2016年6月25日土曜日

榎木孝明(俳優)        ・時代劇への想い

榎木孝明(俳優)    ・時代劇への想い
鹿児島県出身 1981年NHK 朝の連続TV小説、「ロマンス」主演でTVデビュー。
そのご俳優として映画、TV、舞台で活躍しています。

伊佐故郷大使、さつま大使、鹿児島お茶大使、本場大島紬大使、さつま焼大使などを引き受けています。
鹿児島は人間性の良いところだと思っています。
大河ドラマ、「真田丸」で穴山梅雪を担当。
歴史は多角的に見る必要があると思います。(勝者が歴史を書いている事がある様にも思う。)
役者を40年やっていますので、役に近づいて行くためには個人の意識は必要ないと思っています。
個人が頑張っても大した表現には成らず、自分のエゴを捨てることで魂が自分にきてくれる瞬間がきっとある様な気がして、それが判れば 極端な話やれない役は無いと思っています。
役がいかに生きて役の魂が喜んで下さるか、に近づく事だと思います。

両親が教職で、姉が3人いて、男らしい遊びは余りしなかった様に思う。
男も着るものは「ブラウス」だと思っていて、デパートに買いに行った時に「ブラウス」と言ってしまった失敗談もあります。
小さい時から何にでも疑問を抱くタイプだったが、「ぎ」(言い訳)を言うなと父親から殴られたりしました。
母親は優しい母親でした。
「お前には無限の可能性がある」と耳にたこができるぐらい母親からいわれました。
母は去年97歳で亡くなりました。(有難うしかないです)
美術系の大学に行って、途中で中退して芝居の道に進みましたが、母親からは泣かれました。
悪い役をやると、世間に合わせる顔が無いと、雨戸を閉めたりして外に出なかったりしたそうです。
NHKの大河ドラマだけで9作品になります。
民放では時代劇を殆どやらなくなってしまった。
日本人の動きがこんなに綺麗だと言う事に気づきます。(食事、ふすまを開ける所作など)
4歳ぐらいから時代劇に興味を持ち、刀を作って独り遊びしていました。

27歳の時に真田太平記をやって、本格的な立ち回り、乗馬などを勉強しました。
落馬の稽古をして、背中の骨を骨折したこともあります。
鍼の先生のところに行って、先生から骨折しているかもしれないと言われて、病院に言って即入院でした。
今を一生懸命生きればいいんじゃないかと思います。
13年構想して、8年前、「半次郎」という映画をやって、リーマンショクなどもあり大変だったがやってよかったと思います。
廻りから99%反対されましたが、妻からは後悔するぐらいだったらやればと言われて、やることにしました。
地元の人にエキストラに多くの方に出て頂き、西南戦争を主軸に脚本を書いたんですが、自分の先祖が西南戦争に参加したとか、大量に出てきて、自分の事の様に一生懸命やってくれて、それが映画にその気持ちが封じ込められ、臨場感あふれるものになりました。
自分で調べたり、本を読んだりすると中村半次郎の生き方にあこがれました。

死と生 死を一生懸命見つめていくと生きている事がよく判ってくる世界だと思っています。
死をうけ入れる生き方が日本人の根底には有るのではないかと思って、そういう事を表現できるのが半次郎を映画化する事だと言う事に至りました。
示現流 抜くまいと、真剣のつばと鞘をこよりで結んでいたそうです、こよりを切って剣を抜いたからには相手を殺すか自分が死ぬかどっちかを選べと言う教えなんだんです。
本当は時代劇をやるときには、そういう奥の精神を表現する人が全体のおなじ様な事を思って作ると全く内容が変わってくると思います。
時代劇再生運動 4年前に水戸黄門の番組がなくなり、打ち上げにも参加して、自分にも何かできないかなと思って、はじめました。
3つの柱があります。
①国主導型で年間映画を10本作り、日本文化を海外に売り出す。
 (黒沢さんの映画が日本の敗戦イメージをどれだけ払しょくしたことか)
②京都近郊に大時代村構想を働きかけている。
 (日本の文化を発信する基地 団塊の世代とかそこに住んでもらって観光地化する)
③日本の根本的な教育を考える。
 (武士道、生と死の感覚をちゃんと教える機関)
日本伝統工芸も危機的状況なので、これも何とかしたいと言う思いもあります。
頭で考えるのが西洋文化、日本は「はら」の文化だと思っていて(はらをくくる、はらがすわるとか)、「はら」文化を推進していけたらと思っています。