2016年10月11日火曜日

春川ひろし(ジャズ演奏家)        ・童謡ライブ800回

春川ひろし(ジャズ演奏家)        ・童謡ライブ800回
東京浅草のライブハウスで普段はドラムを叩いてジャズを演奏している春川さん75歳です。
このジャズグループは結成から25年7人のメンバーが変わることなく300回以上のライブを開いて来ましたが、春川さんほかに真似のできない記録を持っています、800回続いている童謡ライブです。
今から11年前身体の空いている何人かと台東区、足立区、墨田区、文京区などの老人ホームや、施設等廻って童謡や唱歌を皆んで歌って楽しむコンサートを開きました。
それが大好評で毎月6回~7回開いてこの暮には800回の大台に乗ります。
童謡ライブ800回 春川さんに伺います。 

歌手2人、トランペッター(ジャズ界のNO1のトランペッター)1人、私がキーボードを弾いたり雑用などして司会をして歌を歌ったりします。
喜びを知ってもらう為にやっていたら自然とそうなった。
ギブアンドテーク(お客さんからオーラをもらう)でやってきました。
1回70~80人集まってくれて、800回を迎える事になりました。
10年前一つの流れが変わった、ジャズ離れというか一つの世代が変わった。
800あったのがどんどんなくなって、キャバレーも無くなってきて、バンドマンの生きていく場所が枯渇してきて、リスナーがいなくなってきて、もう一回日本人の心に響く音楽はなんだろうと探してきたのが10年前で、童謡が素晴らしい力を持っていることを再認識しました。
100回、200回やっているうちに段々わかってきて、300回ぐらいにはっきりと童謡という物が浮かんでき400回、500回の目標はこの童謡が消えてしまったら、どんな世の中になってしまうのかという不安感、恐怖感が見えてきて、何とかして存続できる仕事もわるくないんじゃないかというのが800回続いている理由です。

標準編成の時は6人でやってるが、本来数千万円になります。
ボランティアでやっています。
私のあだ名は白いファッションをしているんで、「白い浅草の妖怪」というあだ名が付いています。
ジャズマンなのに童謡に打ち込んだり、800回をこなす力、持ちだし、時間から何からあり得ないことを平気でやっているからそういうあだ名をもらった。
終わったら楽しくてきらきらしています、又来てくださいと言われます。
月に6~7回のペースでやっています。
選曲の答えはお客さんの方にあります、お客さんから教わっています。
童謡は今の日本の社会を作っている貴重なところに存在していると言うのを見つけて何とか存続して綺麗に整理整頓してみたいと言う気持ちがこの活動続けている理由です。
「近代日本の音楽の原点は童謡にあり」 著書
チャンスを与えてくれたのは皆さんからです。
江戸時代の庶民の歌から始まって軍歌、戦後もしばらく軍歌が続いた。
江戸時代の歌を調べてゆくと世界に広がってゆく。

フランスのブルボン王朝 平和になると社会がおかしくなりボケてしまって、短命にもなる。
スイスの学者、ルソーに相談したら、手を動かせばいいと言う事になり、ルソーは作曲家でもあり「むすんでひらいて」が生まれて、ミュージックセラピーとなる最初のもの。
アメリカの教会でも音楽を使ってミュージックセラピーをやっているが、日本を調べて行ったら、日本は江戸時代にやっていた。
「わらべ歌」 あんたがたどっこさ、花いちもんめ、かごめかごめ、ずいずいずっころばし、とか20曲ぐらいあり手を動かしていた。(お手玉とか、毬つき歌、羽根つき歌、お手合わせとか、健康維持でやっていたことがだんだん見えてきた)
明治時代、唱歌、大正時代になって新しい童謡がでてくる。
「夏も近づく八十八夜」、とか日本人は音楽を使ってやっている。

童謡は何でしょうか。
見えてきているのは時代、徳川政権は260年間ぐらい戦のない国を維持したが、明治の文明開化に入って戊辰戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二世界大戦と来た中で80数年
軍国主義、俺が俺がを続けたために、食べものもなく、庶民の生活もないがしろにされた。
そこからにじみ出ているのが童謡。
私の言っている童謡は、大正6年の童謡、中山晋平、野口雨情、海沼 實が最後の童謡作曲家
今私が用意しているのが260曲ぐらいと演歌が100曲ぐらい、軍歌が50曲ぐらい、他にジャズもやりますが。
芸術性、文化、心の癒し、これと同じ現象が起きているのは8代将軍の吉宗の時代に起きている。
飢饉、改革が有りそれを乗り切って、元禄時代になる。(葛飾北斎、松尾芭蕉・・・世界に誇れる)
同じことが大正から起きていて、それが童謡だったんです。
成田 為三、山田耕筰・・・北原白秋、野口雨情、西条八十・・・。
一言で言うとお上がおかしいから出来たんです。
お上に対して言えないから、それが音楽になって表れているのが童謡なんです。
アメリカでも黒人の農園での虐げがあのジャズを生み出すんです。
黒人の苦しみなどが叫びになって出てくる。
童謡も近いものが有る、訴えを起こしていて、それを一つ一つの曲に置き換えて解説しているのが今やっている私たちの会です。(この曲はこういう意味が有ると説明もする)

今の世代の若い人は童謡を2割ぐらいしか歌えない。
「夕焼け小焼け」も知らない、その親の時代もあやふや。
海沼 實が最後の童謡作曲家だと思っていて、昭和26年ぐらいまでだろうと、それが一つのジャンルだろうと思っている。
軍歌は3500曲あった。
日本人には大昔から面白いリズムが身体の中に入っている。
それがぴょんこ節、(東京音頭など) これを引き継いでいるのが軍歌。
いきなり敗戦国になったらテネシーワルツ、センチメンタルジャニーなどが入ってきてしまった。
カルチャーショック、戦後の「赤いリンゴに・・・」はぴょんこ節 演歌の「泣くな小鳩とよ・・・」これもぴょんこ節、 「緑の丘の赤い屋根・・・」ぴょんこ節 軍歌です。
これを変えたのが服部良一 の昭和21年
「銀座カンカン娘」が最初のジャズ演歌なんです。
「あの娘かわいや カンカン娘」 これはジャズです。
23年春に「東京ブギウギ」 これで日本人は度肝を抜かれた。
この後ジャズが沢山出てくる。

「ちょうちょ」(ちょうちょ ちょうちょ 菜の葉にとまれ・・・)1874年(明治7年)伊沢修二さんがハーバード大学に行って6年かけて1曲を覚えてきた。
日本は外国とはリズム感、ハーモニー、メロディーから全て違っていた。
第一次世界大戦が終わって、勝って、よその国はいらない、自分達の曲を作ろうとした時代が始まったのが童謡。
2ビートの軍歌調だったのを子供達をもっと和まそうと言うのが童謡。
童謡っていいなと言われたらやる方としても生き甲斐がある。
わらべ歌とおなじようにシンプル。
押しつけても駄目で、皆さんが童謡っていいんだと開いて来る、喜んでいるのは皆さんです。

大学卒業後、世界を回って、眼鏡、光工学のサラリーマンをして41歳で辞めて、好きな道に入ってくる。
一番誰もが泣いていたのは「ふるさと」
3番に「志を果たしていつの日にか帰らん」 
本当は帰りたいんだけれど家族に会いたいんだけれども、志をはたしてこの国に来たんだけれど、まだ何もできていないから帰らないという事を詩がいっているので、みんな泣いてしまう。
この詩とメロディーは凄いので世界遺産にできないかと思って始めたのは、この童謡の会です。
春川さん「童謡の日」を作りなさいよと言われて、相談しているところです。