2016年5月9日月曜日

植松 努(電機メーカー専務)   ・北町ロケット

植松 努(電機メーカー専務)   ・北町ロケット
北海道赤平市 49歳 産業用のマグネットを製造する町工場でロケット開発に挑んで居ます。
植松さんがロケット開発を始めたのは2004年、北海道大学の大学院教授永田晴紀さんとの出会いがきっかけでした。
永田さんはスーパーのレジ袋などに使われる原料のポリエチレンを燃料として火薬を使わない小型ロケット「CAMUI」の研究を進めていました。
植松さんはロケット製作をしたことのない社員と共に一機2000万円と言われるロケットを数10万円という低予算で作ることに成功しました。
一方で工場の実験施設を教育に生かそうと、子供達を対象にしたロケット教室を開催、年間およそ1万2000人の人がロケット作りを体験しています。

CAMUIロケット カムイ=アイヌ語で神  一般的なロケットは燃料を積んでそれを燃やして飛んで行くが、燃料が危険物を使っていて、危険物を使っているためにそれを管理する事が必要でお金がかかってしまって、それがどうしても安くならない理由の一つになっています。
永田先生は石油と同じような成分でありながら、巻き散らかさないものを燃料にしようという事でポリエチレンを使っていて、特殊な形に成形すると猛烈な勢いで燃えると言う現象を永田先生が見つけ出して、私たちが協力して実用化して、世界唯一危険物を使わないロケットという事で変わった特徴を持っています。
日本では民間が宇宙にロケットを飛ばして良いと言う法律がないので、制限の有る中でやっていて、2~3万馬力になっていると思う、長さ6~7mのロケットを高度数10km迄打ちあげるパワーは持っています。
ロケットに乗るお客さんとしては人工衛星、無重力での実験があるので、両方とも自分達で出来れば一人でクローズ出来ると思っていたら、人工衛星を作る話があって、無重力の実験の話も来て、
工場には無重力の実験施設があって、世界にドイツの大学、アメリカのNASAと私のところにしかありません。

大学と連携して、医療機械の開発、農家と連携して農業機械の開発もやっていて、北極探検の人のソリも作っています。
いろんなことをやっていると、いろんな人と縁ができるんですね。
人脈と経験がもの凄いプラスになっていて、次々にいろんな話がきます。
産業用廃棄物から鉄を取り出し、電磁石作りを行ってました。
父は炭坑で使う機械を修理する仕事をしていたが、その後車の修理をする仕事になり、マグネットを作るようになったのが2000年からです。
土地は広いです、13万平方mあります。
3歳のころにアポロの月着陸を観ていてお爺さんが喜んでその笑顔が忘れられず、お爺さんが本屋に連れて行ってくれると飛行機、ロケットの絵が描いてある本を手に取ると喜んでいた様で、飛行機などの本ばっかり買っているうちに知らない間に飛行機、ロケットが好きになってしまった。
飛行機、ロケットを作る仕事がしたかった。

宇宙、飛行機の仕事は東大に行かないとできない、この街から東大に行った人はいなくて、だから無理だと言われました。
言葉に負けないですんだのは、おそらくそうではないと知っていたからだと思います。
習わなければできないと言う事は間違っていると言うのを知っていたので、根拠のない話には負けないで済んだと思います。
大学は北見工業大学、流体力学について学びました。
堀越二郎という人(「風立ちぬ」の主人公になった人)を知って、その人を好きになって流体力学を学ぶといいらしいと言う事が判って、そこは国立だから受からないと言われたが、受かって、大学では子供のころから読んできた飛行機の本などが全部授業で出てきた。
ずーっと成績が悪いと言われたが、大学の試験勉強しなくて100点が取れてしまった。
中学、高校の授業ってなんなんだろうと思ったし、英語とか含めて学問の楽しさを知ることが出来ました。

名古屋の航空機の設計の会社に入ることになる。(堀越二郎さんが働いていた場所だと説明され物凄い感動でした)
飛行機の形を設計する所です。
会社内には頑張る視点が違うところもあり、空回りして、会社を辞めることになりました。
父は色々道具を持っていたので飛行機を作れるのかなと思ったが、会社の状況が悪くなって、2000年からリサイクル法ができて、建物を分別する時にマグネットが必要という情報を知り、マグネットを研究し始めて、特許、発明が評価されて大きな会社と取引できるようになりました。
マグネットの全国シェアは9割を越えてしまった。
マグネットが壊れるということで、使い方が問題だったが、では壊れないマグネットを研究して作りました。
注文がどんどん来て、いい気になっていたが、そのうちに大きな会社が突然いらないと言いだして、工場を建てた後だったので、借金があり、営業して歩いたが、いい様に叩かれて、勝つために一生懸命勉強して、自分の為にプラスになることだけをやり、会社の仲間も信じなくなり、家族も子供も、気がつくとなんでこんなに頑張ってやっているのに判ってくれないのだろうと思い、めんどくさくて全部捨てちゃえという様な気持になりました。

