2016年10月21日金曜日

むの たけじ(反戦ジャーナリス)     ・今こそ叫ぶ“戦争は人類の大犯罪”

むの たけじ(反戦ジャーナリス)     ・今こそ叫ぶ“戦争は人類の大犯罪”
1915年大正4年、秋田県生まれのむのさんは大学卒業後新聞記者として、中国やインドネシアの戦場を取材しました。
しかし、終戦を迎えた8月15日、戦争に負けると知りながらその事実を伝えられなかった。
社会情勢に流された自分をゆるせないと、新聞社を辞めます。
故郷秋田に戻り、地方から日本を変えようと、週刊新聞「たいまつ」を創刊。
昭和21年から30年間発行しました。
その後むのさんは戦争や平和をテーマにした本の執筆や講演を続け、100歳を越えても命が続く限り、反戦を訴えると精力的に活動してきましたが、今年 8月21日未明老衰のため亡くなりました、101歳でした。
昨年8月13日戦争インタビューシリーズとして放送したもの。

過去70年間の中、戦争が無かったので戦死者を出さなかった。
その中で育ったのが今の若者、戦争のない世の中、こういう人類の状態を作らなければいけない。
昭和16年12月8日、真珠湾攻撃をしてから、ベトナム、シンガポール、インドネシアに行きましたが、戦場に行けば殺すか、殺されるかだけ、それが戦場なんです。
異常な恐怖感もあるし、妙な緊張状態で4日もつづかない、そうすると普通の道徳感情がなくなって後は本能のまにまに、何とかなれやと、普通の人が持っているいる道徳感情が無くなる。
女性を襲う、物を取る、証拠隠滅するために火を付ける、そういう悪態をずーっとやってきた。
日本の場合は太平洋戦争に移った時はこれをやると相手の国から憎まれ大変なことになると判ったから、占領地の女性を襲うと銃殺、厳しくやった。
その前は戦場ではあらゆる悪態をずーっと続けてきた。
こういう野蛮なことをやって、戦争をやって作られる世の中はどうして人間を幸福にできますか。
1943年1月に日本に戻ってくる。
戦争の内容が伝わってきていなかった。
個人は無く、国家と軍隊しかなかった。

国内ではみんな協力してやらなければいけないというムードが有り、それに背くのは非国民、国賊だと言われて、国民同士でお互いを監視するようになる。
昭和19年後半からアメリカは日本国内を狙う様になる。
県庁所在地を野獣の様な攻撃の仕方で潰してきた。
新聞は発表しなかった。
新聞社内でも話題をしなくなった、国家警察、憲兵隊に判ると問題にされる様な思想や行動を持っていることが知られると一番恐ろしいので秘密にしようとする。
そうすると見ざる言わざる聞かざるになってしまった。
大空襲にあっても陸軍は被害軽微なりと発表をする。
積極的な行動力はどんどんしぼんでゆき、自分を自分でコントロールして、出来るだけ目立たない様にする、それが戦争。
大空襲の前に子供の様子がおかしくなり、病院に行っても医者も軍に持って行かれていなくて、待つように言われたが、時々吐いたが、童謡を歌って、そうこうするうちに息を引き取った。
親が全然守ってやれなかった無念さ、だから戦争は絶対に無くさないといけない。
子供が亡くなって働く意欲が無くなって、3~4日たってから会社のデスクなど4人が来て元気付けようとした。

戦争は人類が作った最大の犯罪だと思います。
秋田県の小さな工場でも200人も殺されている。(8月14日)
私はアメリカが爆弾を国に持って帰るのが面倒だから撒き散らしたと思っている。
自分達で運命を切り開いていくという事が全然できなかった、今も続いている、はっきり言って。
1945年8月14日の朝日新聞、頑張ってますと言う様な記事があったりする。
軍人の頭をぶんなぐるつもりで号外でも出せば、世界紙を作る新聞になったと思う。
やりたかった、何でやれなかったのか。
社会、情勢の中をただ引きずられて流れてきた自分を自分で許せないから、会社を辞めた。
辞めて自分を見なければいけないと思った。
戦争をやめさせるには、戦争を始めてしまってからでは駄目だ、国民は抵抗のしようがない。
一方が服従させるか、共倒れする、そこまで行くものが戦争だとはっきりしている。
戦争が終わって電灯がともっただけで、こんなに幸せなのかと、人々の会話はそれだけだった、それほどみじめな状態、戦争は自分達が計画してやったと言う事を全部忘れてしまっていた。
戦争の締めくくりとして国民はどんな責任を負わなければいけないか、何も考えていなかった。

朝日新聞を辞めてから、勉強したり、政治団体を見に行ったり、文章を書いたりしていたが、新聞を出そうと思った。
大事なことは教育、農業が大事だと思って、秋田に帰って、新聞を発行する事になる。
「たいまつ」 自分の身体を燃やしてやるしかないと思ってこのような名前にした。
自分の問題として、みんなで考える様な記事、問題提起した。
一緒に考えて、一緒に判断して、一緒に手を握り合って、あるだけの力で頑張るこれをやればいい、そうすれば戦争も辞めうるわけ。
みんながそうなれば半年で世の中は変わる。
戦争を始めるときは、国民は全然わからない、戦争をやろうとする政府軍隊は先ず敵に秘密を知られないために色んな事をするが、それ以上に自分の国の国民をだます。
そうしないと戦争は出来ないから、戦争は突然どこかを襲う。
今の世の中どうなっているか、先ず事実を見ること、そうするといろんな矛盾が有る。
第三次世界大戦をどうしても喰い留めないといけない。
新聞、TVの報道、ジャーナリズムとはジャーナル(日記 個人) ジャーナリズムは社会の日記、ジャーナリズムは社会の日記なので例えば火事は原因はどうなのか、昨日危険が判らなかったのか前後左右を調べるのがジャーナリズム、社会の日記、新聞やTVなどのニュースは前後左右、昨日、今日、明日とかかわりをやる、そうすればなんで戦争が起きたのか国民に訴え得る。

今の若い人には喜怒哀楽、自分を存分に表現してほしい、我々の時代は喜怒哀楽を抑えることが立派な人間だと言われてきた。(騙されてきた)
自分の人生やるだけやったと、そうすれば戦争は無くなるし、人間と人間が喜びあえる、力を合わせる世の中に移っていくぞと思えば、にこにこ笑ってあの世にいくと思う。