2016年3月16日水曜日

神谷未穂(コンサートマスター)   ・復興に思いを込めて奏でる

神谷未穂(仙台フィルハーモニー管弦楽団 コンサートマスター) ・復興に思いを込めて奏でる
大震災の有った3月11日から2週間後には、震災復興のための支援コンサートを始めました。
宮城県を始め東北各地の避難所、仮設住宅などを訪ねては人々の心を慰め、元気付けて去年の秋には500回を越えていまも支援活動を続けています。
5年間の活動を通しての想いを伺います。
神谷さんは1973年生まれ、桐朋学園大学、ドイツ ハノーバ音楽大学、 パリ国立高等音楽院を卒業し、2010年9月から仙台フィルハーモニー管弦楽団 コンサートマスターを務めています。

震災の当日は、拠点の青年文化センターに団員のほとんどがいました。
最後の通し稽古で各自練習をしていました。
譜面台が倒れたり、音のすごさにただごとではないと思いました。
特に弦楽器は古くからある楽器で、私は1740年代の楽器を持っていましたが、自分の代で壊してしまったらどうしようという恐怖感を初めて経験しました。
自分の死に対する恐怖も感じました。
数秒もたたないうちに、楽器を閉まって、スタッフの誘導で外に逃げました。
本番用のドレスを着ている若いソリストもいて、ほんとうに寒かったです。
信号も消えていて、自動車事故が起きていて、悲鳴も聞こえていました。
私は仙台に引っ越して間もなくだったので、首席奏者のチェリスト原田さんに車で送り届けてもらいました。
道路地割れができており、水が噴き出ていたりしていました。
しばらくはみんなと連絡取れない状態でした。
県庁に避難させて頂いて、充電して携帯で連絡が取れるようになりました。

九州での演奏会が数日後に有ったが、キャンセルになり、沖縄公演に誘ってもらって沖縄に行く事になるが、高速バスを利用する事になる。
チケットをどうにか友人に手配してもらって、なんとか東京に戻り、名護に行きました。
プロになって初めて楽器を触らない日が5日間ありました。
無性にフランスの作曲家のモーリス・ラヴェルの「ツィガーヌ」を弾きたくなって、全身の血が騒ぎ出すような思いをしました。
周りに励まされて、募金活動が世界中から集まり、音楽で人々を力つけたいとそれぞれ思ってたが、こんな時にとの思いもあり葛藤があったが、音楽による復興と言うことに全力を注ぎました。
最初は3人とか、四重奏とか小さな編成しかできなかった。
最初は仙台の商店街の半分外みたいなところでやりました。
ジュール・マスネのタイスの瞑想曲を演奏しました。

名取、七ヶ浜 避難所とコンタクトを取り、4月7日に演奏をすることになりました。
自分たちが想像した以上の状況でした。
こんな大変なところで演奏してどうなんだろうと思ったが、音楽で亡くなった方の為に祈りましょうと呼びかけて、「星に願いを」、「アベマリア」等を演奏しました。
最初は遠巻きにしていましたが、演奏をし終わったときには何百人のかたが近くで聞いてくださいました。
音楽は人のために役立つんだというコメントを頂きました。
音楽を演奏する場所がある事で私たち自身も力を頂きました。
今まで以上に団結力が強くなって、演奏にもプラスになったと思います。
一つ一つのコンサートを大切にしようと改めて感じました。

最初海を連想する様な曲は控えていたが、元気な曲をとか、歌を歌わせてほしいと、リクエストもあり、段々演奏の曲が変わってきました。
金沢、新潟、東京のサントリーホールで演奏したりしましたが、本拠地では7月になりました。
その時演奏した「新世界」は自分の人生で忘れることができません。
仙台フィルを応援してくれた、指揮のパスカル・ロフェさんが最初日本語で挨拶して、「ふるさと」を日本語で歌われました。
復興支援コンサート公演も昨年10月には500回を越えました。
仙台フィルハーモニーも長い活動を続けなければいけないと思っています。
ロシアから支援をいただき、御礼の意味で3年前にロシアツアーを行い、その時の事が仙台フィルハーモニーにとってプラスになったと思います。
偉大な作曲家の土地、景色、食物をいただき、芸術を肌で感じて、素晴らしい経験となりました。
定期演奏会300回をそろそろ迎えるので何とか成功させたいと思っています。
コンサートマスターになって3年ぐらいは本当に大変でしたが、そろそろ6年経ち、やり甲斐、楽しさを感じています。