2017年10月5日木曜日

荘村清志(ギタリスト)          ・70歳は通過点(1)

荘村清志(ギタリスト)       ・70歳は通過点(1)
昭和22年岐阜市出身 70歳 9歳からギターを始めて、10代半ばで巨匠ナルシソ・イエペスに認められて4年間スペインで教えを受けました。
昭和44年に日本でデビュー、以来日本を代表するギタリストとして活躍しています。
昭和49年にはNHKの番組、「ギターを弾こう」の講師としてギターの普及にも貢献しました。
2007年放送の「趣味悠々」でも講師を務めています。
現在東京音楽大学客員教授として若手の教育にも取り組んでいます。

30代の頃、ギターばっかりやっていたのを、スポーツをやろうと思って35歳からテニスをやり始めました。
普段も歩くようにしています。
精神的には20代のつもりでいるので、70歳と言う自覚はないです。
歳を取るにしたがって、深まって来ると言う感じはしています。
若いころはとにかく正確に弾くと言うことでしたが、音楽に酔いしれると言う事はなかったが、50歳を過ぎてから自分でギターを弾いていて内側からよろこび、悲しみがこみ上げてくるふうに段々なって来ました。
若いころはギターと格闘していたと言う感じで弾いていたイメージがあります。
50歳を過ぎたころからギターの音は小さい音が魅力的だと自分で思えるようになって、それからギターを弾くのが楽になりました。
弱い音の間に強く弾くと、強さがより大きく聞こえると言うことで、幅が広がりました。

左手は弦を押さえるので爪はきっちり切ってあり、右手は弦を弾くので爪を長くしてあります。(クラシックギターの奏法)
紙やすりを使って爪の手入れをしています。
10月13日(70歳の誕生日)、記念リサイタルを行います。
詩の朗読も行います。
スペインのフアン・ラモン・ヒメネス(ノーベル賞を受賞)という詩人が書いた散文詩「プラテロと私」(100編以上ある)の中からイタリアのマーリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコが28曲選び出して、それにギターのオリジナル曲を付けています。
詩の朗読をしているときに常にギターがバックで流れています。
朗読を中嶋 朋子さんが行います。
藤木 大地さんに武満徹さんの曲の中から歌っていただきます。

出身が岐阜で小学校卒業するまで居ました。
ギターを始めたきっかけは父がギターが好きで、ギタリストに成りたかったそうですが、ギターで生活するという事ができなかった時代でサラリーマンになりました。
9歳のときに父から教えてもらって始めました。(毎日1時間のレッスン)
言われるままに弾いていました。
中学に入るときに父の仕事の関係で東京に引っ越しました。
小原安正先生に習い始めました。(怖い先生でした)
15歳のときにスペインの巨匠ナルシソ・イエペスさんが日本に演奏旅行で来まして、歓迎パーティーで10人ぐらいでギターを弾いたら、スペインに来たら教えてあげると言う確約を頂いて、16歳のときにスペインに留学と言うことになります。
自ら行くと言うよりも、父親が修行して来いと言うふうな感じでした。
4年間スペインで修行しました。(1964年~)
羽田から飛び立ったんですが 1ドル360円の時代で往復60万円、100人ぐらいが見送りに来てくれました。

父親も小原安正先生も怖かったが、ナルシソ・イエペス先生は優しく、にこにこしながら教えて下さいまして、楽しい4年間でした。
スペイン語は中学1年の時から基礎を習い始めましたが、ホームステー先で会話の多くを学びました。
夏休みに先生の家でテラスで海の音を聞きながら、週に2回レッスンを受けたことも想い出にあります。
1968年に帰国、翌年日本でデビューをします。
上手く弾けたとは思ったが、終ったあとになんか空虚感があり、ギター浸けだったので、ちょっとギターから離れて(本、映画、芝居、友人と酒を飲むとか)、生活の幅を意図的に広げていくようにしました。
再びギターを弾くと言うことに戻った時に、ギターの音に酔いしれることが少しづつ出来るようになりました。

デビュー25周年の時も自分を追い込み過ぎて、完璧にと言う思いが強くて結局うまくいかなかったが、その1週間後に演奏があったが、その間練習は一切やらなかったが、自分なりに凄くうまく行きました。
練習の仕方を出来るだけ通して、楽しんで演奏すると言う方向に変えてゆき、練習時間も少なくて済み、プレッシャーも無くなりました。
余った時間を映画などにつぎ込み、そうすることによって自分の表現力がどんどん増えて行くことに気づいて、自分の生活パターンも変えていきました。
そうして演奏が楽しくなりました。
*映画禁じられた遊びから「愛のロマンス」 荘村清志さん演奏

自分一人の力なんて知れているので、色んな人のエネルギーをどんどん自分の中に蓄えて行くことによって、表現力が増えて行くことだと思います。
色んな人が演奏するが弾く人の音色が音としてあらわれてくる、そこがまた面白いと思います。
1974年4月から「ギターを弾こう」の講師を務める。(1年間)
25歳の時でした。
TVに慣れていないので、喋ること、時間の管理への対応が大変でした。
2007年、「趣味悠々」で皆で名曲を弾きましょうということで講師をする。
東京音楽大学でプロを目指す学生たちにレッスンを厳しくしています。