2016年10月1日土曜日

北原糸子(歴史都市防災研究所) ・災害の歴史をたどり、今を生きる

北原糸子(立命館大学歴史都市防災研究所研究員) ・災害の歴史をたどり、今を生きる
地震、津波、水害、噴火、災害か繰り返し起こる日本、そのたびに行政はどう対応し、市民社会はどう立ち向かうのかが、クローズアップされます。
災害の社会史を研究してきた立命館大学歴史都市防災研究所研究員 北原糸子さん(76歳)に江戸時代から明治、大正、昭和と、私達の社会はどういう仕組みで災害から復旧復興してきたのかを伺います。

前回 出演 2010年9月、関東大震災の纏め、翌年東日本大震災が起きた。
869年 貞観地震が東北地方を襲った
貞観地震の津波による浸水域が東日本大震災の時と非常に似ている。
市民に広く伝わっていない事、、具体的に貞観のイメージから時を越すということはしていなかったのではないかと思う。
自然災害に対するハザードマップが各地で作られているが、見ないという話もある。
生活の中に位置づけられるようなきっかけが有ると違うかもしれない。
「日本震災史 復旧から復興への歩み」 著書
江戸時代 津波、地震、噴火が一緒になったのが元禄期、1703年元禄地震。
その後4年後宝永地震(南海トラフが動いた歴史的に大きな災害)、その49日後に富士山が噴火する。
復旧、復興、城を作るための普請、(公議普請、天下普請)、全国各地の大名にお金と人を出させて都市、城を作ったが、その方法を災害の復旧にも利用した。
幕領だけ幕府がお金を投じて、それを大名手伝いでやらせた。(藩は疲弊する)
藩のことは独自で行っていた。
幕末は大名手伝いが出来なくなって、民間からお金を集めた。
明治になると、税金に依り、飢饉対策の構造が有るが、明治20年代以降、濃尾地震、明治三陸地震とか大きな地震が起きる。(近代化途上)
飢饉対策を災害対策に置き換えたが足りなくて、インフラは土木費で天皇の直接の行政命令で全部で500万円を拠出した。
関東大震災、別の法律ができて、災害専用の基金を国が作るようになって、戦後まで続く。

9月3日には政務次官が全国の知事に、家を無くして帰る人がいるが面倒を見ろという指令をだす。
国は金を出さないで、地方で面倒を見る。
義援金を求める為に9月4日には新聞に記事を出して、集める。(各県)
新聞に金額と名前が判るので、メンツもあったり、又色んな層から義援金が得られた。
避難の人は空き地、豪邸などに逃げ込むので、豪邸では緊急避難先としての機能をした。
首都圏に働きに来ていた多くの人が郷里に帰るという、広域避難になった。
隠徳、大げさに騒がないで黙って人を助けると言う事がいずれは自分に還ってくるという発想。
阪神大震災ではボランティアが生まれて、そこと通じる部分が有る。
三陸海岸に300を越える記念碑が有るが、災害体験をつたえる媒体。
明治29年、昭和8年の三陸津波。
明治29年の記念碑には供養碑が多い、1万8500人ぐらい亡くなった内、8000人が行方不明のままで、村ごとの供養碑が多い。

昭和8年は圧倒的に津波に気を付けるようにとの警告碑が多い。
新聞社の義援金で行政が配って村に碑を建てるようにとの指令をだす。
指示して方言でカタカナで書かれているものもある。
今村明恒が警告碑を作る様に政府に提言した。
警告碑は大きさ、形などが規格化された。
昭和35年 チリ地震津波。
日本では死者が100人以上、湾の形と向きで被害が違っていて、大船渡では50人以上が亡くなる。
災害にかかわる研究者は、ひろく社会に還元していかないと、研究の意味が半減する。
記録を保管して、どう引き出しやすい様にするか。
行政を含めて、情報を集めて、分析して社会に還元する動きを、アーカイブス、新しい意味を付与したい。

多賀城市、1000年先まで伝えようというキャッチフレーズで、志がいいと思う。
東日本大震災の時の映像等、地図に落として見られる。
過去の地震、津波、噴火、洪水などの資料、言い伝えなどを加えてゆけば、ここで何が起きたかを追体験ができる。
資料を発掘して情報を更新してゆく事も大事です。