2017年11月20日月曜日

東儀博昭(宮内庁式部職楽部首席楽長)   ・【にっぽんの音】能楽師狂言方 大藏基誠

東儀博昭(宮内庁式部職楽部首席楽長)   ・【にっぽんの音】
聞き手:大藏基誠 (能楽師狂言方)
式部職楽部、式部は儀式を担当する部署、楽部は楽を司る部署。
音楽には雅学、洋楽ふたつを仕切っています。
楽士として20~60代まで24名がおります。
私は「篳篥(ひちりき)」、クラリネットを担当します。
篳篥(ひちりき)」も管楽器です。
(篳篥(ひちりき)の解説 篳篥は漆を塗った竹の管で作られ、表側に7つ、裏側に2つの孔(あな)を持つ縦笛である。 発音体にはダブルリードのような形状をした葦舌(した)を用いる。 乾燥した蘆(あし)の管の一方に熱を加えてつぶし(ひしぎ)、責(せめ)と呼ばれる籐を四つに割り、間に切り口を入れて折り合わせて括った輪をはめ込む。)

募集の時期に試験に合格した人が楽部での修行ということになります。
15歳からが受験の資格となります。
実地試験が主になっています。
楽師間では下の名前で呼び合います。
東儀家と大藏家(大藏基誠 能楽師狂言方)は遡ると先祖が一緒と言われているが。
聖徳太子に使えた秦河勝氏が私たちの東儀の祖と言われているが、大蔵家と親しみを覚えているところではないたと思いますが。
大藏家も遡っていれば秦家になるので1000年を越えた遠い親せきになると思います。
雅学は1300年以上の歴史をたどることになります。

*「五常楽急」 演奏
仁義礼智信の「五常」の5つの言葉を基本に作られたというのが「五常楽」で、同じ「急」を何度も繰り返して、何回もやっているうちに、一行目と三目の出だしの音にガイドとして「と」と「ち」と言うのがあてはめていて、「とちる」の語源と言われているが、この「五常楽」です。
ガイドとして笛が鳴ったらその頭に戻ると言うことで、何回も繰り返していてるうちに、あいまいになって来ると「と」と「ち」が逆になってしまうと、とちってしまうのが語源になったと言われます。
(「五常楽」解説:雅楽の舞楽および管弦の曲名。舞楽としては左方の舞で,平舞の代表曲の一つ。4人舞で,蛮絵 (ばんえ) 装束または襲 (かさね) 装束で舞われる。平調 (ひょうぢょう) 調子および品玄 (ぼんげん) の演奏のうちに舞人が登台してから当曲 (中心曲) となるが,この当曲は「序」「破」「急」の3章が完備している珍しい例となっている。「序」のあとに「詠 (えい) 」と呼ばれる特殊な章も挿入され,「急」のあとは「入綾」と呼ばれる「急」の章の反復のうちに舞人が降台して退場する。仁,義,礼,智,信の「五常」を,音楽の「五声」に配して作られたものという。)

雅学は日本最古の音楽。
日本に有った様な歌や舞と、中国、高麗等から伝わってきた舞、楽器を元に作られて音楽を纏めて雅学と言います。
現在の形に完成したのは平安時代です。
管楽器、龍笛(唐楽用)、高麗笛(高麗用)、神楽笛(日本古来の演奏用)の3種類の横笛、
縦笛として「篳篥(ひちりき)」、神楽、高麗、唐楽にも使います。
管楽器「笙(しょう)」と言うのは、高麗笛、神楽笛にも使っていないです。
唐楽には笙(しょう)、龍笛、篳篥(ひちりき)が使われます。
管楽器は家々に伝わる伝承の一つで、「篳篥(ひちりき)」を吹きながら笙(しょう)を吹くことはあり得ないです。
他の楽器の事をやる様だったら、ひたすら(只管)やれと、只おのれの家の管を伝承しろと言うのも、語源のひとつで、「ひたすら(只管)」と言うことです。

篳篥(ひちりき)は短いたて笛、長さが18cm位の竹笛、そこに1寸9分ほどの「ろぜつ」(葦:よし)が入っていて、葦を生えているものから取って、茅葺の屋根の様な所に囲炉裏の方にかざして煤をかける、数十年した家を壊すときに貰い受けて、それを削って夏の一番暑い時(湿気のむんむんしている時)に火鉢の前で、削ってそれを素材にして葦舌(した)を作る。
削り方もめんどくさいし、音をよく鳴るように作ることも年季の要る作業で、篳篥(ひちりき)吹きはこれを一生やらなければいけないと言う修行をうけて現在に至るわけです。
「ろぜつ」はお茶に浸さないといけないので時間がかかります。(お湯だと腐ってしまう。)
お茶に浸けると葦の繊維が締まって来る、消毒になる、口を開かせるためにもなる。
湿らせて葦舌(した)の元には「図紙ずがみ)」という和紙がまいてあり、和紙と篳篥(ひちりき)の「ずもち」と言うところに差し込んで空気の漏れがない様にして演奏するのが、篳篥(ひちりき)の楽器の特徴です。
ダブルリードではないと思っていて、筒リードで湿らせて軽く口が開きます。
*篳篥(ひちりき)の音を披露

小さい楽器からおおきな音が出る。
篳篥(ひちりき)の音域は人間の声と同じように1オクターブちょっとぐらいしかなくて、人間の言葉の様に感じると思われる、心に響くように聞こえる。
楽部生活50年になります。
篳篥(ひちりき)を代々やっていたので、子供のころから吹いていました。
12歳で予科生として入りました。
昼間は稽古、学校は夜間に行きました。
遊びたいと思った事もありましたが、使命もあるし、面白さもありました。

*「千秋楽」 演奏
歌舞伎、相撲でも千秋楽と言われるが、雅学の千秋楽は平安時代日本で作られた曲、仏教の行事の最後に必ず演奏されたと言われている事から「千秋楽」と言われたので、舞台などでも千秋楽と言われるようになったと言われています。