或る人から青年会議所に入っていないのかと言われて入ってみたら、一人ぼっちではないことを知って救われた感じがしました。
そこでボランティアで手伝ってほしいと言う事で、ついて行ったら児童虐待の子達で、家に帰れない子達で誰も近寄ってこなくて、知らない大人に触られたらパニックに陥ると言われて、どんな目にあったんだろうと凄い衝撃を感じたが、帰るころには帰らないでくれと言ってくれた。
僕の夢はお家の人と一緒に暮らすことだと言ってくれて、どうして腕を折った人を愛してるのだろうと思い、考えて自分は5年間何してきたんだろうと思って、お金を払う事だけに働いていたんだと気付いて、頭がグルングルンして一杯考えたら記憶が戻ってきて、あまりにも嫌な記憶を閉じ込めた記憶が、小学校の先生に毎日毎日暴力を振るわれた記憶で、ひっくり返るぐらいひたすら殴られが、家には言えなかった。
何が悪いんだろうと思ったが、実はその先生は家で旦那さんに暴力を受けている先生だった。
暴力は連鎖するなあと思って、一番優しくて弱い人に暴力は向くんだろうと思って、それが児童虐待だと、この連鎖を食い止めれば児童虐待が無くなるかと思った。
その先生はいつも言っていたのが「どうせ無理」という言葉で、「どうせ無理」という言葉が人の可能性と自信を失って、可能性を失った人が他の人の可能性と自信を奪って、最終的に児童虐待になるのかもしれないと思って、「どうせ無理」と言う言葉がこの世からなくなればいいと思って、この言葉は生まれた時にはだれも知らない言葉、いつ覚えるんだろうと考えたら、宇宙だと思った。

宇宙は誰もが一回は憧れる。
宇宙開発は凄くお金が掛かるとか、よっぽど頭がよくないと出来ないと「どうせ無理」と思いこんでいるが、本当に宇宙開発をやった人は言わない。
やったことが無い人が根拠なく言っているだけです。
北海道の小さな会社が宇宙開発をやったらなんか変わるかもしれないと思ったが、ロケットは危ないから作っちゃいけないと思って諦めている、最初は紙飛行機の教室から始めたが、全然人が集まらなかった。(1回目は2人)
新聞で永田先生のことを知って(2004年)、先生から安全なロケットエンジンを研究しているから場所を貸してもらえないかと言われて、貸すことになりました。
国からの資金が出してもらえず、あなたは日本に必要ありませんと言われた気がしたと永田先生が涙ながらにおっしゃいました。
私はお金がないが部品は作れると言って、それが永田先生との出会いでした。

先生は計算はするが設計図を一つも書かなくて好きに作ってくれと言って、勝手に改良出来ちゃうんです。
最初は大学生が図面を書いてくれましたが、その図面だとある部品を丸棒から削らなくてはいけなくて、パイプではと提案したりして一気に部品価格が安くなりました。
一回の実験には一個のエンジンでないといけなくて、設計を作り易くしていって、作る時間も少なく、自動的に安いエンジンになってしまった。(2005年頃)
当時10人、今は19人になりました。
ロケットを作る話をしたら、最初はみんな遠まきに観ていました。
段々周りも自分でもできるかもしれないと思うようになって、一緒にやるようになりました。
「無理だ」と思ったら出来ないけれど「出来るかもしれない」と思ったら出来る気がする。
いまでは修学旅行に年間1万2000人が来ています。(赤平市は1万2000人を切っています。)
ロケットエンジンを燃やして見せて、燃料はペットボトル1本分位だよ、仕組みは簡単だよと言って見た子供達は自分にもできるかもしれないと思ってくれるだろうと思っています。

2005年に初めて飛ばした時には、絶対失敗すると思っていたが、よろよろと上がってゆき加速して行ってエンジンの音が物凄くて飛んで行く姿を見て、こんな嬉しいことはなかった。
物凄く荒れていた学校に呼ばれた時にも、最初は大変だったが、ロケット作るときにも出来たら、他の人に教えたりして、出来たロケットを飛ばして,私たちの道具をかたずけてくれて車まで運んでくれて今日はうれしかったと言ってくれた。
誰かが彼らの自信を奪って、強がって誰かの自信を失おうとした、小さなロケットが飛んだ時に小さな自信がわいて元通りに優しくなったと思うので、どうか子供の自信を奪わないでほしい、自信を支えてほしい。
夢を潰そうとする人は沢山いて、そういう人に負けないで夢をかなえてくれた人はきっと誰かほかの人の夢を支える人になるはずなので、そういう人が一杯増えたらいいなあと思います。

次のステップを考えていて教育をやりたいと思っています。
経営者が持っている能力は責任と判断だと思っていて、経営者は自己責任で藪を漕いで歩くべきだろうと思っていて、面白い道を見つけてくるのが私の仕事だと思っています。
マグネットで利益を出しているので、宇宙開発でお金を稼ぐ必要はないんです。
宇宙は南極と同じ様に公共の場所だと思っているので、宇宙は商売はしてはいけないんだと思っています。
宇宙で実験をしたいと思っている人にとっては、安く飛ばせるロケットの実用化は絶対しなければいけないと思っています。
宇宙は教育に使えると思っています。
以前アフリカの人が来てくれて、アフリカでも宇宙開発をしたら、教育できるかもしれないと言ってくれた。
勉強って努力が必要、努力するためには喜びが必要で、喜びがお金だったら勉強するより手っ取り早く稼ぐことがいっぱいあり、喜びがお金でなければ勉強が生まれるかもしれない。
それは夢、希望でそれは宇宙かも知れない、宇宙開発を夢にすることができればもっと勉強を頑張れるかもしれないと言ったので、それはありだと思った。
一生懸命工夫をしてくれる人がもっと増えたら、色んな産業全部良くなると思っていて、そういった人を育てる修練の場として宇宙開発を使ったらいいのかなと想っていて今実験的に試している。
新しい仕事は悲しいこと、苦しいこと、不便な事を解決しようと言う事から生まれてくる。
それは優しさです、人が苦しんでいるのを見ても何にも思わない人は改善しようとは思わないから発明できない。
優しさは自信から生まれてくるので、自信を奪われない子が増えればきっと世の中は良くなるかもしれないと思います。
やがてこの世からいじめ虐待、「どうせ無理」という言葉が無くなるかもしれないので、いろんな人から宇宙開発の応援してもらえればうれしいと思います。