2017年9月1日金曜日

仲川恭司(書家)         ・一文字で世界を表す

仲川恭司(書家)         ・一文字で世界を表す
昭和20年8月、新潟県佐渡市の出身、72歳。
大きな紙にひと文字や少ない文字で作品を作り上げる独立書人団理事長を務めています。
仲川さんは去年の毎日書道展で、魁と云う一文字の作品を書いて、最高賞の文部科学大臣賞を受賞しました。
佐渡高校時代、高校の図書室で中国の昔の書を見て、より深く勉強したいと卒業後、大東文化大学で学び、昭和の三筆と言われた、手島右卿(てしまゆうけい)氏の弟子になりました。
その後専修大学で教授となり若い人を指導してきました。
現在専修大学の名誉教授を務めています。

手島右卿先生が一字書をどんどん開拓された方で、その分野で私も夢中になって行って、そのところで賞を頂けたことはありがたかったです。
「魁」 文字の原点から考えながら構成して行って、自分でも納得する作品でした。
筆のタイミング、タッチの姿勢などがでてきて初めてできるんですが、右から左に移っていった時に潤渇の変化が出てきて、潤渇の変化が一つの書の美を出す大きな要素だと思います。
墨の色をこのくらいすると出来るとわかっていたのと、偶然的なものもありますが、全くの偶然ではなく、或る程度の経験、体験から出来る偶然です。
それが出てこないと自分を越えた作品にはならない。
例えば20文字でいろいろ変化を付けて、その中に山場を設けて行って、最後にまとめていって全体に潤渇変化を付けてまとめるという、多字の難しさはあるが、それを一字に持ってくる訳でそういう難しさはあります。
ゆっくり書いたりスピードを出したり、いろいろ工夫してやるわけです。

自分の独自の世界を作るためにはいろんな工夫が必要です。
ふすまの絵、屏風だとかを勉強したり、構成の面白さなどを考えていきます。
音楽がヒントになる場合もあります。
書は一つの芸術ではなくて、沢山の芸術が集まった総合的な芸術だと私は考えています。
自分の中に色んなものを取りこんで、引き出しを一杯持っているかどうかになると思います。(財産)
今は大学を退職したのでフリーになるはずですが、独立書人団理事長を務めています。
毎日書道展の理事として、書道の楽しさを海外に紹介などもしています。
佐渡には高校生まで居ました。
佐渡島は芸能、文化の豊かなところで育ったことは私を作り上げてくれたと思います。
小さい頃は鞄を置いてそのままアユを取ったり、ナマズを取ったりして家に帰ってきたりしていました。(やんちゃでした。)
小学校4年から書道の授業があり、中学は陸上競技、野球をして、高校では選択で音楽の勉強に専念する方向に進みました。

小学校ではコンクールの選抜のメンバーにも選ばれました。
書の方はそれほど真面目にはやっていませんでした。
高校の図書室に行った時に、偏と旁が整っていなくて、こんな字でいいのかと聞いたが、中国のいい字だといわれて、それまでの概念と違った字がどんどん出てきた。
字から何か迫って来るものがあり、後でも忘れられなかった。
担任の先生に選択を変えたいと言ったが、駄目だと言われた。
書道の先生の所に行って、書道をやりたいといったら、駄目と言われたが、専門家になるかといわれて、やりますと言ってOKを貰いました。
2年生の時から始めました。
本を渡されて最初から最後まで読んで真似て書いて持って来いと言われました。(特別授業だった、)
書いたものを持っていって、それを綴じて、一番上にレポートを書くわけです。
(どの時代、誰が書いたものか、特徴、感想など)
それを見ると、次のものを出されて、繰り返し繰り返しそれをやる訳です。

学校の図書館で感動したのは、中国の北魏の時代の鄭道昭(てい どうしょう)と云う人の書いたものでした。
(*道昭の作品は山に登って現地で彫っているため、その作品は全て磨崖である。)
図書館には書道の本がたくさんあり参考になりました。
臨書だけでなく創作もあり、漢詩を書くわけですが、楷書、行書、草書で書く訳です。
草書で書いたものをどう読むのかといわれて、読めなくて、一般の人には読めないのでは、そういうものを夢中にやっていても果たして広がっていくのかと思った。
字数が少ないものを書けば、楷書で書けば判るし、芸術的に書いていって、みなさんに広がっていたらいいし、海外でも1~2字だったら読めるだろうと思ったわけです。
図書館の本を調べていって、自分の考えと一致した書を書いているのが手島右卿先生でした。
本を調べると淡墨、滲んだり、濃い墨でかすれたりしていて、それが判らなくて、大学ではそういう勉強をしないといけないと思いました。
大学に行くためにはお金もなくて工面して母親には迷惑をかけて、申し訳ないという気持ちはずーっとありました。

大東文化大学に入学して手島右卿先生(大学の先生ではなかったが)に師事しました。
手島右卿先生は新古典派、古典のものを生かしてそれを作り変えて、新しい時代に合わせた作品を作るという考え方でした。
貪欲で行けと言われました。
先生の言ったことは全部ノートには書きませんでした。(咀嚼し身につけた。)
卒業後新潟に帰って教員をやりますと先生に行ったら、帰ってはだめだといわれてしまいました。
東京に残れと言われ、たまたま高島屋での書の仕事があるということで、先生に了解してもらいました。
その後、二股をかけない方がいいといわれ、講師、専任の助教授でいって、学生たちと勉強しながらやりました。
専修大学に行くことになりました。
現在は独立書人団の理事長をやっています。
今年正月に現代書道20人展に初めて選ばれて、日展にも出したことがないのに、声がかかってきたことに恐縮しました。
30年ほど前に佐渡で展覧会をやって母親にみてもらい、感激していました。
9月に個展を行います。
自分の中に色んなドラマがあり、ドラマがあることを題材にして作品にしていく、それが今回特に多いです。(大きな作品17点)