2017年9月21日木曜日

佐藤愛子(作家)            ・【特集 佐藤愛子に聞く!】2(H29/5/27 OA)

佐藤愛子(作家)        ・【特集 佐藤愛子に聞く!】2(H29/5/27 OA)
今年1月に「それでもこの世は悪くなかった」を出版。
読者層は従来、50代以上の女性が多くて85%程度だったが、今回の本は10代から40代の若い世代の読者層が増えて、40%を占めているそうです。
男性の読者も増えているそうです。

40代の女性
最近キナ臭くなってきたと戦時中の人がいいますが、今をどう思いますか?
確かにキナ臭いですよね。
日本はどうするかと言うだけでなくて、それを考えるために周りの国々とのあり方と関係してくるので、だから難しいですね。
こちらの価値観だけでは動く訳にはいかない状況になっているので、政治がらみについては意見を言えない。
私たちが知っている範囲はもしかしたら端っこの方だけじゃないかと言う気もします。
そういうわけでどうしていいかわからない。

18歳の女性
佐藤さんはどのように老いることへの絶望と、自分の人生を肯定する統合性の対立を乗り越えましたか?
絶望なんて感じたことはないので、乗り越える必要がないです。
私は自然に従うことをモットーにしているので、それが自然ならしょうがないじゃないかと思うので、人間は衰えなければ死ねないんだし、死ねなきゃ地球の上に一杯になっている場所が無くなる訳じゃないですか、そういう子供らしい素朴な考えです。
若い時死ぬことが判らなかった時代には怖かったが、長く生きてくると馴れていくんですよ。
経験するとどうってことないの、自然に馴れていくんですよ。
体の衰えがそれを教えてくれるんです。
若い時に命を失うのは悲惨ですよ、エネルギーがあるから。
歳を取るとエネルギーが段々無くなるので、長生きすると言うことはありがたいことです。
死は怖くなるし、自然に衰えて消滅して行くという。

68歳の女性
92歳の母と同居して面倒を見ています。
しっかり人だったのに、ボーとしている母を見ているとブルーになってしまいます、どうしたらいいでしょう?
どうしたらいいでしょうと言われたって困りますね。
生きとし生けるものは全て滅びると言う、この基本をしっかりと自分の中に根を生やしておけば、容認できるんですよ。
医学の技術が発達しているので、病気や死ぬとかに対して、身近に感じられないんでしょうね。
何とかなると言う思いで。
自然に滅亡していくと言うのは一番有りがたい終わりではないかと思います。

75歳の女性(視覚に障害を持っていて、主人とは死別、子供や兄弟もいない、悪化して行く目の状態が不安)
孤独感があってとても生きているのが辛い、前向きに生きる生き方を教えていただきたい。
それは辛いですね。
日に日に悪化して行く事実と向き合わないといけないと言うのは、本当に強い精神力が要りますから。
簡単に頑張ってくださいと言う言葉しかない訳だけれども、そんなの頑張れないことがわかっているんですよ。
生きている者は必ず死ぬ訳だから自分一人の問題ではないけれど、こういう問題はこの方一人の問題ですから、それを一人で耐えなければいけないと言うのは、本当に同情します。
ごめんなさい、そばにいって手を握ってオーラが少しでも残っているとしたら、それがこの人に伝わるように握っているしかないですね。
励まして慰めて話し相手になってくれる人がいたとしても、それでまぎれる孤独ではないですからね。
言うのは簡単ですけれども・・・。(佐藤さんの目から涙が流れている。)

岩手県の女性
人生山あり谷あり、そんななかでゆるぎない物があるとしたら一言で言ったら何でしょうか?
私は人生を貫いているのは逃げないと言うことです、来たものは受け入れる。
そういう生き方が性分に合ってるそうです。
昭和42年に夫の経営している会社が倒産して(2億円の負債)、倒産した翌日は小学校の同窓会に行くことになっていたが、当然いけなかった。
整体の先生のところにいって診てもらったら、いつもと違うと言われて、事情を話したら、先生がこれから同窓会に行きなさいと言われて、苦しいことが来たときに逃げようとするともっと苦しくなるのでそれを受け止めて戦う、それをした方が楽なんですよと言われて、楽になると言うことが助けになって、治療後にその足で同窓会に行きました。
その後色々ありましたが逃げないで受け止めると言うことをやって来ましたので、生き続けることが出来ました。
このごろ思うには、人間は一人一人身体が違う、性質も違う、身体が作ってきた私の気質から言うと、逃げないで立ち向かったほうがいいという、整体術からの知識だったのではないかと思うんです、だれにでも言うのではなくて、それぞれ人は違うので、相手のかたがどういう性格かと言うことが判った上で返事をしないといけない。
逃げないと言うことは、私の場合、と思っています。

フランスの哲学者アランの言葉。
「なんらかの不安、何らかの情念、何らかの苦しみがなくては幸福と言うものはうまれてこないのだ。」 この言葉にとても感動した。
「幸福論」を自分が苦労を経験した後で読むと実によくわかる。
苦しみがない時に読んでも何の役にもたたないと思う。
色んな苦労があってこそ、幸福と言うものが判る。
「それでもこの世は悪くなかった」の本の中の、列車のなかで女学生がお菓子を食べているシーン、向き合って試験勉強をしている。
彼女にとっては明日の試験は好ましくない、不幸と言ってもいいような出来事だと思うが、だけどもそれは幸福なんだと言うことを、色んな事を経験してきた人間はそれが判る。
「今は辛いと思っているかもしれないけれど、今こそ幸福なのよ。」と心の中で呼びかけました。
これから辛いことが待っている、どんな現実が来るか判らない。
戦争中には幸福ついて考える人なんか一人もいなかったと思います。
幸福について考える人が増えてると言うことは、世の中が安定していると言うことだと思います。
本当のどん底の時には幸福に付いて考えたりしません、現実と戦う事で精一杯ですから、でも後になって過ぎ去って考えてみると、ああしてシャカリキに戦った事も幸福の一つなんだと、なぜなら戦う力があったと、93歳になるとそう思うんです。

佐藤さんにとって書くことは好きだからですか、生きる為ですか?
両方です。
書くことがなかったら生きている意味がないと思います、書かずにはいられないと言うか。
「晩鐘」を書きあげてから、空っぽになって、書くことがなくて何もしないで暮らしていたらうつ病みたいに成ってしまいました。
生活の全てが書くことに向かっていたんですね。