2017年1月14日土曜日

厚坊浩史(臨床心理士)     ・心のしなやかさを大切に生きよう

厚坊浩史(阪神・淡路大震災でいとこを亡くした臨床心理士) ・心のしなやかさを大切に生きよう
38歳、1995年1月17日早朝、マグニチュード7.3の直下型地震が兵庫県南部で発生し、神戸市、阪神間の都市部、淡路島の一部では震度7の揺れを観測し,6400人を越える方が亡くなり、10万棟を越える建物が全壊するなど大きな被害が発生しました。
阪神・淡路大震災から間もなく22年になります。
震災当時高校生だった厚坊さんは自宅が全壊、家族は無事だったものの、たまたま泊りにきていた従姉を亡くしました。
自分が死なせてしまったのではないかと言う自責の念にかられた厚坊さんでしたが、ボランティア活動などに携わるうちに、人の心に寄り添う仕事がしたいと言う気持ちが芽ばえました。
大学に入り直して心理学を学び、臨床心理士になりました。
この22年の想いを伺いました。

今このあたりは新しい家が随分建っていますが、木造の文化住宅が建っていましたが、みんなぺしゃんこになってしまっていました。
3階建て(地下1階)の公民館があり、当時ここが大切な場所になっていました。
愛着のある場所で、皆さんほとんど避難のためここに集まってきました。
「復興拠点の地」と書かれたモニュメント 4~5年前に建立された。
ボランティアに御尽力いただいたので感謝の意味を込めて、建立されたと思います。
2軒隣りが私の家になっています。
まだまだいろんな反応を皆さん抱えていらしゃると思います。
当時高校1年生でした。
野球部に入ってピッチャーをしていました。
地震発生の時に従姉(母親の姉の娘)が泊りにきていました。
夏は親の実家の山口県に家族が毎年行って遊びました。
従姉は大学生で19歳で社会福祉の勉強をしていました。
冬休みの時間を作って神戸に来てくれました。
16日の夜はみんなでご飯を食べてワイワイしていました。
翌日には帰ると言う事で親に楽しかった出来事などを楽しそうに電話で話していました。

早朝5時46分に地震が発生して、物凄く横に烈しく揺れていて、次の瞬間天井が目の前に有るという光景まで、記憶が飛んでいて、何が起きたのか判らなかったというのが当時の印象です。
ベッド、本棚、壁の間の三角形の空間で私も兄も救われました。
父は玄関から飛び出されていて、大丈夫かと父の声が聞こえました。、
母は台所にいて天井が落ちてきていて、しばらく脱出できなくて昼ごろまで続きました。
恭子ちゃん(西本恭子ちゃん)は普段私が寝ているところに向かって2階の部分が崩れあっという状況になっていました。
近所の方にも手伝ってもらいながら、声をかけながら居場所を探して、母は救出できたが、恭子ちゃんは大きな箪笥が倒れてきていて、箪笥をよけようとしていた状態で、身体も温かく家族で病院に運ぼうとしました。
医師が確認して、残念ながらお亡くなりになっていますと言われました。
恭子ちゃんが死んでしまったという事の実感が有りませんでした。
私は茫然としていて、父親が絶叫して泣いていたのを覚えています。
翌日両親がきて、恭子ちゃんを囲って泣き崩れて、恭子ちゃんと声をかけていました。
僕の部屋で恭子ちゃんが亡くなったと言う事で、申し訳なさ、というか胸が裂けそうと言う事ではとても足りない心境でした。
家の前の空き地にテントを張ることになり、家からいろいろ持ち寄って来て13世帯35人が住むテントが出来上がりました。(2日後)
3日目からは配給が届く様になり火も使えて暖かい食べものを食べられるようになりました。

3月頃にテント生活は解散して、父親の会社の保養所が当たってそこに引っ越しをしました。
仮設住宅に当選して、引っ越すころに家の取り壊しの連絡があり、スパイク、ユニフォームなどは最後まで出てきませんでした。
80名ぐらいの方が全国からボランティアで来てくださって、私も会館にいって共同作業をする機会が増えて、作業することが楽しかったです。
こんなことができる場所だったと実感出来る所でした。
奈良県内の経済学部の大学に通って、就職の内定も決まって、フリースクールの様な場所でお手伝いするきっかけをいただきました。
誰ともしゃべらないとか、暴れてしまうとか、しんどさを前面に出す子供が多いが、フリースクールに来ると意欲的になる子が多くて、学校とか、勉強とかのプレシャーを脇に置いておく事でこんなに元気に、活発になるんだなあと思いました。
その姿を見た時に、高校時代のボランティアの想いとも重なり、臨床心理士の先生に相談に行きました。
臨床心理士の資格が有る、悩み、辛い状況を聞いて心の元気を回復させる様な仕事、それが臨床心理士だと言われて、あっこれだなと思いました。
20歳で父を亡くしているし、母親に話しても反対されるだろうと思って話したが、貴方が思う通りに進みなさいと言ってくれて、お父さんも貴方の進みたい道を応援してくれると思うと言ってくれて、決断しました。

卒業後、別の大学に編入して、四国の大学院の修士課程に進みました。
震災があってテント生活を経験して、繋がりも生まれてみんなが凄く温かい目で見てくれる 2カ月間が有りました。
現実の厳しい環境にも出会って、辛さも経験して、恭子ちゃんにたいする罪悪感もあったりしたが、(サバイバーズ・ギルト)、ボランティア活動を通して自分の将来を考えることができて、あの時期を乗り越えることが出来て良かったと思います。
当時、死なせてしまった殺してしまったと言うような考えが有り、自分を責めてしまう事もあるが、こんなふうに生きていきたいと言う場所と人がいてくれたことが自分にとって良かったと思います。
役割を多く持てると言うことは、辛い時間とそうでない時間を行ったり来たりすることができるので、人の心にとっては大事な事ではないかと思います。

レジリエンス、もともとは家庭環境に恵まれない子供が逆境にめげることなく社会的に立派に成長していく、逆境を撥ね返す力としてレジリエンスという言葉が出てきた。
心の病を患った方が、心の病以外の健康な部分を沢山成長させる、心の病気の抵抗できる力、自然回復力という意味で使われ始めて、突然身に起きた不幸なこと、心理的ダメージを如何に
自分で克服していくか、を最近ではレジリエンスと云います。
自分の強み、ポジティブな部分に自分で気づいておく事、だれしも回復力は持っているので、誰かにヘルプを求める事等は、それだけでも逆境を切り抜けることにもなる。
人間は一人で考えていると、必ず悪循環に入ると言う事はあるので、話せると言う事で調整ができるので人とつながってゆく事はいつか自分を助けることになるかもしれない。