2017年12月14日木曜日

湯原悦子(介護殺人”研究者)       ・大切な人を殺さないために!

湯原悦子(介護殺人”研究者)       ・大切な人を殺さないために!
介護に疲れて家族の命に手をかけてしまう介護殺人が後を立ちません。
20年にわたって介護殺人を研究している日本福祉大学准教授、湯原さん47歳に依ると、確認できるだけでも 年間40件ほど、その数は年々緩やかに増えていると言います。
湯原さんは精神障害者の母親の介護を経験し、福祉に付いて学ぼうと大学に再入学して研究を続けて来ました。
介護殺人を減らすにはケアマネージャー等の支援者が介護を担う人をどう支えるかが重要なポイントだと指摘しています。
大切な人を殺さないために何が必要なのか伺いました。

私が育った家には障害のある姉と病気の母が居ました。
介護は身近な問題でした。
それで研究者になりましたが、介護者自身の言葉を分析している研究が無くて、支援者側から見た事件や虐待の研究が多かった。
介護者はきっとこうは考えていないのではないかと思って、介護者自身の声を伝えていきたいと思ったのが研究のきっかけです。
OLをやっていたが、母の病気がひどくなって辞めました。
母は精神疾患だったのですが、ほんとうに困ったことが有って、私は我慢が出来ない、わたしを困らせないでと思ったときに、瓶を机で割ってかけらを掴んだ時に血が出て正気が保ったことが有って、10年傷が治らなかった。
瓶を持って向かって行ったら母も向かってきたかもしれず、介護殺人になってしまっていたかもしれない。

大切な母親だと思っているが、カッと来てしまって自分を押さえることが出来ないことがある事を実感しました。
集合住宅に住んでいて、母の行動にたいして近所の方から色々苦情が来て、地域の中でも孤立してしまい、なんとかしてほしいと言われて追い詰められました。
大学院に入ったのは1998年で、児童虐待が世間を騒がしていた状況でしたが、高齢者虐待についてはほとんど研究されていなくてそれをテーマにしました。
加害者にインタビューしたかったが、支援者にたいしての調査研究しかできなかった。
加害者はそうは考えていないのではないかと思いました。
法学部出だったので裁判例を使えばいいと思って、介護殺人の研究をしようと思うようになりました。
当時は誰も介護殺人を専門に研究する人はいませんでした。(いまでもあまりいないと思います。)

この問題は是非世の中に出して行かなくてはいけないと思いました。
法廷の場にも何度も行きました。
裁判官から、あなたはこの事件を起こして反省しているかと問われて、「自分は何にたいして反省したらいいかよくわからない」と言った人がいました。
(夫が奥さんを殺してしまったと言う事例)
夫としては出来る限り一生懸命やって、痩せて夜も眠れない位してきた、反省しているかと問われた時に「自分は何にたいして反省したらいいかよくわからない」と答えたことは、凄く正直な気持ちとして私のなかに響きました。
「父は良くやっていたので父を責めるのなら私を責めてください」と、娘さんがいって、その光景は頭に焼きついています。
ぎりぎりまで追い詰められたけれど事件を起こさなかった人の手記を集めた本があるが、自分にたいして支援者が声をかけて、話を聞いて冷静になれたとか、手をかけた瞬間相手が反応して自分に気が付いたとか、そういうちょっとしたことで戻ってきた人もかなりいますので、声を掛けてあげるとかはまわりが出来ることかなと思います。

介護している方そのものが高齢だったり、自身病気だったり、障害を抱えていたり、介護する人がこんなに大変な介護を一人で背負わなければらないのかという状況が見られる。
これが一つの大きな要因だと思います。
介護者を支援する制度はほとんど無いんです。
介護者を支援する方法しかないと思います。
殺してしまった介護者、色んな事情から殺してしまった人をどうしたら事前に食い止められるかと思ったときに、介護者支援を本気で考えないといけないと思いました。
あるケースでは、介護者が重いうつ状態になり痩せて行きアルコールを飲み、気付けるはずだったが、まわりがその時に気づいて声を掛けてあげれば防げたと思います。
介護者自身が病気、あるいは85歳以上とか、が大変な介護をしなければいけないとかと思う場合もあるし、若い方で外部とのコミュニケーションが取れない方が親の介護をしなくてはいけなくなったときに、外部と交渉したりするには介護者としてやって行くのは難しいと思います。

不適切な介護状況にあれば外部からの支援はあるが、それなりに介護している状況にあれば介護者に任せることになってしまう。
介護者支援はだれがやるのか、お金はどうするのかとなると、システム的に出来ていない以上無理をお願いすると言うことになってしまうと思いました。
海外に行ったときに介護をする人とされる人の両方が居ないと成り立たない行為、何故日本では介護を必要とする制度はあるが、介護をする人への支援は薄いのかと言われて、はっとして介護者支援は介護の両輪としてふたつが必要だと意識を変えています。
介護をするきっかけ、その人の守りたい生活などを聞きながら相談にのってくれるソーシャルワーカーが居て一緒に考えてくれる。
イギリスが一番先行していますし、社会的排除をしないようになっている。(人権の問題)
日本とは根本的に違う。

南オーストラリアでの実践は衝撃的でした。
介護者の方々が自ら集まって、社会にたいしてどういうふうな存在で、どういうふうなことを求めているのかと言う事を自分たちでまとめた介護者憲章を作りました。
当事者が自分たちにたいしてどう見てほしい、どう支援してほしい、どういうふうなかかわりを持ってほしいと言うことで、力を感じましたし、重要だと思いました。
参考にして欲しいと憲章をプレゼントをされました。
日本でも作りましょうという事で、愛知県支部として介護者憲章を作りました。
介護者憲章を学会で報告しましたが賞を頂きました。
介護をしていて介護を代わってほしいと言うようなときにも、誰かが代わってくれると言うことがなくて、我慢して追い詰められてしまう介護者の現状があると思います。
代わって介護する為の手段として地域で考えて出来るといいですね。
愛知県ですと、認知症の人と家族の会等当事者の団体が自分たちも支援を求めてもいいんだということを確認しましょうと、希望、やれることを支援者に伝えるシートを作ってみたりとの取り組みはあります。
法制度は遅々として進まない。
実践は実践で進みつつあります。(介護支援者へのツールとか、支援者への勉強会)

誰が、予算は、と言うことに最終はなるので、法律のあるないは大きい。
虐待防止法はあり、介護者支援の視点が入っていて法的な枠組みの中で行うことが出来ていてネットワークはあるが(法律があるから)、それ以外は出来ないこともあるので法律は是非作っていきたいと思います。
介護殺人を無くすためには介護者支援をするという発想と、介護者の方がどれぐらい介護を出来るかを見極めて出来ない部分を助けると言う発想が必要だと思います。
また事件を振り返って、その後気づいた点をサービスの充実に生かしてゆくことも必要だと思います。
「助けて」と周りに表現することも大事だと思います。
そして支援が出来るところに繋いで欲しいと思います。