んでしまう、監督は、今パレスチナ人は声をあげている、でも世界はそれに耳を傾けていないと、作品をそう言う風に書き換えている。

昨年シリアの戦争で難民になっている人たちが大量にヨーロッパに押し寄せているが、ニュースでも取り上げられている。
2011年から難民は発生していて、100万人単位のシリア難民を近隣アラブ諸国は受け入れているが、あふれこぼれて、今はヨーロッパが受け入れて、それでようやくニュースになる。
2004年8月にヨルダンに行きました。
2003年3月にイラク戦争が始まる。
ヨルダン、イラクの国境地帯に難民キャンプがあり、イラクにいたパレスチナ人で戦闘終結後も内戦となり、以前は優遇されていたパレスチナ人は迫害を受けて、難民となりそこに留まる。
パレスチナ人は国が無いのでヨルダンが入国を認めないので、戻ることもヨルダンに入ることも出来ない。

ガッサーン・カナファーニー自身 1948年にイスラエルが建国されて12歳で彼自身が難民となり、大人になって小説を書くが、人間が難民となるとはどういうことなのか、難民として生きることはどういうことなのか、そのことを思想的な意味を作品を通じて追求した人です。
「ラムレの証言」 岡 真理訳
1948年7月にラムレの街が占領されて、そこに住んでいたパレスチナ人がどのように難民になったかという事を少年が経験して、その経験を回顧する様な形で書かれている。
その中に床屋さんがでてくるが、彼が娘、奥さんを殺されて最後に自爆をする。
自爆の報道があるが、テロを擁護する気持ちはないが、暴力が生まれてくるその背後、根源には何があるのか、自分たちの人間性を顧みられずに、殺されて人間の尊厳をかけた抵抗なんだという事がこの作品を読むと判ると思います。
未来への絶望、暴力をどうして自分に対して行使するのか、暴力を生みだす根源は何か、占領であり占領の暴力だという、そこを見ないといけない。

ガザ地区 2006年 完全封鎖が始まる前、近代的なビルが立ち並んでいる写真。
完全封鎖→生命に必要な最小限の物資しか入ってこない。(世界最大の野外監獄と言われる 200万人位が閉じ込められている)
2014年夏に51日間に渡る一方的な攻撃により、凄まじい形でガザの市街地が破懐された。
物理的な暴力ではなく、封鎖はじわじわと構造的に人間が生きることを蝕んでゆく暴力、産業基盤が破壊され貧困で十分な栄養もとれず、内側から健康が蝕まれてゆく。
生きながら死んでいる状態と、今戦って空爆で死ぬというどちらかを選べと言われたら、戦って死ぬという方を選ぶと言っている。
完全封鎖は、人間が人間らしく生きる事の可能性の全てを奪われて生きている、そういう事なんです。
2009年 7年前から「国境なき朗読者」を結成。
2008年12月に完全封鎖されたガザ地区に対して、イスラエルから大規模な軍事行動があり、22日間にわたってミサイル、砲弾が加えられて1400名以上が亡くなる。
ガザの英文学の教授が世界に向けていま何が起きているのかを発信していて、私もメールを受け取り、その後「ガザ通信」を刊行されて、ガザ攻撃を日本社会に伝えるという事で関わった。

文学に携わるものとして、文学を通して関わりたいと思った。
パレスチナ難民の物語「ガザからの手紙」 「ガザ通信」 2003年ガザに行った米国女子大生でパレスチナ人の家を破壊する軍事ブルドーザーの前に立ちはだかって殺されたレイチェル・コリーさんの家族に送ったメールなどから、「ガザ希望のメッセージ」という朗読劇を作って京都を中心に色々な都市で上演活動を続けています。
こんな状況でありながら、ほんとうに人間であり続けようとする人たちの力強さ、勇気、人間としての崇高さ、彼らの戦いに触れて、物凄く私が豊かになり学ばせてもらって、それを日本の人たちに伝えたいです。
一昨年来日したラジ・スラーニさん (ガザの人権活動家の弁護士、長年の人権擁護の活動は国際的に高く評価され、ロバート ケネディ人権賞(1991年)、フランス人権賞(1996年)などを数々の国際的な賞を受賞。2013年12月には、“第二のノーベル平和賞”ともいわれるライト・ライブリフッド賞を受賞。)が来日講演していただいたが、自分はパレスチナ人として生まれて幸せだと思うと、理由は家が破壊されて200万人近い人口のうち50万人が戦争でホームレス状態になって、完全封鎖の中で皆が分かち合っている。
同胞であるという事を誇りに思っている、ホロコーストを経験したイスラエル自身がパレスチナ人という他者の人間性を顧みない状況になっている。
これこそが人間としての敗北で有れば、自分達はそうなるまいとしている、あくまでも人間であることを手放すまいとしている。
人間であるということは、他者の苦しみに対する共感、共苦である。
パレスチナに行くと、そういう深い人間の愛情で包みこまれる。
東日本大震災の時に、ガザが最初の攻撃にあってから2年目で、家を失ったことに共感するという事で、完全封鎖の中で物資は送れないので、義援金を届けたそうです。