2017年3月3日金曜日

中島邦雄(アマチュア落語家)     ・高座から伝える“東京大空襲”

中島邦雄(アマチュア落語家)     ・高座から伝える“東京大空襲”
昭和10年浅草生まれ、今年82歳になります。
趣味で始めた落語は60年以上になります。
今も稽古を欠かさず週に一度は高座に上がっています。
芸名は「寝床家道楽」といい、出し物は60程あります。
中島さんは体験した戦争や空襲の悲惨さを次の世代に伝えることが役目だと、60歳のときに「ああ、東京大空襲」と言う落語を創作しました。
この創作落語で中島さんは小学校に入学した当時の教科書や、当時の学童疎開の体験、3月10日の東京大空襲で親兄弟5人を失い、父親の遺骨に出会うのは戦後40年もたった事などを語りかけています。
「ああ、東京大空襲」は毎年3月に浅草で開かれる平和寄席で定番の出し物となっています。
現在住んでいる川崎市でも空襲を調べる会の会長を務めながら平和の尊さを伝えています。

3月10日の大空襲の時には宮城県の遠刈田温泉(南蔵王)に学童疎開していました。
勉強するのにも、自分が泊っているところで勉強をしていましたが、ほとんど自習が多かった。(4年生)
食糧難だったのでいもなど食料を作る作業もしていました。
食べ物には苦労しました。
ラジオで当時の戦況が放送されるが、それで戦況を知ったり、B29が高く飛来したりするのを感じました。
両親からは私を気遣ってくれる手紙が何通も届いてきました。
最後に届いたのが3月6日付けで、ぷっつり来なくなりました。
浅草が空襲に遭ったということを3月末か4月ごろにあったということを知りました。
8月15日には終戦の放送を聞きましたが、何を言っているのか判らず、先生から戦争に負けて終わったと聞きました。

疎開先に迎えにくる人がいなくて、私と同じような境遇の人が残って行きました。
私は親が死んだとは思えませんでした。
秋が過ぎて冬間近になって遠い親戚の人が迎えに来ました。
引き取ってくれて、娘さんが居るのに娘さんは進学せずに、私だけ高校まで行かせてくれました。
親のいない就職先は難しかったが、裁判所に努めることになりました。
一般の企業に入るのは難しいので、先生が公務員になった方がいいということで、公務員の試験を受けて受かる事が出来ました。
速記官になりました。
自己紹介の時に古今亭志ん生が好きだという女性がいて、吃驚して自分は落語が出来ますと宣言したのが始まりでした。(それから64年間になります)

一家5人を亡くして、遺骨を探すが見つからなかった。
7歳の時の三社祭の写真がありますが、全員を失ってしまいました。
あるとき、たまたま新聞を見ていたら、個別に遺骨を納めているところがあり、名簿があるということを知りました。
震災記念堂の脇に置いてあった名簿があり、父親の名前を見つけました。(昭和63年)
父は服に名札を付けてきたので確認は出来ましたが、名札のない人は判らないままになってしまいました。(母親と兄弟は見つからない)
長い間平和が続いてきたと思っているが、いまだに世の中では戦争が行われており、子供だけが取り残されてしまうということは本当に辛いことでこれからは有ってほしくないと思っている。
B29の事も知らない若い人がいて、自分の体験を含めて、自分なりの言葉で、伝えてみようと思って、「ああ、東京大空襲」を作りました。
実際に有ったことはきちんと伝えていかないといけないと思いました。

「ああ、東京大空襲」のさわりの部分のところを紹介。
「・・・昭和19年東京も空襲がはげしくなったころに子供たちは学童疎開と言うことで疎開をさせられたわけです。
子供を安全なところに住まわせるということですが、次世代の兵隊の確保と言うような思惑もあったように聞いています。・・・私も宮城県の田舎に疎開しました。
・・・あの頃はひもじい思いをしていたからね。 頭のいい母親がいてお手玉のなかに大豆とかが炒ってあって、空腹の時にはそれを食べたりしたそうだ。
頭のいいお母さんがいたもんだね。・・・」
下げは特にないが二度とこういう戦争があってはならないということを伝えています。

若い人、子供に話をする時などは多少考えて話したりします。
子供には、動物園の動物を毒殺したと言う事があるが、そういう話も入れながら話をしています。
「憲法9条を世界遺産に」と言う落語も作りましたが、意外といいと評判を呼んでいます。
八っつあん、熊さん、御隠居さん(生き字引)の掛け合いがあるが、最後に「それなら憲法9条を世界遺産にすればいいじゃないか」と子供が言って、「あーっ お前が生き字引だね」と言うことで終わる。
落語は年間50回ぐらいやっていて結構忙しいです。
長男も落語をやっていまして、今では一緒にやる企画が増えました。
孫が4人がいますがお手伝いをさせています。(高座返しとか小話とか)
「平和寄席」 今度で10回目になります。(3月12日)
人間は絵を描くとか音楽をするとかいろんな能力で自分を表しているが、自分で伝えられるのもは、落語の中で少しでも伝わればいいなあという思いがあってやる訳ですが、
命は一人で守っていくことは難しい、たくさんの人の力があって守られている。
10歳そこそこで社会に放り出されるということはつらいことです。
戦争は二度とあってほしくないということで、生き甲斐として取り組んでいます。