2017年2月15日水曜日

三上 寛(シンガーソングライター)   ・フォーク、ブルース、それでも怨歌(えんか)

三上 寛(シンガーソングライター)   ・フォーク、ブルース、それでも怨歌(えんか)
1960年代から70年代にかけて社会はあらゆる分野で変革をもとめる若者たちのエネルギーであふれていました。
三上さんはそんな時代の音楽界に衝撃的にデビューし、その後俳優としても活躍してきました。
今も全国のライブハウスを中心に精力的に音楽活動を続けています。

デビューは半世紀近く前、青森県北津軽郡から1968年に上京。
当時東京にあこがれた時代で、高校をでて、歌は好きだったが、詩人になりたいと思って東京に来ました。
寺山修二さんが大好きで、言葉の鋭さ、そういったものに近づきたいと思ってきました。
修学旅行で京都に行ったときに寺山修二の本に出会いました。
読んでいて目が離せなくなって、修学旅行の間中ずーっと読んでいました。
東京ではいろんな仕事をして、新聞配達をしていたときに、ビートニク(beatnik)の詩がはやったばっかりで、モヒガン刈りをしていたら、ある時スナックのマスターから声を掛けられて歌ってみてはといわれて、歌ったら全員が泣きました。
その人たちがレコードを出してやろうということが元になりました。
しゃべっていることも受けたようで、やっていけるのではないかなあとほのかに思いました。

1971年岐阜県中津川フォークジャンボリーに応募、聴衆に衝撃を与えてた。
私の始まりにもなった瞬間でした。
新宿からバスに乗って中津川に向かいましたが、3万人も人がいて吃驚しました。
当時のフォークシンガーのひとたちはアメリカのヒッピーのような人たちがおおかったが、黒シャツ、黒ズボンで、丸刈りだった。
いろんな歌を歌っていて気が付いたらスターになっていたみたいなものでした。
もてはやされて、こんな状況はなんだろうと思いました。(20代の最後のころ迄)
津軽三味線は地方のものだったが、東京以外にも文化があるということに目覚めた時代だったと思う。

10代で歌った歌が自分の中に付いてしまっていて厭で、都会的なものに憧れていたが、気がつくと戻ってしまっていて不思議だった。
グローバル、世界中が平均的になって行くのが癪に触っているというところもあり、音楽は小さいものだと思う。
音楽は一人二人にしか判らなくてもいいと思っている。
懐かしいものは懐かしいし、あのころよかったなあという気持はあるが、普通に考えたら大した話ではないが、そこを歌わないと私は気が済まない。
個に向かって歌い続ける、そういう思いが強いです。
国、性別とか違うが、人ってもしかしたら同じ思い出があるんではないかと思う。
ヨーロッパにもよく行ったが、日本語で歌うが伝わる人には伝わる、それが不思議です。

映画、TV等にも出て、その中でいい影響を俳優の人たちから受けました。
東映の深作欣二監督からお前やってみないかといわれて、最初どうしたらいいか判らなかったが、京都でロケがあり、菅原文太さんを見に見物客が3000人も来て、その時に中津川だなと思って、歌うようにやればいいと思って、やくざ映画のシーンをやったが、一回でOKだった。
いきなりゲスト出演でせりふも多かった。
NHKのおしんの松田先生役で出演していた。
俳優をやってみて、俳優の人は2~3年役が来なくても平気で役者でいるという肝っ玉の座り方、それには吃驚した、ミュージシャンは1カ月も仕事が来ないと焦ったりしますが。
東映の大部屋の人たちから学びました。

音楽業界も大変わりしました。
テープからCDへと変わって、最初まったく意味が判らなかった。
録音する時に、新しい曲は真っ白い紙に絵を描くようなものだったが、ヘッドホーンを付けて無音の聞こえない感じだが、その聞こえない感じが微妙に アナログの時とデジダルでは違う。
デジタルは無機質な感じがする。
今の方がつらいと思う、選ぶパワー、選ばなければいけない仕事という事は大変ですよ。
昔は選択肢はあまりなかった。

1978年ぐらいに、良い誘いがあったが拒否してしまう、めんど臭くなって止めてしまおうと思ったが、その時に物凄い恐怖感がありました。
答えは俺にとって音楽ってこんなに大きかったのか、こんな凄いことを俺はしてたのかということでした。
こんな恐ろしい思いをするんだったら、命が半分亡くなっても歌い続けていくしかないと思う、そういう体験でした。
人間の持つ強さ、力、一人の人間が生きるという事の凄さを思い出してくれと歌いたいし、音楽的な評価よりも元気出たよといわれるのが一番うれしいです。
若い人は、殴られているようだという人もいます。

我々のように長くやっている連中で気を付けなくていけないのは、敷居を高くしてはいけないということです。
歳を取ると言うことは面白い事です、知らなかった自分に出会う、見たことの無い自分に出会う、こんなところで転ぶのかとか、それを支えるのは想像力で、そのための訓練は十分にしたと思うが、自分をもう一回遊び直してというか、自分から見て自分と付き合って最後まで行った方がいいんじゃないかと思います。
自分で自分を叱って、自分で自分をほめたりしながらら自分と付き合っていけばいいんじゃないかと思う。
なかなか俺もいいとこあるなあとか、俺と付き合うのも悪くはないと思えば人生勝ちじゃないですかね。