2017年9月25日月曜日

橋本淳(作詞家)             ・【謎解き うたことば】

橋本淳(作詞家)       ・【謎解き うたことば】
*「ブルーシャトー」の作詞家  1967年
すぎやまこういち(椙山 浩一)先生がアメリカのヒット曲を番組で見て、ビートルズが出てきたと言うことで
椙山先生が痛く感動して、「ヒットパレード」ではアメリカのポップスをやめて、ロックをやると言うことで、井上忠夫さんと呼ばれて曲を作れと言うことだったが、作れないと言ったが、作らざるを得なくなって、世の中に出るまで2年ぐらいかかりました。
大学3年生の時に就職試験を受けることになり、シェル石油、日本航空を受けることになり、2次試験の時間にいってしまったり、メガネはダメだからとか言われて、そんなことまでして入りたくなかった。
困っていたら、友人の関係で椙山先生の御自宅に伺いましたら、譜面を渡されてこれに歌詞を付けてくるように言われて、できないと言ったが、何とか作って届けておきました。
そうしたら電話がかかってきて、採用ということだった。

最初は運転手、椙山先生のもとにいて(「大人の漫画」、「ヒットパレード」などを手がけていた)段々この世界にはいってしまいました。
歌を作ることを目的にしていなかったので、何とか逃げたいと思っていた。
小説などを書きたかったが、父親(与田凖一)から才能がないと言われてしまった。
ずるずると椙山先生のところにくっついてゆくことになった。
椙山先生からキングレコードで社員を募集しているから受けてみるように言われた。
自分の曲がレコーディングされないのはなぜかと調べてこいと言うことだった。
光文社の上にキングレコードがあったが、面接みたいになって、採用されることになる。
専属制と言う時代なのでフリーの人(椙山先生)のレコーディングはできないと言われた。
遅刻をしたり、椙山先生に呼ばれて早退したりして、一曲ぐらい仕事を取ってこいと言われて、童謡、民芸を出しているセクションは専属制ではなくて、ジェームス・ボンドの映画が大ヒットした時で「ボンド小歌」を作ることになり、作詞を担当した。
退職したいと言ったら、させてくれなくて、講談社の重役の処にいって家族で頭を下げました。

椙山先生は自分の曲をレコードにしたいと思っていて、森山加代子さんのB面だったらいいと言う話もあった。
大阪のライブハウスに観に行ったりして沢田研二さんが印象に残っていたりしていた。
「ヒットパレード」に「ザ・タイガース」を出そうと言うことになって、渡辺プロが決めたと思うんです。(「僕のマリー」と言う歌でデビューする)
その頃、僕はブルーコメッツ、ビレッジシンガーズとかいくつかやっていて、最初何が何だか判らないような状況でやっていました。
専属の時代だから、なんか判らないうちに出すと、売れてしまうような状況でした。
判らないというのは、歌を作るという行為が判らない、日本に歌謡曲があることを知らなかった。
クラシックが好きで、現代音楽とは縁遠く、歌詞が付く歌が日本にあるのかと思っていた。

「青い瞳」という言葉が新聞に載っていて、それで「青い瞳」と言うタイトルを付けて作詞しました。
「ブルーシャトー」 ピカソが青の時代とかあり、判らないから練習の時代は全部青の時代にしようと思った
「青い瞳」、「青い渚」、「ブルーシャトー」と成って行くんです。
弟が大学には行かずに、ロシア、スウエーデンにいってしまって、母親から見てきてくれと言われて、ストックホルムにいって、朝方に着いたが湖が物凄く綺麗だった。
弟とドライブした時に、これはシャトーだねと言うことになり、「ブルーシャトー」と言うタイトルを付けました。
椙山先生の所に居て、無職で結婚してしまい、妻のピアノでの収入しかなかった。
「青い瞳」が売れて、著作権協会から5万円ぐらい印税が送られてきた。
それでお金になるのだと思って、次に50万円になり、「青い渚」とか3回目で500万円になり、「ザ・タイガーズ」がやるようになってから初めて意識して歌を作る事を考えるようになりました。

どうしたら売れるかと言うことを考えるようになりました。
タイガースにガウンを着せたらどうだろうかとか、キャラクターを作っていきました。
「君だけに愛を」沢田さんが指さすと女性が失神してしまい、生まれて初めてこの光景を見て、いつかこれを意図的にやってやろうと思いました。
意図的にやっていくと、2順目、3順目になると、作曲する方が音楽的に難しくなってきて出来ない。
グループサウンズが終焉を迎えるのは、ギターを持っていれば立っているやつでもいいからバンドにしてしまえというような、悪貨は良貨を駆逐するではないが、その様な方針を決めてやったり、スタジオミュージシャンを使ってやるように成ると、メンバーの不満が出てきたりして、想定しない素人がやりだしてしまって、そこが崩壊に繋がってしまった。
次のステップはグループサウンズの音楽を黛ジュン、奥村チヨ、いしだあゆみとかが、音楽を8ビートにして変えていって上手く繋がって、女性のポップスの時代に変わって行く。