2016年6月11日土曜日

広瀬浩二郎(准教授)      ・さわって広がる心の絆

広瀬浩二郎(国立民族学博物館准教授)  ・さわって広がる心の絆
48歳 中学1年生の時、病気で視力を失った広瀬さんは触る事で開かれる可能性を、触文化と名付け豊かな世界を人々に伝えようとしています。
国立民族学博物館には訪れた誰もが点字を触って楽しむ事が出来るコーナーがあります。
これまで見学、見て学ぶ事が中心だった博物館に広瀬さんのアイデアを取り入れて設けられました。
触ることで感じるという世界は私たちに何をもたらすのでしょうか。

触る点字を博物館でやろうという原点は、見ることと、触ることの違いに気づいて、そこを追求していかないといけないと思いました。
見えなくなっていい意味での開き直りがあり、点字を覚えました。
最初は文字だと判らなかったが、点字を覚えなくてはいけないと思って、段々判るようになりました。
体育、美術の授業では、いろんなことをやらせてもらってよかったなあと後で思いました。
走り幅跳びでは、助走を付けて踏切り板を使ってやることは無理だと思っていましたが、歩数を数えて、飛ぶと、多少ずれるが、砂場に着地できる。(新たな発見)
触ることは手を意識しがちだが、触覚は全身に分布しているので、足でも触れるし、他の部分でも感じることはできる。
現代は情報量が膨大なため視覚中心で、視覚偏重の時代になってきている。

進路を決めるときに、先生からの一言で、大学で歴史を学ぶことを決意しました。
身体障害者の歴史は資料がすくなく研究されていない、そこにスポットを当てることが無かった。
1987年京都大学文学部に合格、
古文書を解読する必要があり、くずし字辞典などがあり、或る程度読めるようになるが、私の場合は古文書が読むことができなくて、3年生の夏休みの時に、山伏に興味があり、本を読んだりしていたが今一判らなかった。
自分で体験すればわかるのではないかと思いました。
山形の羽黒山で山伏修行に参加します。(9日間)
フィールドワークの原点、本では分からないことがたくさんありました。
南蛮燻し トウガラシとどくだみを煎じた粉を火鉢に入れていぶすと、それを吸うと咳がでて、涙がでて苦しくなる、と言う体験をする。
そういった中で話の輪ができてくる。
古文書は読めないが、人の話を聞く、自分で体験するということはできる事に気付いた。

研究対象、目の見えない宗教者や芸能者たち、全国各地を訪ねて歩く日々が続きました。
①山伏に代表されるような民間信仰、民族宗教の研究
②障害者の歴史
2つのテーマで、出会ったのが琵琶法師で、宗教と芸能が一体の部分で活躍をしていた人たちだった。
地神盲僧は中世、琵琶法師の姿を現在に伝えている人達ではないかという事で本格的に調査しました。
宮崎で活動する琵琶法師の永田法順さんに会い、語りの力、音に触れました。
卒業論文は琵琶法師の事、修士論文では東北のいたこを取りあげました。
博士課程では京都に本部がある大本教という教団です。
教祖の出口王仁三郎さんの魅力にはまりました。
出口王仁三郎さんの和歌「耳で見て 目で聞き 鼻でもの食うて、口で嗅がねば 神は判らず」 
これは自分でやっている事みたいだなあと思いました。
神を真理とか学問とかに置き替えると示唆的な歌だと思う。
常識を乗り越える、漠然と思っていた事がこの和歌で勇気付けられた。

2001年33歳で国立民族博物館に就職。
触る文化の研究に本格的に取り組み始める。
ふれ愛観音 西村公朝先生 との出会い。
触って感動したのは仏さまのほっぺたがふっくらして優しい気持ちになりました。
普通の仏さんはうつむく目線をしているが、ぱっちりしていて正面を向いている。
ふれあい この言葉は健常者が一般的にに使っている言葉。
愛 触る側の人達が愛を持って仏さまを丁寧に触る、仏さま自身も愛をもって優しく見つめてくれる。 
ふれ愛 相互接触、お互いの愛がぶつかり合うところに独特の空間、温もりが生まれる。

もの背後には目に見えないものを感じとる魅力であり、奥深さだと思います。
触る文化を深めることで人間同士豊かなコミュニケーションができる。
フリ-バリアという新しい発想に辿りつきました。
バリアーフリーとの違い
①方向が双方向(強者から弱者への一方向ではない 価値観が多様)
②感覚の使い方 (バラバラではなく5感が行き来している 交流している 感覚の多様性)

コミュニケーション 視覚中心のコミュニケーションになってしまっている。
見る、聞くは受動的になりがちだが、手で触るということは能動的です。
自分で人と触れあい、絆を深める時代なんじゃないかなあと思います。